第38話 私の全てをあげるから
「了君、大丈夫⁉」
うずくまってしまった俺の背を梨沙姉が一生懸命さすってくれる。
彼女の優しさ、それが掌を通じて伝わって来る。
「ご、ごめん、もう大丈夫」
立ち上がった俺を彼女が支えてくれた。
それで漸く立っていられる。
情けない。
過去の記憶にいつまでも囚われて。
「あの人、大丈夫?」
夏月に藤堂が聞いているのが、こちらにも聞こえる。
問われた夏月は、こちらをチラリと見て、梨沙姉に何か目配せしたようだった。そのまま、藤堂との会話を続ける。
「それにしても彩名さん、どうしたの? こないだの同窓会にも突然出席して、またすぐこっちに来て」
「ちょっとね。調べたいこともあったし……」
……同窓会。そうか、恐らく盆休みの時にでも開催されたのだろう。相変わらず、俺の所には案内来てなかったけど。
でも、夏月は出席していたというのか? そして10日もしないうちにまたやって来たと。
「まあいいけど。て言うか、いい加減、あの二人が誰か紹介してくれない?」
藤堂がこちらを興味深そうにのぞき込む。俺は顔を合わせないように目を逸らした。
そこに響く夏月の声。さっきまでの和やかな態度とは打って変わった冷たい声。
「覚えてないの、藤堂さん? あなたが壊してしまった相手なのに」
「は?」
いきなりの糾弾に、意味が分からないと言った表情を浮かべた藤堂だったが、こちらを改めて見ると、顔を青ざめさせた。
「え? 高科? マジ?」
「そうよ、高科君。あなた達がいじめてた、ね」
驚いた表情を浮かべていた藤堂だったが、夏月の糾弾を受けて、その顔が怒りに歪む。
「どういうこと⁉ あんな奴連れて来て! 何か言いたいことがある訳⁉」
「不思議に思ってたのよね。私に暴言を吐いたにしても、それでいきなりクラス中の女子が敵になるなんて。何かきっかけが無ければあり得ない」
藤堂の怒声に怯むことなく、夏月はむしろ淡々と説明を始めた。
「だから同窓会の時にみんなに聞き込みをして回ったの。あの時、何があったのか。そうしたら、あなたがみんなに『高科生意気だからハブってやろう』ってチャットを送って来たって証言が複数あったわ」
「……」
「で、あなたがそんなチャットを送った理由だけど……あなた、本当は高科君のこと好きだったんでしょう?」
「!!」
藤堂の顔が怒りから、驚きとも焦りともつかない表情に塗り替えられていくが、夏月はそのまま言葉を重ねる。
「私が教室を飛び出て行った時、あなたが高科君に何か話しかけて、振り払われてるのを見たって証言が、これも複数あるのよね。恐らくだけど、高科君と私が喧嘩したのを見てチャンスだと思って近づいたのに邪険にされて逆恨みした……ってとこかな?」
あっ!と思う。確かに、あの時、誰かに声かけられた。それなのに、いっぱいいっぱいだった俺はそれを振り払ってしまった。
もう、誰に声を掛けられたのかも、何を言われたのかも覚えて無いけど、あれは藤堂だったのか。
「本当に何が言いたいわけ⁉ 謝れとでも言いたいの⁉」
「私はただ真実を……」
「もういいよ、夏月」
もう見たくなかった。
夏月が俺の代わりに怒ってくれてるのはわかってる。
それでも──
「そんな風に夏月が他人を責めてるのを見たく無いよ」
何より、俺は知らないうちに多くの人を傷つけていたのだ。夏月だけでなく。
「藤堂さんもごめんなさい」
「⁉」
「藤堂さんの気持ちも知らないで、邪険にして。俺は夏月だけじゃ無くて、藤堂さんも傷つけてたんだな……」
「あ……」
藤堂が顔を覆ってしまった。漏れ出るのは涙ながらの懺悔。
「あんなことになるなんて思ってなかったの! ただちょっと仕返ししてやろうって軽い気持ちで……。何度も止めようって思った。だけど今さら止めたら矛先がこっちに向いて来そうで、怖くて……。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
膝を折って泣き続ける藤堂を見ながら、俺の心は……虚無だった。
何のために夏月がこんな場をセットしたのかわからない。確かなのは、俺がいろんな人を傷つけてきたと言うことだけ。
「夏月、俺、帰るよ……」
その場に留まっていたくなかった。
硬い表情のままの夏月も、泣きじゃくる藤堂も、もう見ていたくなかった……。
自宅に戻って自室のベッドの端に腰掛けながら、何をする気力も無く、天井を眺めている。
電気をつけるのすら億劫で、窓からわずかに漏れる外の光の中、ただ縮こまる。
