勇者がいた国 後編
サランバルト国王城にて。武のリーザベルト侯爵家当主グレイヴと、叡智のルーン公爵家当主ザルガラ、そして国王ヘリオスがある重大な事実を確認するため一室に集まっていた。
「馬鹿な……馬鹿な……望むものはすべてここにあるのだぞ。勇者が自ら命を……など、そんなことあるはずがない、あるはずがないんだ」
両手で頭を抱えたヘリオスが、己に言い聞かせるように繰り返す。
そこに、かつて同じ部屋で密約を交わしたときの、自信と余裕に溢れる国王たる姿は微塵も残っていなかった。
「そ、そうですとも、そうですとも!他に何か理由が……そうだ、きっと転移紋が不完全だったに違いありません。申し訳ありません陛下、こんな出来の悪いものを献上しようなどとしてしまい」
国王と同じかそれ以上に狼狽えたザルガラが言う。
魔法開発において右に出る者無しと称えられるルーン公爵家の誇りさえ、この受け入れ難い現実を否定するためなら捨て去れるらしい。
「おい、今更だが……勇者は、本当にお前が言うものを寄越せと言ったのか?富と地位はもちろん、クロエも含め複数の見目の良い高貴なる女を嫁に寄越せと」
狼狽する二人の様子を見比べながら、グレイヴには気にかかることがあった。
脳裏に浮かぶのは魔王を倒す旅の直前、聖剣の扱いに慣れるためにとリーザベルト騎士団に混じり鍛錬に励んでいた勇者の姿。
そのときには既にヘリオスから勇者が魔王討伐の褒美としてとびきりの美女たちを複数妻に望んだこと、それ故の三家による密約を聞かされていたことにより色眼鏡で見てしまっていたが、思い返せばただひたすら懸命に剣を振るっていたあの少年が、そのような欲に塗れた要求を王にしていたとはどうも信じ難い。
「そ、そうだ!我は確かに聞いたのだ!あの選定の儀の日、『魔王を倒した暁には、山ほどの金銀財宝なり、美しく高貴なる女との婚姻なり、望むものを与える。さぁ、述べてみよ』と言ってやった我に、勇者が『そんな畏れ多い、平民の自分には分不相応なことです』と答えたのを!」
グレイヴの疑問を聞いた瞬間、ヘリオスは弾けるように頭を上げて叫んだ。まるで前も後ろもわからない深い霧に包まれていた中で、一筋の光が差し込んだように。
「……お、お前は、何を言っているのだ。俺には、勇者は何一つ望んでなどいなかったように聞こえるぞ?」
対するグレイヴは、己が代わりに霧に包まれたような気になってしまった。当然何の光明も見えずヘリオスに聞き返す。
「わからぬのか!?『望むものを述べよ』と問われ、勇者は『平民の自分には分不相応なこと』と答えた。それは、『平民の地位のままでは絶対に叶えられないことを望む』という意味に他ならない!」
先程まで失っていた自信を取り戻したのか、ヘリオスは立ち上がり大袈裟な身振り手振りで熱弁を振るう。
「勇者の功績があれば金や名誉や屋敷、妻もひとりまでなら手に入れられる。だが正式な妻を複数持つことだけは、平民のままでは決して叶わない。勇者カイトは王都にて初めて高貴なる女達を見て、その田舎娘などとは比べ物にならない美しさに1人のみならず2人3人以上も欲したに違いない。そのために公爵以上の地位と合わせて、我に要求してのけた!」
そう、歴代最強の素質を叩き出したとはいえ、本人はそれを知らず、魔王討伐どころか旅に出るための訓練すら参加していない段階で、王家に次ぐ爵位を、選りすぐりの美女達を寄越せと言外に求めたとんでもない強欲を秘めた男。
そんな勇者だからこそヘリオスは他国の誘惑、勧誘に簡単に靡いてしまう可能性を考え、ルーン公爵家並びにリーザベルト侯爵家と密約を結んで外堀を固めた。勇者のその傲慢で俗物的な性格を踏まえ、先回りして望む環境を用意してやっていた。
己のしたことは何も間違っていないと、強く拳を握りしめる。
「仰る通りです、陛下!それに比べてグレイヴ殿、貴方は相変わらず昔から言外の意味をというものを察せないのですね。高位貴族として、敢えて本意をハッキリとは口にせずそれとなく示す駆け引きも、それを正しく読み解く技術も当たり前に学んでいることで……」
