47. 口説き落とします
ティンナトールと夕食を共にした次の日の昼過ぎ。
チェラシュカはラキュスを連れて近くのカフェに来ていた。
ティンナトールは最近そこで過ごしていることが多いらしく、説得のために日参しようと考えたのだ。
しかし、了承してくれるまでずっと張り付くというわけにもいかない。
こちらの言葉を飄々と躱すか正面からぶった切ることを平然としてのける彼のことだ、しつこく依頼しても押し負けてくれるわけがない。
そういうわけで、彼に直接交渉するのは一日のうち限られた時間――カフェにいる間だけにしようと考えている。
ちなみに、レオニクスとストラメルは町に出て他に情報がないか集めてきてくれるという。折角なので観光もしたいし、それも含めて彼らの齎してくれる情報に期待したいところだ。
店内を見渡すと、四人がけのテーブル席に一人で座るティンナトールを発見した。テーブルの上にはコーヒーが一つあり、雑誌を読んでいるところだった。
「ティンナトール、こんにちは。失礼するわね」
「……どうも」
ラキュスと共に挨拶をしながら、向かいの席に勝手に腰掛ける。
顔を上げたティンナトールはそれを咎めることもなく、平然とした様子で返事をした。
「チェラシュカ、ラキュス。こんにちは」
「今日からあなたを口説きに来たわ」
「……チェリ」
「おや、熱烈ですね」
声がこの席の外に漏れないように、チェラシュカはさりげなく防音結界を張っておく。
「本題から言うわ。どうしてもティンナトールの力が必要なの。だから一緒に来てほしい」
「無理ですね」
あまりの素っ気なさに目を瞬かせたが、めげずに言葉を重ねる。
「……何人かに聞いて回ったけど、あの迷宮について詳細を知っている人は誰も居なかったわ」
「そうでしょうね」
「だから、あなたはやっと見つけた希望なの! あなただけが頼りなのよ」
「そう言われましてもね」
今日のチェラシュカはポジティブに攻める予定である。テーマは懇願と称賛だ。
「あなたって三百年も研究をし続けてきたのでしょう? 並大抵の人はそんなことできないと思うわ」
「そうでしょうか?」
「そうよ! 私はまだ五十年しか生きてないけれど、何年もやり続けられていることなんてほとんど無いもの」
隣のラキュスが「俺もそうだ」と頷く。
「これからできるかもしれませんよ」
「未来のことはわからないけれど、過去のことは確定しているでしょう? それに、他の誰かが同じことをしたからってあなたが凄いことにも変わりはないのよ」
「……そうでしょうか」
チェラシュカはそんな調子で、彼の能力を買っているということを一頻り伝えた。
「だからね、あなたほど迷宮攻略で頼れる人は他に見つけられないと思うの。お願い、どうかこの通りよ」
「俺からも頼む」
チェラシュカは両手を顔の前で合わせると、少し下を向いて目をぎゅっと瞑った。完全にティンナトールを拝むような体勢である。
耳に届いたのは、軽くなったカップがソーサーに置かれた微かな音。そして――。
「残念ですが、ご希望には添えませんね」
「……そう」
また来るわね、と残したチェラシュカは、ラキュスと共に肩を落としてその場を後にした。
二人でラキュスの泊まる客室に戻ると、チェラシュカはベッドに座った。
「はあ、やっぱり手強いわね」
「チェリがあれだけ頼んでるのに、なんなんだティンナトールは」
真向かいに座る彼の眉間の皺をそっと突いてみる。
「ラキュス、落ち着いて。恐らくだけれど、最終日まで了承しない気がするのよね」
「……どういうことだ?」
「見たでしょう? 彼、ただただ面白がってたわ」
「そうか? 適当にあしらわれてるようにしか感じなかったが」
確かに、あの言葉だけ聞けば一切応じる気が無いように思える。
