第37話 過去との対峙
「懐かしいね、なっちゃん」
「そうね、りっちゃん」
「……」
駅舎を出ると、ムワッとする熱気に包まれる。
8月も下旬の夏の日差しの中、目の前に広がるのは、灰色の風景。
何の変哲もない、どこにでもありそうな地方都市。
今、梨沙姉と一緒に住んでいる街から新幹線で1時間半、そこから更に在来線に乗り換えて30分。
俺たち3人にとって故郷となる街である。
それにしても、相変わらず面白みも無い街。
両隣に立つ梨沙姉と夏月は懐かしがっているが、俺にとっては、つい半年前まで住んでいた街。懐かしいも何も無い。
むしろ今となっては、嫌な思い出しか無い。
梨沙姉と夏月がいなくなってからの茨の日々。それを思い出して、「はあ」とため息を漏らす。
何でこんな嫌な思い出しか無い街に来ているのか。しかも梨沙姉や夏月と一緒に。
それは、数日前、梨沙姉の誕生日プレゼントを相談したのが切っ掛けだった。
「旅行?」
梨沙姉の提案に困惑する。
梨沙姉への誕生日プレゼントを何にするか。
梨沙姉なら、何を贈っても喜んでくれるだろうとは思いつつ、それでも、少しでも彼女の好みに沿うものを贈りたい。だから、思い切って直接聞いてみたのである。
それに対する回答が「一緒に旅行しよ」だった。
「え、と、一緒に旅行って、お泊りで?」
「そうだね。ちょっと遠いから一泊しようか?」
えええっ⁉ お泊り旅行? いや、いくら従姉弟同士とは言え、男女でお泊りなんて。
そもそも「ちょっと遠いから」って行く場所もう決まってるのか?
その疑問に対する回答は、さらに想像もしていないものだった。
「一緒に里帰りしよ。……なっちゃんも一緒に」
──という訳で、こんな面白くも無い街にやって来た。
それにしても、誕生日旅行として梨沙姉と来るのはまだわかる。何で夏月まで一緒に来てるんだ?
そりゃ、俺たち3人は幼馴染同士で、夏月にとっても、この街は生まれ育った街で、それはわかるんだけど、3人で来る理由がさっぱりわからない。
梨沙姉の口ぶりだと、夏月が来るのは最初から決まっていたような感じだったけど。
まあ、今は考えても仕方ないか。
「梨沙姉も夏月も、バス停はあっちだよ」
俺の実家までは、ここから更にバスに乗って10分ほど。駅前のタワマンに住んでる現状がいかに恵まれてるかわかるな。
ただ、梨沙姉の回答はここでも予想外。
「ううん、ちょっと歩いて行こ」
「え、歩いて行くって、30分はかかるよ。このクソ暑い中、ホントに歩くの?」
「そ。懐かしい風景を眺めながら行こうよ」
その答えに「はあ」と嘆息する。
仕方ない。俺にとっては僅か半年ぶりでも、梨沙姉にとっては5年以上ぶりだ。彼女の誕生祝に来た旅行なのだから、彼女の希望を優先すべきだろう。
てくてくと歩き始めて15分ほど。
商業施設は影を潜め、住宅街に入って来ている。
見渡しても目に入るのは民家や小さな飲食店位。
こんなつまらない風景でも、梨沙姉や夏月にとっては懐かしく映るのだろうか?
そう思っていたら、梨沙姉から声を掛けられた。
「ねえ、了君。覚えてない? この辺り」
この辺り? 何の変哲も無い住宅街だけど。
見まわしても特に気になるようなものは無い。
だいたい、この辺りは実家から学校への方向とは反対側。
家と学校の往復しかしてこなかった俺にはなじみが薄い。
「覚えて無いよ。何かあったっけ、この辺?」
その答えに、梨沙姉はちょっと複雑そうな表情を浮かべたけど、一歩下がると、右手で俺の左手を取った。
「これでも?」
その姿を改めて眺めて……いや、さっきまでと何が違うんだろうと思って──その時。
バンッ!と頭の中に一つの光景が浮かび上がった。
泣いている幼い梨沙姉と、彼女と繋ぐ俺の手……
そう、あれは確か──
「……俺、ここを歩いたことがある。梨沙姉と一緒に……」
梨沙姉はちょっと泣きそうにくしゃりと顔を歪めて、それから嬉しそうな笑顔を浮かべた。その手にさらに力を込めて。
「そうだよ。ここは了君が私を助けてくれたところ。私のヒーローになってくれた場所」
「ここが……」
改めて周囲を見回す。
そうしていると、次々とあの時のことが思い出されてきた。
あの時……ずっと年上のお姉ちゃんだと思ってた梨沙姉が泣いちゃって、俺はどうしていいかわからなくて。でも、俺は男の子だから、梨沙姉を守らなくちゃって、そう、思ったんだ。
どうして忘れていたんだろう。こんな大事な思い出を……
幼かった日々に思いを馳せていたが、その思いは夏月の声に中断された。
「早く行きましょ。熱中症になっちゃう」
実家に着き、早速エアコンを起動する。
「はあ、電気のありがたみを感じるね」