ヘリオスに続き、同じ希望の光を見たザルガラも追従する。
これですっかり立場が逆転したと思い込んだのか、得意げに解説まで始めようとした。
「俺にすら難解な貴族の婉曲表現を、生まれも育ちも平民の少年が使うはずがあるか!」
「なっ……」
しかしその希望は、壁をも揺るがすグレイヴの怒声によって無惨にも打ち砕かれた。
「お前達が散々馬鹿にしていた、田舎中の田舎から無理矢理連れ出した少年だったんだぞ!選定の儀ではまだ16にもなるかならないかだ!学校にも通ってない!複数の妻を持つ条件はもちろん、爵位の名や順位すら覚束無かったに決まっている!」
「うっ……そ、それは……」
「だ、だがしかし、それなら、勇者カイトは一体我に何を望んでいたというのだ!?」
なおも言い募る二人に、グレイヴは更に声を張り上げる。
「聞いた通りだ!何も望んでなどいなかった!少なくともお前達には!ただ故郷の村で、幼馴染と平和に暮らすことだけを望んでいたはずだ!お前達に奪われるまでは!」
「な、なんだと……」
「そんな……馬鹿な……」
ヘリオスもザルガラも、反論しようと口を開きかけたものの、結局言葉は見つからなかったらしく、力なく椅子に座り込んだ。
自分達が信じていた常識が根本から崩れ去ったことを、ようやく理解したらしい。
「で、でも……今さらそんなことを言ってどうするんですか。結婚式はもう、来週に迫っているのですよ」
だがここで、ザルガラが現実に差し迫った問題を口にした。
サランバルトが国を上げ準備を進めている結婚式。既に世界中から招待客が続々と集まり、開催を待ち構えている。今さら中止になどできやしない。
「勇者の影武者を用意しよう。変身魔法に長けた宮廷魔術師に命令するのだ。鑑定魔法を使われない限りバレることはない」
「そ、そうですね。ああ、グレイヴ殿、このことは絶対に他言無用ですよ。動揺を表に出さぬよう、我らが娘達にも隠し通しましょう。世界を救った英雄が世を儚み……など、絶対に知られるわけには」
「貴様ら、この後に及んで……」
勇者を勝手に誤解してその人生を歪め、それを嘆いた勇者が、彼が救った世界から永遠に去ったかもしれない。だというのに、目の前の二人は面目を気にするばかり。あげく、偽物を立てる算段まで。勇者の名誉も命も何だと思っているのか。
その残酷な切り替えに、グレイヴは思わず怒りの声を漏らした。
「死んだ勇者に少しは申し訳ないと思わないのか!」
「くっ……まだ、まだ完全に死んだと決まったわけではないだろう!勇者が生きていて自力で戻ることも考え、影武者にはギリギリまで待機させる!……グレイヴ、国のため、娘達の名誉のためにも、黙っていてくれるな?」
「ふざけ……っ」
しかし。ふざけるなと怒鳴りかけるも、グレイヴはそれ以上言葉が続かなかった。今さら自分が正義を振り翳したところで勇者が戻ってくるわけではない。
真実を明らかにした場合の国の損害や娘の未来を思えば、自分も口を噤む選択肢しかなかったのだ。
「……はは、これが、貴様らの言う清濁合わせ飲むということか」
結局、心底軽蔑した二人と己も同類であったと、グレイヴは皮肉げな笑みを浮かべた。
◆◆◆
そんなやり取りが交わされた数日後。勇者カイトと、セレーネ達三人娘の盛大な結婚式当日のこと。
『世界を救った勇者、結婚式を目前にして故郷の恋人と心中』
薄っすらと緑色の紙と青みがかった黒のインクのそれは、海を挟んでサランバルト国と向かい合う、とある国の新聞の特徴だ。
一年半前に勇者が海岸を占拠していた魔クジラの群れを討伐し、その後すぐに再開した貿易で、サランバルト側に圧倒的に有利な条約を締結させられた国。
「年貢の納めどき、というやつだな」
もうすっかり敬語の抜けたグレイヴが、魂が抜けたように座り込むヘリオスの肩を右手で軽く叩く。
左手に握られた新聞の一面には、あの日隠し通すと決めた内容がより詳細に、よりスキャンダラスに綴られていた。
「ああ……もう、終わりだ……」
