7 ラキオン大樹の使者
喉が渇く。
平たく、少しだけ底の深い皿に注がれた水を小さな舌で口に運ぶ。
どれだけ、どれだけ飲んでも満たされない。
一回で飲める量が少ないとかそんなんじゃ無い。
極度の緊張からの解放。
発汗機能の乏しい種族で無ければ全身から滝のように汗が噴き出していただろう。
横に立つルカもメイドから何度も何度も水を受け取っている。
「本気で……死んだと思いましたわ。」
「生きた心地しなかったね。実はもう死んでたりして…?」
「かもしれませんわね……」
まだ心臓の音がうるさい。
彼は現状は私たちを殺す気はないと言っていたけど、あれは何時でも殺せるという算段があるが故の余裕に見て取れる。
現に先ほどもルカから情報を引き出せなかった時にこちらを脅すような動きをしてみせた。
あれは彼の器としての動き、もうあと1、2年もすればあんなイレギュラーは起こり得ないだろう。
「ルカもよくあれを相手にふっかけられたよね...」
「私のスキルのことは彼の様な方に知られるのはリスクが高すぎますわ。ですからウサギ様からいただいたスキルを利用させていただきましたの。」
既に周りにはたくさんの人がいる。
王女としての振る舞いや発言をしなければならず、彼女の口調もそれに伴ったものになっているが、それでも額には汗が滲んでいる。
「…やはり、私たちの秘密は簡単に話さない方が良いようですわね。」
「…変わらず感知スキルは?」
「使えません。この広間全体が覆われていますわ。ミルザが報告してこないということは魔法系スキルの類では無いようですわね。」
困った。
魔法が絡んでいるのであれば周囲をパサランを経由して私の魔力で一瞬満たせば流れを乱して一時的に解除することも出来たかもしれないのに…
「魔法がいかがされました?」
琴の音のような澄んだ声がこちらに近づいてきた。
新緑のような髪色に純白のワンピースドレス、装飾がほとんど付いていないのに歩き方一つだけで気品が感じ取れる。
長い耳と白い肌。ラキオン大樹の使者だ。
「ケルディア様。こんばんわ。」
「ケルディアで構いませんわウサギ様。」
「ではケルディアさんで。私のこともウサギで構いません。」
「かしこまりました。ところで先ほどはルカ様と何をお話になっていらっしゃったのですか?魔法、という言葉が聞こえましたので少し気になりまして。」
エルフ族長夫人であれば転生の時期とも離れているので彼女は転生者では無いだろう。
先ほどの挨拶の時もルカのスキルが封じられる前に確認できているのでその面での警戒はしなくても良い。
ただ、挨拶の時もそうだったが、彼女からはどうも視線を感じる。
今もそうだ。
全身をくまなく見られる感覚。
聖獣として強さの値踏みをされているのか?それとも森林資源の割譲や収穫の際の安全保障?
本当の実力を知らないので断言はできないが、彼女ほどの魔力制御の実力があれば大概の魔獣には問題なく勝てるだろう。
であれば種族全体としての安全をとるための交渉か?
いずれにせよ森に関することだろう。適当なことは言えない。
最悪外交などに関してはルカに仲介役になってもらおう。
「魔法に関しての意見を交換していたところです。彼女には私の力…スキルの一部を複製として与えていますから。」
「…噂では伺っていましたが本当にスキルを譲渡できるのですね。どのような手順を踏まれるのですか?エルフ族は寿命が長く、一個体が保有するスキルの練度を生涯かけて磨くことはできますが、継承という面ではまだまだ課題も多く…」
ルカが私に目線を送る。
問題ない。教えたところで私の【スキル複製】と【能力継承】のスキルがある前提の渡し方だ。直接的な戦力増強にはなり得ない。
「…ウサギ様の魔力操作器官である鬼火パサランに触れてスキルをいただきましたの。」
「残念ながら、私の能力前提のスキル譲渡故…お力になれず申し訳ありません。」
「い、いえ大丈夫ですわ…その、鬼火パサランというのはそのお耳の先の…?」
さすがはエルフ。
魔力の流れを見切るのが早すぎる。
逆に考えれば、カワサキの仲間のスキルが張り巡らされているこの空間でも魔力感知は機能するのか…
「ああ、はい。元々私が聖獣として魔力を保有できない種族なので。スキルで生み出したこの器官を使って魔素を直接操ってるっていう感覚に近いんです。」
「………………そうですか。」
…?