その時、控えめにノックがされた。
「了君、入るよ」
入ってきたのは梨沙姉だった。
ギシリと音がして、梨沙姉が俺の隣に腰掛ける。その手が、俺の頬にツイと伸ばされた。
「大丈夫、了君?」
「大丈夫だよ」
強がってしまう。違う、強がってなければ、今にも崩れ落ちそうなんだ。
そんな俺に、梨沙姉はどこまでも優しくて──
「辛かったら言ってね。頼りないかもしれないけど、私は了君の味方だから」
その優しさは本物で、それはわかり切っていて、でも、素直に受け取れない。
「俺にそんな優しくされる資格なんか無いよ。見てたでしょ。俺、夏月だけじゃ無くて、藤堂さんも傷つけて──。いじめられたとか……とんだ自業自得だ」
「……」
「今でもあの時のことを思い出すんだ。クラスメート全員が俺を見てる。その視線が言ってるんだ。『俺には人を愛する資格も、愛される資格も無い』って。全くだよな」
「そんなこと無い!!」
突然の大声に驚いて梨沙姉を見ると、彼女の顔には憤りがあった。哀しみがあった。その瞳には涙が浮かんでいた。
「了君は確かに罪を犯したかもしれない。でも、もう十分すぎるくらい罰を受けてる! もう許されてるよ。許されてなきゃ……おかしいよ!」
「でも……」
「だいたい、『愛する資格も、愛される資格も無い』って何? クラスメートの子達にそんなこと言う資格あるの? 神様でも無いのに!」
「梨沙姉……」
圧倒されていた。彼女の必死さに、真摯な主張に。
そして、そんな彼女の次の行動は、予想もできなかったもの。
倒れこむように彼女が抱き着いて来た。
その瞳が近い、そう思った次の瞬間──
唇を奪われた!
いつぞやの事故で唇を合わせた時とは違う、柔らかな感触が口を覆っている。
頭の中が真っ白になった。
唇が触れていたのは10秒にも満たない僅かな、でも、永遠にも感じる時間。
その唇が離れた。だけど腕は俺を抱きしめたままで──
彼女の視線が、俺の瞳をまっすぐに捉えた。
「あなたが好き! 大好き! 子供の頃からずっと。ここにあなたのことを好きで好きでたまらない女の子が一人いるの。だから、『愛する資格も、愛される資格も無い』なんて、悲しいことを言わないで!」
それはまるで、頭を強く殴られたかのような衝撃で──
呆然としている俺の目の前で、さらに梨沙姉は止まらなかった。
着ていたTシャツを脱ぎ捨てる。それから背中に手をまわし……最後の一枚、それを止めていたホックを外した。
窓から差し込む淡い光に照らされて、梨沙姉の柔らかな裸身が露わになる。
何も言えなかった。
息を呑むほどに美しくて──
それ以上に、梨沙姉の行動に理解が追い付かなくて──
梨沙姉は、そんな、事態に追いつけないままの俺の手を取ると、自らの胸に導いた。
「了君にだったら、嫌じゃ無いよ、私」
「梨沙姉……」
「私の……全てをあげるから」
手に吸い付くような、しっとりとした肌。指が沈み込むように柔らかで、それでいて張りのある膨らみに、意識の全てが吸い込まれそうになる。
ああ……
彼女が訴えている。
言葉だけでは無く、全身で。
愛していいのだと。愛されていいのだと。
そして……愛していると。
彼女の想いが嬉しくて、涙が出そうで、どうしようもなくて。
でも、だからこそ……
「ダメだよ、梨沙姉」
俺は梨沙姉を押し剥がした。
「どうして……?」
断られるとは思ってなかったのかもしれない。呆然としている梨沙姉に想いを告げる。
「梨沙姉の気持ちは凄く嬉しいよ。本当に。でも、だからこそ、今、梨沙姉の優しさに溺れちゃったら、どこまでも堕ちて行きそうだから。ダメになってしまいそうだから」
「……」
「待ってて欲しい。必ず答えを出すから。答えを見つけたら、俺の方から伝えるから。梨沙姉に胸を張れるように」
「……わかった」
梨沙姉は部屋を出て行った。
その背に誓う。
きちんと向き合うと。彼女の想いに。
ずっと俺のことを好きでいてくれた、彼女に想いを馳せ──
いつの間にか、この街に来て以来、ずっと感じていた苛立ちや嫌悪が消えて行くのを感じるのだった。
本作品の最重要エピソードの一つ、第38話「私の全てをあげるから」、いかがだったでしょうか。
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次回は、この里帰りの裏事情について、梨沙視点から描きます。
4月11日(金)20:00頃更新。
第39話「どっちが勝っても恨みっこ無し!」。お楽しみに。




