彼女の覚悟 前編
旅の直前から終わり頃のコレット視点です。
『せかいでいちばんステキなゆびわをくれるなら、カイトのおよめさんになってあげてもいいわよ?』
『ほんとう!?やくそくだよ!コレットはぼくとけっこんするんだ!』
六歳の頃に交わした幼い約束。あの頃は純粋に信じていた。この約束が、破られることなんてないと──
◆◆◆
大国サランバルト東の国境付近。100年ほど前に当時の国王の命令で森を切り開いて作られたいくつもの開拓村のひとつ、トルカ村。
「エイデン地方トルカ村のカイトを、サランバルトの勇者に任命する!これは大変栄誉なことであり、該当する者は速やかに姿を現すこと!もし隠し立てした場合……」
片田舎の村には似つかわしくない、煌びやかな衣装に身を包んだ男が、村の広場の真ん中で両手に紙を広げ、仰々しく声を張り上げている。
「このおじさん誰ー?いつきたのー?」
「カイトが勇者?勇者ってなんだ?」
「えっと……勇ましくて……勇敢な人ってことよ」
「へー、じゃあカイト兄ちゃんにピッタリだね!こないだも村の外に出た緑色のイノシシに体当たりしてやっつけたもん!」
朝から畑仕事に出ていた大人や、その周りで手伝いをしたり走り回って遊んでいた子ども達が、滅多にない非日常の光景になんだなんだと集まって喋り出した。
「ええい!うるさい!うるさい!田舎者は勇者すらまともに知らんのか!とにかく、この村で暮らすカイトという男を連れてこいっ!これはヘリオス陛下直々の命であるぞ!」
「おいおい、このあんちゃんが一番うるせえだろ」
「ちょっと大丈夫なの?誰かカイトに今日は家から出ないようにって伝えた方が……」
「あのー、僕がどうかしたんですか?」
「あっ、カイト兄ちゃーん!遊ぼー!」
田舎も田舎、住人全員が顔見知りの小さな村、トルカ村にて。
魔王復活のたび世界のどこかで聖剣を操る力を宿し、魔王討伐の使命を持って産まれる勇者。
それがこのサランバルト国エイデン地方、トルカ村に暮らすカイトという名の少年であるとの神託が王都セレンティーヌ教会に所属する大神官の元にくだったこと。
その少年を見つけ次第、迅速に王都へ連れてくるようにとの命令が現国王ヘリオスによって発せられたことが、騎士により粛々と説明された。
◆◆◆
「いたっ……あらやだ、血が出たかしら?」
もう目をつむっても変わらない程慣れた動きで編み棒を操っていたところ、不意に指先に小さな痛みが走り手を止める。どうやらいつのまにかできていた棒のささくれに指を引っかけてしまったらしい。傷の具合を確認するためコレットは宙に手をかざした。
「うん、ちょっと皮が切れただけね。よかった、白い毛糸に赤い血が滲んだら目立っちゃうもの」
季節は秋。幼馴染のカイトがこの国の勇者に認定され、慌ただしく旅立ってから一年と少し。
十歳の頃から毎年冬が来る前にカイトに贈っている手編みのセーターを今年も編みながら、コレットはあの日カイトと交わした最後の会話を思い出していた。
『カイト、どういうこと!?貴方が勇者に選ばれて、魔王を倒すために村を出なきゃいけないなんて』
『ごめんコレット。なんかそうみたい。あの人、転移紋っていう貴重な魔法陣を持ってて、それで今すぐにでもお城に飛ばなきゃいけないんだって』
『そんな……どうしてもカイトじゃなきゃダメなの?それこそお城の騎士様にだって強い人は沢山いるじゃない』
『うーん……魔王は勇者にしか持てない聖剣でしかトドメをさせないみたいだから……でもほら、魔王ってあの、倒すと心臓から綺麗な石が取れる魔物の親玉でしょ?きっと世界一大きくて綺麗な石が取れるはずなんだ!」
『そんな石なんて、私は……』
『待っててコレット。世界一綺麗な石で世界一素敵な指輪を作って帰ってくるから!』
『あ、ま、待ちなさいカイト!』
その直後、いつのまにかすぐ近くに来ていたお城の騎士様が『転移紋』という紙を広げた瞬間、カイトもろとも一瞬で消えてしまった。
それ以来ずっと、コレットはカイトの帰りを信じて待っている。ただ魔王を倒す旅はまだ途中らしく、無事でいること以外は何もわからない。
今編んでいるセーターも今年の冬までに渡せそうにないし、カイトが帰る頃にはもうサイズも合わなくなっている可能性は高いが、作らないという選択肢は無かった。
────トントン。
そのとき、誰かが家のドアを叩く音が聞こえた。
暫く町に滞在するはずだった父が予定を変えて帰ってきたかと思うも、それならそのまま入ってくるはず。