あの日の会合の後も、ヘリオスは通信魔法機の稼働時間を日に日に伸ばし、式の三日前からはとうとう停止することを禁止。今の今までフル稼働させ続けた。
それでも案の定勇者は見つからず、結婚式当日。いよいよ代わりを務めさせるため、ヘリオスが影武者にギリギリまで細かく指示を出していた控え室に、どこからか投げ込まれた紙の束。
部屋の外で蜂の巣をつついたように大きくなっていく騒めきに、これがひとつやふたつでは無いこと、回収も訂正も最早不可能であることを察した。
「俺はクロエのところへ行く。お前もセレーネ様に……自分の娘に引導を渡してやれ。お前に似て、非常に諦めが悪い」
世界を救った勇者への恩を最悪の仇で返した国。共に戦った仲間でありながら、勇者に自分達との結婚を苦に死をもってしてまで逃げられた娘達。
サランバルトの、クロエ達の未来は今後相当暗雲立ち込めるものとなるだろう。しかし、未来そのものを奪われた勇者と婚約者のことを思えば当然の償いだ。勿論、永遠に償い切れるものではないが。
「なんと言えばいいのだ……なんと言えば……」
この数日で十年分も老け込んだように覇気をなくし、項垂れたまま娘の元へと向かうヘリオスを見送る。
対してグレイヴはというと、新聞を手にしたまま、いっそ穏やかな気持ちで控え室を後にした。式場の廊下の窓から差し込む陽射しは眩しく、皮肉なほどに晴れた青空が澄んでいる。
勇者と、その本当の婚約者だった幼馴染の少女。
己を含む現実の見えない愚か者共の思惑に翻弄され、ようやく解き放たれた二人が、せめてこの遠い遠い空の向こうで幸せに暮らしていてほしい。そう願わずにはいられなかった。
◆◆◆
一方時は遡り。遠い遠い空の向こう、東の最果てにある海に囲まれた島国にて。
「本当に、『誰も追いかけて来れない遠いところ』だったのね……」
カイトの妻ということでごく簡単な入国審査を終え、晴れて異国の地に降り立ったコレットがポツリと呟いた。
「えっ……ごめんコレット、流石にこんな海の果てとは思わなかった?もう帰りたい?」
それを聞いて血相を変え慌てだしたカイト。どうやら不満をこぼしたと勘違いしたらしい。
「違うわよ。むしろ思っていたよりずっと近くて覚悟が空回りしてるくらいだわ。……地面に足がつかないような場所のことだ思っていたの。空の向こうとか」
「空に浮かぶお城とか?魔王城みたいに!コレットはそういうロマンチックなの好きだもんね」
「そういうことにしておくわ」
コレットはカイトとなら共に死んでもいいと思っていた。共に生きられるならこれ以上のことはない。
「でも、本当に誰かが追ってくる心配はしなくて大丈夫?」
しかし生きている以上、血眼になって探してくるであろう母国の追っ手に捕まる可能性は残る。そう思って尋ねたコレットだったが、カイトは全く心配する必要はないとばかりに胸を叩いた。
「それはもちろん!この国は周り全部が断崖絶壁で囲まれてて、特別許可された船だけが入れる港以外で密入国はできないし、結界も張られているから、飛行魔法や転移魔法を使って来ようとしても弾かれて海に落っこちちゃうんだ!」
「あら大変。でもそれなら大丈夫そうね」
自信満々に説明するカイトの言葉に、ほんの僅かに残っていた不安の影も霧散していく。異国の地の爽やかな風が二人を祝福するように吹き抜けた。
「うん。だから今度こそ、誰にも邪魔されずに幸せに暮らそう。……コレット、愛してる」
「私も愛しているわ、カイト。きっと貴方が思ってる以上にね」
カイトが差し出した手をコレットがしっかりと握る。その左手の薬指には、世界に一つしかない約束の指輪が輝いていた。
「もしコレットが空のお城に住みたかったらさ……いつか魔王城、リフォームしちゃう?」
「私、新居は新築がいい」
「わかった!頑張って建てるよ〜!」
遠い遠い空の向こうの国で、二人の新婚生活がようやく始まったのだった。
サランバルト国視点、ずっと書きたかったのでやっと書けてよかったです。
これに限らず過去作はどれもいつか続きや番外編を書きたいと思っているので気長にお待ちください。