しかし、彼の表情や言葉をよく意識してみれば、こちらを観察してどう出るかを伺っているのだろうと推測できた。
「そういうポーズなのよ。だから私も、そういうポーズで対抗するしかないわ……」
「……チェリ、無茶はするなよ。嫌になったらいつでもやめていいんだ」
「ありがとう。でもまだこれからよ」
◇◇◇
日参二日目。この日のチェラシュカはレオニクスを連れて昨日と同じくカフェにやってきていた。なお、ラキュスとストラメルは不足してきた消耗品を買い足しに宿の外へ出ている。
昨日と同じ席に居たティンナトール目掛け、真っ直ぐ歩みを進める。
「こんにちは。今日も来たわ」
「こんちは」
「今日はレオニクスなんですね。こんにちは」
チェラシュカはレオニクスを奥に座らせると、その隣に腰を下ろした。
今日も防音結界を展開すると、きっ! と目元に力を入れて、目の前のティンナトールに話しかけた。
ちなみに、この日のテーマは焦燥である。
「単刀直入に聞くわ。どうして依頼を受けてくれないの?」
「今日はそういうパターンですか……。何故かといえば、気が向かないからです」
「でも、私たちと話すのが嫌じゃないのはわかっているわ。あなたならもっと致命的な言葉で振り払えるはずだもの」
「あなたはよく人のことを見ているのですね」
チェラシュカはテーブルをドン、と叩く。ティンナトールの飲みかけのコーヒーが大きく波打った。
「ほら! そうやって本筋からズラそうとするんだから。報酬も提示したわ。私たちの必死さも伝えたわ。他に何が足りないっていうの? 何があれば気が向くっていうのよ。教えてよ!」
「チェリちゃん、落ち着いて……」
隣で慌てているレオニクスの方を向いて一瞬だけニコっと笑うと、すぐさま目の前のティンナトールに向き直る。
レオニクスは口を噤んだが、こちらを眺めるティンナトールは穏やかな笑みを浮かべたままだ。
「それを考えるのがあなたの役目では?」
「わからないから聞いているのよ!」
「役目を放棄するのですか? それは残念ですね」
「勝手に期待して勝手に残念がるのはやめて。私は望んでいないわ」
「なら私も依頼されるのは望んでいないですね」
「ならあなたの望みを教えてよ!」
チェラシュカが普段より声を張り上げると、ティンナトールは笑みを深めてじっとこちらを見てくる。半ば睨むかのようにぐっと見つめ返して、たっぷり十秒ほど経っただろうか。
隣からおろおろする気配が伝わってくる。
――ごめんなさいレオニクス、迷宮を抜けたらお肉を奢るわね……。
「ふっ。そうですね……例えば、あなたが欲しいって言ったらどうします? チェラシュカ」
明らかな揶揄いの言葉に、レオニクスが先に反応した。
「なっ……!?」
「却下よ。私は物じゃないわ。ふざけないで」
「ふざけているわけではありませんよ」
「もしかして、こんなにお願いしてるのに聞いてくれないのは、本当は迷宮のことをよく知らないで適当なことを言ってしまったから、誤魔化しているのではないの?」
「心外ですね。私よりあの迷宮を知っている人は誰も居ないでしょう」
「証拠がないわ」
「証明する義理もありませんね」
「もう! ティンナトールの意地悪! あなたのことなんてもう知らないわ!」
チェラシュカはティンナトールを睨みつけたまま席を立つと、そのまま店外へ向かった。
背後から、恐らくレオニクスが立ち上がった音や二人が何やら話す声が聞こえてきたが、構わずその場を後にした。
チェラシュカは宿の二階へ上がると、廊下で窓の外を眺めながら明日はどうするかを考え始めた。
表面上は、彼の反応は昨日と変わっていないと言っていい。一見進歩していないように見えるが、個人的には大きな収穫だった。