「ここにトルカ村村長ジャックの娘、コレットが住んでいると聞いた。勇者カイトのことで話があるのだが、ここを開けてくれぬか!」
どうやらお客さんらしい。それも聞き覚えのない声と口調からして、町の方かもっと都会から来ている。
コレットがドアを開けると、やはり村では見かけない、都会の騎士のような風貌の男性が立っていた。
「こんにちは。私がコレットです。お話とはなんでしょうか?今、お茶を淹れますね」
「いえ結構。ガサツで丈夫な田舎者と違って都会の人間は繊細なのでね。なんの草で淹れたかもわからない茶など飲んで腹を壊したらたまったもんじゃない」
ただし、頭に"招かれざる"という形容詞がつきそうだが。
◆◆◆
「ウォッホン。単刀直入に言おう。トルカ村の村長の娘、コレットよ。いずれ公爵となる勇者カイトの正妻の座からは大人しく身を引いていただきたい」
一瞬叩き出そうかと思ったものの、最初に言っていたカイトの話というのが聞き捨てられず、コレットは男をとりあえず茶も何もないテーブルに着かせた。
そして椅子に座ってすぐ、不機嫌そうに顔を歪めた男が名乗りもせずにそう言った。
「何故そんなことを言われなくてはいけないのですか?そもそも、カイトは公爵になんかなりません。勇者の役目は魔王を倒すことでしょう。倒した後のことまで指示される謂れはないはずです」
コレットは男の顔をキッと見据える。
そんなコレットを馬鹿にするように、男は鼻を鳴らして懐から何かを取り出した。
「ふん……娘よ、これが読めるかな?」
バサリとテーブルに広げられたのは、いくつかの写真と沢山の文字でびっしりと埋まってる紙の束──新聞。
値段はもちろん、そもそも識字率の低さゆえに田舎では滅多にお目にかかれない、都会の娯楽や情報の源。
「読めますよ。勇者一行、夫婦星の下で結婚の誓いを立てる。魔王を倒したその時は……ですよね。ライデン社の新聞、私も購入しています。ここが一番カイトのことを大きく扱ってくれますから」
「なっ……」
しかし、コレットに特に動揺は無かった。もともと村長である父が税を納めに行くのに同行した町中の店先で見つけて以来、カイトの記事があるたび同じ出版社の新聞を購入しているからだ。
そこには『勇者カイト、聖女セレーネと暗闇の中手を取り合い愛の告白!聖女セレーネの答えは!?』『賢者と勇者の早朝デート密着!二人仲良く新魔法開発、お似合いの二人』など、勇者カイトとその旅の仲間であるセレーネ姫たちとの恋物語が延々と綴られていた。
「浮気調査のつもりかな?だが残念、ここに書かれていることは……」
「デタラメです。記事を売るためなら、こういうゴシップが一番効果的ですから。でも、旅路や怪我の有無までは嘘をつく必要無いですよね」
カイトが心変わりしたなどという心配は一切していない。コレットが少しずつ私物を売ってまでこの悪趣味な新聞を買い続けるのは、ただカイトの無事を、旅の終わりを確かめる、それだけのためだった。
父のジャックは家の金で買っていいと言ってくれたものの、村長であるこの家の金は元は村の農作物などで稼いだものなので、単なる自己満足のために手を付けることはしたくない。
「ゴシップ……ははっ、多少は賢いかと思ったが、所詮は田舎娘か」
だが一瞬怯んだ様子を見せたものの、男はすぐに嘲るような笑みを浮かべる。
「有名人のゴシップ記事が売れる、それはその通り。しかしだ、賢しらな娘よ。平民の記者が本当に好き勝手に書けるのは、舞台俳優や成金商人のような、有名と言えど同じ下等生物である平民相手だけだ」
「……」
コレットを、というより平民を同じ人間とも思っていないのだろう。成長途中に何らかの影響で捻くれてしまったわけではなく、生まれながらの当然の価値観として。
「高貴なる人間……王家や公爵家に連なる存在を、平民記者ごときが食い扶持にして何のお咎めがないと思うか?勿論あり得ない。しかし現状これらの新聞は滞りなく世に出回っている。どういうことかわかるかな?」
「利益があるのでしょう。勇者カイトと王女殿下達のお話が世に出回った方が、王家に」
わかりきったことを賢しらに問うてくるものだから、コレットも仕方なく答えてやっただけだというのに、男は明らかにムッとした顔をした。まるで期待が外れたように。
「……ふん!では、王家にとって利益がないと……どころか害があると見做された場合はどうなるか、明日見せてやろう。君が賢い判断をしてくれることを願うよ」
そう言って立ち上がると、男はさもとても汚いところに腰掛けていたかのように念入りに身体を払い、去っていった。




