51. たくさん走ります
ティンナトールの背を追いながら、チェラシュカたちは周囲を警戒しつつ歩いていく。
そこでレオニクスが口を開いた。
「てか、これからこの頻度で罠が続くのか?」
「それはなかなかやばいっすね」
「……いざというときのために魔力を温存したほうがいいかもしれないな」
「確かにそうね」
声を落として話すチェラシュカたちに、前方から声がかかった。
「皆さん、走る準備はできていますか?」
「え?」
「は?」
「走る……?」
「準備っすか?」
どういうことだろうと首を傾げていると、再びティンナトールが声を上げる。
「はい、では今から全速力で真っ直ぐ走ってください。曲がり角まで止まらないで」
彼はこちらを振り返ってそう告げたかと思うと、サッと前を向いて急に走り始めた。
「急に何だよ……ん?」
ピクリと耳を動かしたレオニクスの動きにつられ、チェラシュカも振り返る。
すると突然地面が振動し、大きな地鳴りのような音が響き始めた。
ごごごごごごご。
その直後、今まで通ってきた通路の奥に、突然大きな岩らしきものが出現した。
チェラシュカはそれを見て、考えるよりも早く足を動かし始めた。
「走って!」
チェラシュカの大声に反応したラキュスたちも、少し遅れて走り出す。
肩越しに振り返ってみれば、少しずつ大岩との距離が近付いているように思える。思わず肩を震わせながら前を向けば、ティンナトールの背はかなり遠い位置にあり、焦る気持ちが芽生える。
「チェリ!」
「わかったわ!」
ラキュスもこのままだと危ないと思ったのだろう。
声を上げるやいなや、ふわりと飛び上がって手を取られたので、チェラシュカも同じように浮上して風魔法で加速し始めた。
「……やっべ!! ストラメル、乗れ!」
すぐ近くを走っていたレオニクスが獣化すると、ストラメルは「あざっす!」と言ってその背にしがみついていた。そうして岩からの距離を広げ始めたところで、また少し違ったごごごごごという音が聞こえてきた。
「何の音……はあ!?」
「壁が迫ってきてるっす!!」
ストラメルの言う通り、今居る場所の両側の壁がこちらに向かってじわじわと動いてきていた。
チェラシュカたちは先程よりも必死になって速度を上げる。
前方には既にティンナトールの姿は無く、恐らく曲がり角を曲がって安全圏に居るのだと思われる。
「あいつマジふざけんなあああ!」
「ストラメル!! 気持ちはわかっけどそこで叫ぶんじゃねえ!」
「すまねっす!!!」
「うるっせええ!!」
レオニクスとストラメルの大声に、何故だか緊張感が緩和される。
まだ決して気が抜ける状態ではないのだが、ほんの少し前までは生きるか死ぬかという思いで頭が真っ白になっていたのに、今はちょっとだけ気持ちに余白ができてきていた。
「んふっ、ふふふっ」
今までで恐らく一番早いスピードで飛んだこともあってか、ハイテンションになっているらしい。突き当りが近付いてやっと曲がり角を曲がった頃には、笑いが止まらなくなっていた。
「あはは! ほんと……ティンナトールってば酷いわ! ふふっ」
曲がり角を曲がってから獣化を解いたレオニクスが、お腹を抱えて笑うチェラシュカを見てぽかんと口を開けている。
「ちょ、レオニクスさん! 急に戻らないでほしいっす!」
そんな彼の背にしがみついていたストラメルは、レオニクスが獣化を解いたときに背中から転げ落ちて腰を打ち付けてしまったらしい。
顔をしかめて腰を擦りながら文句を言う彼を見て、またおかしさが込み上げてしまう。
「ふふ、す、ストラメル、手を出して」
「な、なんでそんな笑ってるんすか……?」
ストラメルは不可解そうな表情をしつつも素直に手を伸ばしてくれた。
チェラシュカはその上にさくらんぼを一粒載せる。
「あ……あざっす……」
彼は手の上とチェラシュカの顔を交互に見た後、ぱくりとそれを食べた。
「……チェラシュカ、私に何か文句があるんですか?」
いつの間にそこに居たのか、後ろからティンナトールに声をかけられる。
一度入った笑いのスイッチがオフにならないままのチェラシュカは、くるりと振り向くと何でもないわと答えた。
「……随分とご機嫌ですね」
目を細めたティンナトールは、非常に怪訝そうな顔をしている。
チェラシュカは幼馴染の手を解き、両手を自身の胸元に置いて深呼吸をした。
「気にしないで、」
そう言いかけた時、背後からのどおんという音と共に地面が大きく揺れた。グラついたチェラシュカの身体を、すぐそばに居たラキュスが支えてくれる。
「ああ、閉じましたね」
ティンナトールのその言葉で、先程まで壁に押し潰される瀬戸際だったことを思い出す。
恐怖で脳が擦り切れてしまっていたのかもしれない。緊張しっぱなしでも疲れてしまうが、警戒を怠るわけにもいかないとチェラシュカは気を引き締めた。
全員が息を整えたところで再びティンナトールが先頭に立ち、それにレオニクス、ラキュスが続いた。チェラシュカとストラメルはその後ろに並んでついていく。
数歩歩いたところで、先頭を歩く彼が振り向いた。
「あ、そういえば皆さん。ここでは並んで歩いては、」
カチッ。
そんな音がした直後、足元に闇が広がった。
「えっ」
「うおわああああああああ!!!」
◇◇◇
どすん。
「うぐっ」
「いたた……」