彼との交渉で最もしてはいけないことは、彼にチェラシュカたちがつまらないと思わせることである。彼はそう判断すれば即座に切り捨てるタイプに違いないので。
初日の彼は興味本位で自ら釣り針を垂らしてくれたが、彼の面白がる気持ちが減ってこちらに興味をなくしたとき、彼は一方的にその釣り糸を切ってしまえるのだ。
つまり、現状彼が圧倒的な主導権を握っており、こちらは非常に不利な戦いを強いられていると言える。
そこへ、焦った様子のレオニクスがやってきた。彼はこちらを見て、ほっとしたように顔を綻ばせた。
「チェリちゃん、その、大丈夫か?」
「突然でびっくりさせたわね、ごめんなさい。私は問題ないわ」
「そっか、良かった……」
「ティンナトールは何か言っていた?」
「それが、チェリちゃんは怒ってねえから大丈夫とかなんとか……どこに目が付いてんだって思うんだけど」
はあ、とレオニクスが溜息をついていたが、こちらとしてはその反応が聞けただけでも良かった。
「わかったわ。まあまあ想定通りね」
「……うん? ……もしかして、本当に怒ってねえの?」
「ええ。でもレオニクス、あれが見抜けないならいつか悪い人に騙されないか心配だわ」
自分の倍以上生きているはずのレオニクスだが、女性体に対しては色んな意味で弱いところを見てきたため、つい気にかけてしまう。
すると彼はへにゃりと眉を下げ、ぽつりと呟いた。
「オレは……チェリちゃんになら騙されてもいい……」
チェラシュカは彼をじっと見つめると、彼の鼻をつんと指で突いてニコッと笑った。「また後でね、レオニクス」と声をかけ、横を通り過ぎる。
チェラシュカが客室の扉を開けようとしたところで、彼の呟きが聞こえた。
「え、今の何? チェリちゃ……え?? どういうこと? は? なんだそれ可愛い……ん? 夢?」
扉の前で振り返ったチェラシュカは、呆然とした様子の彼にひらひらと手を振り部屋の中に入った。
◇◇◇
日参三日目。チェラシュカはストラメルを連れて再びカフェに訪れていた。
なお、ラキュスとレオニクスは例の如く情報収集に出かけている。
ティンナトールはこの日も同じ席に居た。店内に入ってすぐに目が合った彼は、こちらが席に着くのを待っていたようだった。
「こんにちは、ティンナトール」
「どうも」
「こんにちは。今日はストラメルなんですね」
チェラシュカは彼の向かい側に座ってもしばらく目を伏せたまま、何も話さないでいた。ほんの少し眉を顰め、視線を左右に彷徨わせる。
沈黙が少し気まずくなってきた頃に、小さな声で切り出した。
「あの、ティンナトール……昨日のことを謝りたくて」
視線を少し上げれば、変わらず微笑を浮かべるティンナトールと目が合う。すぐに目線を下げ、彼の前に置かれた湯気が立つコーヒーを眺める。
そうすれば、訝しむような視線が刺さるのを感じる。
「昨日は怒ったりしてごめんなさい……申し訳なかったわ」
「……構いませんよ。チェラシュカも必死なんでしょう」
「必死であることは否めないけれど、八つ当たりしていい理由にはならないわ」
「八つ当たりであの程度なら可愛いものですよ」
「優しいのね」
目を伏せたままのチェラシュカに、隣から「どういうことっすか!?」と言いたげなストラメルの圧を感じるが、ちょっと待っていてほしい。
彼が珍しく空気を読んでくれていることに、心の中で感謝しておく。
「今日は、謝りに来ただけだから……」
「おや、そうなんですか?」
「ええ。昨日一晩考えて、私は交渉をしているんじゃなくてただ無理強いしてただけだなって反省したの」
「へえ?」
「これだけ断るってことは、どうしても嫌なのでしょう? それなのに私ったら……」
「チェラシュカさん……」
労るような声色でストラメルに名前を呼ばれ、彼もやっぱり優しい子だなと感じる。
