第十二話 お菓子革命
「いたぞーーー!」
「是非、あのパウンドケーキをもう一度ーーー!」
「待ってください!」
私は全力で廊下を走っていた。
後ろから追いかけてくるのは神官たちである。
神に仕える神官たちである。
基本穏やかな人たちである。
……だったはずだ。
ヒトは欲望に忠実なのだ。
神に仕える神官でさえも。
「みつけた!」
「逃げないでください!」
「材料ならこちらで用意します!」
怖い。
非常に怖い。
私は全力で角を曲がった。
そして。
誰かとぶつかりそうになる。
「わわっ!」
慌てて顔を上げる。
綺麗な顔が目の前にあった。
「女神!」
違う。
女神じゃない。
「王様っ! 助けてください!」
私は即座に助けを求めた。
後方から迫る神官たち。
ヴェルは状況を一瞥する。
そして。
「……来なさい」
そう言って私の手を取った。
次の瞬間。
景色が流れる。
風が頬を撫でる。
眼下には浮遊大陸。
雲。
空。
「わっ!?」
思わず声が漏れる。
飛んでいる。
私。
飛んでいる。
あまりのことに神官たちのことも忘れて景色を見つめていると、気付けば執務室へ到着していた。
「助かりました……」
まだ少しふわふわする頭でそう言う。
ヴェルはいつもの席へ腰を下ろした。
「甘味はあそこまで人を凶暴にするとは……」
自分で言っていて意味が分からない。
けれど事実だった。
ヴェルは何も言わない。
ただ静かにこちらを見る。
「数日前に、食堂へ焼き菓子を置いたんです」
クッキー。
パウンドケーキ。
フィナンシェ。
マドレーヌ。
シフォンケーキ。
異世界菓子研究の成果である。
「みなさんへのお礼だったんですけど……」
最初は好評だった。
喜んでもらえて嬉しかった。
だから毎日少しずつ作った。
それだけだったはずなのだ。
ところが日を追うごとに焼き菓子の人気は高まっていった。
置けばなくなる。
その速度は日に日に早くなる。
そしてある日。
「今日の焼き菓子は?」
そんな言葉を聞くようになった。
さらに数日後。
「私はシフォンケーキ派です」
「何を言う。フィナンシェこそ至高だ」
派閥が生まれた。
そして。
今に至る。
「どれも目新しい物ばかりだったからな」
ヴェルが短く答える。
しばらく沈黙が落ちる。
そしてふと気付いた。
「あのお菓子……食べたんですか?」
「食べた」
予想外の返事に目を丸くする。
「どうでした?」
思わず身を乗り出した。
ヴェルは少しだけ考える。
そして。
「ヒカリ」
初めて名前を呼ばれた。
一瞬、自分のことだと気付かなかった。
「美味しかった」
たったそれだけの言葉だった。
けれど。
なぜだろう。
とても嬉しかった。
「あ、ありがとうございます……」
少しだけ視線を逸らす。
なんだか落ち着かない。
「ずいぶんと元気になったようだな」
「そうですか?」
「初めて会った時とは別人だ」
そう言われて考える。
確かに。
この世界へ来たばかりの頃より、笑うことが増えた気がする。
「そうかもしれません」
そう言って笑うと、王様が微笑んだ。
その表情は、ほんの少しだけ柔らかく見えた。
気のせいかもしれない。
けれど。
なぜだろう。
胸の奥が少しだけ騒いだ。
◇◇◇
その後、私は料理長たちへレシピを開示した。
神官たちの争いは終わった。
……かに見えた。
焼き菓子は神殿を飛び出し。
街へ。
貴族へ。
風の神国全体へ。
広がっていく。