チェラシュカが強かに打ち付けた腰を擦りながらあたりを見回していると、下から呻き声が聞こえる。
「す、すんません……どいてもらっても……」
声のする方を見下ろすと、自分の足の間にストラメルの腕が伸びているのが見えた。どうやら彼の背中の上に落ちてしまったらしい。
「……ごめんなさいっ!」
慌てて立ち上がると、彼はよろめきながら地面に手をついてゆっくりと起き上がった。チェラシュカはさくらんぼを生成し、膝立ちをする彼の口に突っ込む。
「んむっ」
「痛かったわよね……治癒魔法もかけた方がいいかしら」
「……大丈夫っす。あざっす」
口の中身を飲み込んだ彼は、自身の服の前面をパッパッとはたきながら立ち上がった。そのまま周囲をさっと見て、暗いっすねと一言呟くと、魔法で彼自身の頭付近に明かりを浮かべた。
「ありがとう、ストラメル」
「っす。ところでここは……てかどうやって戻れば……」
チェラシュカは上を見上げたが、自分たちが落ちてきたはずの穴は既にそこにはなかった。高さ自体は大したことがなかったため、大怪我にならなくて良かった。
まだラキュスたちは移動していないはずだ。声をかけてみようと思い、大きく息を吸った。
「ラキュスー! レオニクスー!」
チェラシュカが珍しく大声を出したからか、ストラメルからの視線を感じるが、気にせず呼びかけを続ける。
「ティンナトールー! 聞こえたら返事してー!」
「っラキュスさーん! 聞こえないっすかーー!」
彼がチェラシュカに負けず劣らずの大声を出し、迷宮内にぐわんぐわんと反響した。
「……聞こえてないっぽいっすね」
「そうね。……ストラメル、私は天井を確認するから、下で警戒していて」
チェラシュカはそう声をかけると、天井へ向かって飛び上がった。
「わかったっす! ……ってチェラシュカさん!?」
大声を上げる彼に何だろうと下を向くと、彼は目元を手の平で覆ってあたふたとしていた。
「みみみ見えるっす! 中が!! 降りてほしいっす!!」
中、と聞いて身に着けているスカート部分に目を向ける。念の為服の上からぽふぽふと触れて、中の感触を確認する。
「大丈夫よ、ドロワーズを履いているから!」
「どろ……!? そ、そういう問題じゃないっす〜〜!」
「すぐ戻るからちょっと待っていて!」
チェラシュカは天井付近を魔法で照らし、端から端までじっくりと目を凝らした。どこかにぱかっと穴が空いたときの境目が見つかるかと思ったが、それらしきものは見当たらなかった。
天井の表面にそっと触れてみると、見た目通りザラザラボコボコとしている。中指の第二関節で軽く叩いてみると、コツコツと鈍い音が返ってきた。
土が押し固められているといった感じなので、頑張れば穴を開けることもできそうではある。ただ、上にいるはずのラキュスたちの位置がわからないし、もし壁全体が壊れたりすると危ない。
強行突破は諦めて、ふよふよと地面に降り立った。
「チェラシュカさん! マジで、そういうの、気を付けたほうがいいっす!」
「そういうの? ……ごめんなさい、もしかして見えてはいけないものが見えてしまったかしら」
「見え……てはないっす! 見てないっすけど!!」
「そう、なら良かったわ。はしたないって言われちゃう」
「そういう意識があるなら……!」
「見た人は消すしかないものね……」
「……へ?」
チェラシュカがそう言うと、ストラメルはぽかんと口を開けてこちらを凝視していた。そんな彼に、かつて養育者であるロテレから言い聞かされていたことを伝えることにする。
「正面から見たときに服で隠れる部分は、みだりに他人に見られないようにするのよって言われていたのだけれど」
服で隠れる部分、と言いながら鎖骨の下辺りに手を当てたあとに体の表面を滑らせ、足の付け根付近をぽんぽんと押さえ、その場所を示した。
「私が家の屋根に登って遊んでいたのを彼女が見つけたときにね」
「……結構やんちゃっすね」
「『チェラシュカが大人しくすることを期待するより、見た相手を消したほうが早いかもしれないわね』って言っていたのよ」
「……見た相手を、消す」
「詳しくは教えてもらえなかったのだけれど、記憶のことだと思うの」
「っす……」
顔色を悪くして明後日の方を向くストラメルを見て、チェラシュカはこてんと首を傾げた。
「頭を狙って思い切り腕を振りぬくのよ、と言われたのだけれど……」
「いやー……、殴って記憶が飛んだ奴は見たことないっすね……」
「そうなのね。そういえばレオニクスもそんなことを言っていたような気がするわ。ならやっぱり、いざというときのために精神系の魔法の腕を磨いたほうがいいかもしれないわね」
「その……チェラシュカさんが大人しく振る舞うっつー選択肢はないんすかね……?」
チラチラとこちらを見ながら恐る恐る口にする彼に、チェラシュカはニコリと笑いかけた。
「……考えておくわ」
「……っはーー」
彼は大きく息を吐きながら膝に手を付いていた。
なんだか疲れきっている様子だ。それより今は、とチェラシュカはここからの動きについて考えを巡らせた。
「とりあえず、天井から戻るのは難しそうだから、慎重に上への道を探しましょう」
「そっすね……」
項垂れた様子のストラメルを横目に、チェラシュカは進行方向へと明かりを向けるのだった。