それはそれとして、今はしゅんとした状態をキープするべく交渉相手に意識を向ける。
「もっとあなたにとって、有益でまともな交渉材料を考えるわね」
「そこはまあ、頑張ってもらいたいところで、」
チェラシュカが顔を上げて彼と目を合わせると、彼は言葉を止めて息を呑んだ。
彼の視界に映ったのが、涙が今にも零れ落ちそうなチェラシュカの潤んだ瞳だったからだろう。
そっと瞬きをすると、涙が頬を伝った。少し目を伏せてからもう一度彼の目を見る。
「私、もう無茶なことは言わないわ。……ティンナトール、本当にごめんなさい」
そう口にすると、すぐに席を立ってその場を去った。
ティンナトールだけでなくストラメルも唖然とした様子だったが、彼には後でフォローしておこうと思う。
部屋に戻ったチェラシュカは、はあっと大きく息を吐いた。
嘘泣きなんて初めてしたが、上手くできていただろうか。泣き落としなど到底彼に通用しないであろうことはわかっていたが、試せることはなんでもしなければいけないのだ。
ただ、涙を流すにあたりペルシュカの事故のことを思い出して別の角度で精神にダメージを負ったチェラシュカは、もう二度と嘘泣きはしないと心に決めた。
ちなみに、今日のテーマは殊勝さであった。
しばらくするとノックの音がしたので、小さく扉を開けた。
その隙間から顔を覗かせたのは、心配そうな顔をしたストラメルだった。
中に入るかと聞くとここでいいと言われたので、扉付近で立ったまま話すことにする。
彼は少し屈むと、チェラシュカに顔を近付けた。
「あの……マジで大丈夫っすか? そんなに思い詰めてたなら、やっぱチェラシュカさん一人に任せるべきじゃなかったなって思ったんすけど……」
「ありがとう。びっくりさせてごめんなさい、私は元気よ。それよりティンナトールは何か言っていた?」
軽く尋ねてみたところ、彼は思いの外大きな声で話し始めた。
「あの人マジ最悪っすよ! 嘘泣きだから大丈夫とか……! なんか様子がおかしかったっすけど、泣いてる女の人を見てあの態度はマジでないっすよ!」
「あ、ごめんなさい。一応嘘泣きなの」
「……な、は、え!?」
彼は目を見開いて叫んだが、それほどわからないものなのだろうか。
でも、ティンナトールは気付いたようだし……。
「っはーーー、いや、マジで焦ったんすよ。ラキュスさんにガン詰めされると思って」
片手で頭を抱えながらそう言う彼に、チェラシュカは思わず笑ってしまった。
「ふふ、大丈夫よ。もしその、ガン詰め? されそうになったらフォローするから言ってね」
「あざっす。そんときはお願いするっす。まあそれより今はあの人っすよ。今までにチェラシュカさんが泣いたのを見たことがあるか、とか聞かれて意味わかんなくて怖かったっす」
「まあ。それは意味がわからないわね」
「よくわかんないっすけど、明日以降も気をつけてほしいっす」
「わかったわ」
彼が部屋に戻るのを見送ると、チェラシュカは扉を閉めて鍵を掛け、ベッドに腰掛けた。
明日はどうしようかと思考を巡らせる。たくさん褒めてみたし必死に食い下がってもみた。怒ってみたりちょっと煽ったり、泣いてもみせた。
彼の弱みなど探すだけで日が暮れるだろうから、脅すのは不可。昔どこかで読んだ色仕掛けというのも、要点がわからないので却下。
いっそ外に連れ出してみれば、何か突破口が見えるかもしれない。
とにかく彼の興味を引くような行動を――。
そんなことを考えていると、精神が摩耗したからか眠気がやってきた。
――夕食まではまだ時間があるから、少し寝ようかしら……。
そう考え、身体を後ろに倒してベッドに背を付ける。
しばらくすると、チェラシュカの意識は深い眠りの底へと沈んでいった。




