第二十九話 兆し
あの人。
どこで見たんだっけ……。
見覚えがある。
でも思い出せない。
「ヒカリさん? レン様?」
聞き慣れた声に振り返ると、アズルさんが早足でこちらへ向かってきた。
「どうしましたか?」
「あっ」
私は思わず声を上げる。
「肖像画!」
「……肖像画ですか?」
「風の神国で見たことがあるんだ」
私は記憶を辿る。
「シュルティさんの従姉妹で……」
「あの、すごく綺麗な人」
アズルさんの表情が僅かに変わった。
「……アストリッド様ですか?」
「そう!」
私は何度も頷く。
「そんな感じの名前だった気がする」
けれど。
首を傾げた。
「でも雰囲気が全然違くて……」
あの肖像画の女性は。
どこかシュルティさんに似ていた。
穏やかで。
優しそうで。
でも。
さっきの女性は違う。
同じ顔のはずなのに。
どうしても同じ人には見えなかった。
「まるで別人みたいだった」
アズルさんの顔色が変わる。
「……アストリッド様は、すでに亡くなられています」
「え?」
思わず目を瞬く。
「でも……」
確かに見た。
そう言いかけて、言葉を飲み込む。
「そっくりさん、なのかな……」
アズルさんは答えなかった。
ただ、その表情だけが事態の深刻さを物語っていた。
「皆さん」
穏やかな声が響く。
振り返ると、そこには姫巫女様が立っていた。
◇◇◇
席に着くと、姫巫女様が静かに口を開く。
「何か、あったようですね。お聞かせくださるかしら?」
私は先ほどの出来事を説明した。
話し終える頃には、部屋の空気が少し重くなっていた。
「そうでしたか……」
姫巫女様は静かに目を閉じる。
そして。
ゆっくりと目を開いた。
「皆さんのおかげで、状況が見えてきました」
「状況?」
私が聞き返すと、姫巫女様は小さく頷いた。
「アストリッドは、先の風の神王の娘でした」
静かな声だった。
「そして、自ら父を討った方です」
私は息を呑む。
姫巫女様は続けた。
「風の神国を救った英雄でもありました」
「そして――」
少しだけ言葉を選ぶように目を伏せる。
「風の王の婚約者でもありました」
「ヴェル様の?」
思わず聞き返す。
姫巫女様は頷いた。
その瞬間。
胸の奥がずきりと痛む。
何でもない。
そう思ったのに。
少しだけ苦しかった。
「しばらくは神殿の外へ出ないようにしてください」
「危ないの?」
レンが首を傾げる。
「少しだけ」
姫巫女様は優しく答えた。
「皆さんは大切なお客様ですから」
そこで一度言葉を切る。
そして。
私を見る。
「特に――ヒカリさんは」
「え?」
姫巫女様はすぐに微笑んだ。
「いえ。皆さん全員です」
何か言いかけた気がした。
けれど、聞き返す前に話題は変わる。
「アズル」
「はい」
「後ほどお話があります」
「承知しました」
そのやり取りを見ながら。
私は胸の奥のざわつきが消えないことに気付いていた。
何かが起ころうとしている。
そんな予感だけが胸に残っていた。
まるで。
静かな湖の底で。
何かが目を覚まそうとしているように。




