第三十話 解放の条件
レンの身体が。
大きく震えた。
「っ……!」
黒い靄が。
身体へ絡み付く。
レンは苦しそうに顔を歪めながら。
必死に耐えていた。
それを見て。
胸の奥がひやりと冷える。
このままでは。
まずい。
その時だった。
「我が君。これ以上は、この身体が持ちません。」
紫の髪の男は、苦しげに肩を震わせた。
その言葉遣いも、表情も、どこか本人のものではない。
「あぁ。」
「せっかく、面白くなりそうだったのに。」
男は小さく笑う。
「やっぱり、適合率が悪いと居心地が悪い。」
「また、あの娘の身体へ戻るしかないか。」
私は息を呑む。
……あの娘?
誰のことだろう。
考える間もなく。
レンが苦しそうに呻いた。
「ぐっ……!」
黒い靄が。
さらに身体へ食い込んでいく。
「レン!」
思わず叫ぶ。
レンは歯を食いしばり。
必死に抵抗していた。
そんな姿を見て。
男は嬉しそうに笑う。
「レ〜ン〜君。」
「そんなに抵抗すると。」
「魂が壊れちゃうよ?」
その言葉に。
カグツさんの表情が変わる。
「レン!」
「無理に抵抗してはいけない!」
「魂に傷が付けば。」
「誰にも。」
「治すことはできない!」
レンは苦しそうに首を振る。
「嫌だ……!」
黒い靄が暴れる。
まるで。
レンの抵抗に応えるように。
男は楽しそうだった。
「ああ。」
「中々暴れん坊だね。」
「嫌いじゃないよ。」
私は。
ぎゅっと拳を握る。
何か。
何かできないの。
でも。
今の私じゃ――。
カグツさんが静かに前へ出る。
「……一つ。」
「聞いてもいいかい。」
男は笑みを浮かべたまま頷く。
「何かな。」
「もし。」
「私が。」
「その子の代わりになると言ったら。」
「レンは。」
「解放してくれるかい。」
一瞬。
静寂が訪れた。
男は声を上げて笑う。
「あはは。」
「泣けるね。」
楽しそうに。
だけど。
どこか懐かしむように笑った。
「私も。」
「人の親だったからね。」
「叶えてあげたい気持ちは。」
「あるんだよ。」
一拍。
レンへ視線を向ける。
「でも。」
「やっぱり。」
「この子の方がいいな。」
その瞬間。
一歩前へ出たのは。
ヴェル様だった。
「……そこまでだ。」
静かな声だった。
ヴェル様はレンへ手をかざす。
風が舞う。
いや。
風ではない。
神力そのものが。
レンを包み込んでいく。
黒い靄が。
わずかに動きを止めた。
男は目を見開く。
「……。」
そして。
小さく笑った。
「なるほど。」
「神力そのものへ干渉するのか。」
「面白い。」
「そんな使い方ができるとは。」
ヴェル様は何も答えない。
ただ。
静かに神力を流し続ける。
「カグツ様。」
「長くは持たない。」
その一言だけだった。
カグツさんは小さく頷く。
「十分だ。」
「ヴェル君。」
「そのまま頼む。」
「承知した。」
ヴェル様の額に。
うっすらと汗が滲む。
その隣で。
ヴァスキさんは。
罪もない死者たちを傷付けぬよう。
細心の注意を払いながら。
襲い掛かる亡者を迎え撃っていた。
私はただ。
レンを見つめることしかできない。
お願い。
負けないで。
まだ、ここにいて。