何、年寄り臭いこと言ってるの、という目を梨沙姉と夏月が向けてくるけど、実感なんだから仕方ないだろ。
この家は半年近く、空き家になっている。
母さんの赴任期間は3年。
父親も配偶者赴任休暇制度なんてもんを使ってついて行くとなった時、この家をどうするかは問題になった。
賃貸に出すことも考えたみたいだけど、トラブルがあるといけないし、何より荷物を預けたりが面倒くさいということで、空き家のままにすることになった。
今は母親の会社が契約しているセキュリティ会社を通じて保守管理をお願いしている状況。
里帰りするにあたって、セキュリティ会社に連絡して、一時的にガス・水道・電気を使えるようにしてもらったのだ。
「お風呂湧いたから二人、先に入って」
汗を流してもらおうと声を掛けたら、二人して顔を見合わせている。かと思うと、お互いにどうぞどうぞと先を譲り始めた。
もう、そんなのじゃんけんででも決めればいいだろ、と思ったところで、梨沙姉からいきなり提案。
「じゃあ、一緒に入る? なっちゃん」
その提案に、俺も夏月も固まってしまう。
ま、まあ、女の子同士だから、一緒に入るのは別におかしくも何とも無いよな、うん。
「やめとく。これ以上格差を見せつけられたくないし」
夏月の目は、梨沙姉の一点、いや二点を凝視していた。
「とにかくりっちゃん、先に入ってて。私は近くのスーパーで今日の食材を調達してくるから」
「……うん、わかった」
ん? 一泊しかしないし、普通に外食だと思ってたんだが、何か作るつもりなのか?
いずれにしても、買い出しに行くなら荷物持ちが必要だろう。
「夏月、俺も行こうか?」
「いいから、高科君はゆっくりしてて。久しぶりの実家なんでしょ」
そう言うと部屋を出て行こうとして振り返った。
「りっちゃんと一緒にお風呂に入ったらダメだからね」
「入る訳無いだろ!」
全く何考えてるんだか。
そう思って振り返ったら、顔を真っ赤にしている梨沙姉と目が合った。
「……一緒に入る?」
「入る訳無いだろ!」
全く何考えてるんだか。
その後、夏月が買ってきた食材でカレーを作って食べた。後は就寝までダラダラするかと思っていたのだが、夏月が声を掛けて来る。
「高科君もりっちゃんもちょっと付き合って欲しいところがあるんだけど」
え、今から? もう日も暮れて真っ暗になってるけど、今から出るのかと思ったが、梨沙姉はあっさりと同意して出かける準備を始めた。
こうなると行かないわけにはいかない。こんな暗い中、女の子だけで歩かせるわけにはいかないし。
そうやって、夏月について行ったんだが、この道は──
「なあ夏月。もしかして学校に向かってる?」
歩いているのは、小学校の時の通学路だった。
「そう。みんなの思い出が残る学校に行ってみたくて」
マジかよ、と言うのが正直な気持ちだ。
あの学校には今や悪い思い出しか残っていない。
しかもこんな時間だ。校門は閉鎖されているだろう。
でも夏月は迷いない調子で歩みを進めて、閉鎖されている校門を乗り越えて──
「大丈夫なのか、これ? 宿直の先生とかに見つかったら大ごとになるんじゃ?」
「大丈夫だよ。私たち在校生だったんだから」
おい、夏月。お前、そんなキャラだったのか?
まあ仕方ない。どうせもう不法侵入した後だ。
そう覚悟して目の前に広がる校庭を見渡す。
「校庭って、こんな小さかったんだな」
小学生の時は広く感じたのに、今になって見るとたいして広くない。
そうやって、しばらく辺りを見回していたら、突然、後ろから掛けられる声がある。
「彩名さん、どうしたの? こんな所に呼び出して」
その声に驚いて、振り返った俺は言葉が出なかった。
成長して、外見は少し派手になっている。
でも、見間違えようが無い。
藤堂美紀。
かつてのクラスメート。俺をいじめていた女子グループの中心。
何故、彼女がここにいる?
夏月が呼び出した? 何故?
彼女がチラリとこちらを見た。
その視線に、また、あの風景が浮かび上がって来る。
凍えるような、蔑みの視線。
違う。幻覚だ。ここにクラスメートはいない。彼女を除いて。
だが、目の前の彼女は現実だ。
心臓が早鐘を撃つ。
頭に血が上って来る。
何かが胸の奥からせり上がって来る。
気持ち悪い、きもちわるい、キモチワルイ
ぐらり、と地面が揺れた……気がした。
「了君⁉」
小さな叫び声。梨沙姉の声が遠くに聞こえる。
気が付いたら、俺は、地べたにへたり込んでいた
鬱回が続いておりましたが、次回、いよいよ中盤最大のクライマックス。
4月10日(木)20:00頃更新。
第38話「私の全てをあげるから」。お楽しみに。