なんだその間は。
っていうか目線がすごい鬼火パサランを凝視してる。
「……ウサギさん、一つお願いを聞いていただいてもよろしいでしょうか?」
「…はい。」
彼女は膝をつき、目線を私に近づける。
一勢力の代表が魔獣に対して膝をつくほどのお願い…
私は少し身構えた。
「その鬼火パサランに触らせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え?これに?」
魔素をそのまま魔力として扱うという点が珍しいってことか?触診したいってこと?
それとも魔力の流れを直接観測して情報として仕入れたいって感じかな。
「我々エルフは人間の分類で言うと魔獣。加えて生まれつき魔力の保有量が他の魔獣や人間よりも多いです。そうした種族でありながら魔素を直接魔力として発動させるという技術は一族の中でもあまり無く、あったとしても前提が明かりや食材の冷却保存などの循環的利用ばかり。それもそのはずです。本来魔素から放たれる魔力は極めて微弱。攻撃や回復などの戦闘魔法に転用することは非常に困難なのです。」
突然饒舌になった…
魔法の得意な種族としての研究肌が出ちゃったのかな?
まあ別に問題ないし、良いけど。
「分かりました。どうぞ。意外と神経通ってるので、引っ張ったりつねったりしなければ問題ないですよ。」
私は耳をぴんと立てて出来るだけ彼女が触りやすいようにパサランを持ち上げた。
彼女の瞳がものすごく輝いた気がした。
「で、では………」
指先がパサランに触れる。
随分と慎重な触り方だな…未知の器官だから少しおっかなびっくりになってるのか?
「…どうです?何かわかりそうですか?実際にちょっと軽めの魔力を通してみますね。」
私はほんの少し、彼女の髪が揺れる程度の風魔法を発動して見せた。
その間も彼女はパサランに触れている。
その触り方が触診というよりはなんか、小動物を撫でるような手つきに近い気がするけど私自身もう今は小動物なわけだし別に気にしない。
「………」
「あ、あの、ケルディアさん?」
「はっ…!し、失礼しました…その、集中しておりまして…変換という動作を行っているというよりは魔素自体がウサギさんの器官に触れることで扱える魔力として連鎖的に変化して行っている、ということでしょうか…」
なるほど、連鎖的な変化か…
今まで何と無くで扱っていた魔素と魔力、そしてスキルの変換を初めて言語化してもらえた感覚だ。
私は耳を下ろして考える。
そういう仕組みだったのか、これ…
元になっているスキルはファントムタイガーの魔法の起点になる鬼火だ。
その魔法発動器官としての効力が私のスキルと混ざって新たな魔法の起点になったのか。
「あ………」
彼女の指先からパサランが離れると、なぜか一瞬寂しそうな顔をされる。
「え?」
「い、いえ…なんでもございません……」
「ありがとうございます。さすがエルフ、というところでしょうか…今まで感覚でやっていたものを説明されて非常に有益な解釈をいただけました。」
「せ、聖獣様のお役に立てたのでしたら光栄です…あの、ウサギさん。もう一つお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「…はい?」
再び膝をついて目線を近づけてお願いをするケルディア。
今度はなんだ…?
「毛並みを…撫でさせていただいてもよろしいでしょうか?」
「け、毛並みを…?それって一体どういう…」
「聖獣様は多彩な魔法を扱うと伺っています。しかし魔力を保有できない種族であれば自身の放つ魔法に体が巻き込まれてしまうことも考えられます。何せ魔力を保有できない種族が魔法を扱うという文献が存在せず、そういった際に実際にスキルで守られているのか、それともその毛並み自体が鬼火パサランのような特殊な性質の器官に変化しているのか。確かめさせていただくことは可能でしょうか。研究のためなのです。エルフ族の今後の発展をウサギさんにも捧げたく。」
なるほど…
そこまで言われると確かに気になる。
自分の出した魔法で自分の体が影響を受けることはなかったが、よく考えてみれば火炎や雷なんて普通のウサギであれば近づいただけで黒焦げだ。
スキルを同時使用して体を防いでいる自覚はないし、もしかしたら体毛や他の皮膚もそれに適応して進化しているのかもしれない。
魔力を保有できない種族が魔法を扱う文献が存在しないというのも納得がいく。
ここまで研究熱心な種族とは恐れ入った。
一瞬、この人ただ撫でたいだけなんじゃないかと思ったが、疑って申し訳ないな。
「そう言うことであれば、分かりました。」
私は頭を下げて地面につける。
撫でられに行く姿勢をとるのは初めてだが、前世で親戚の家の猫がこんな感じの姿勢をしていた気がする。
「で、では...失礼します。」
ごくりと生唾を飲むような音が聞こえた気がするが、研究の前に気合を入れているのか?
彼女の細い指と手の平が私の頭に触れる。
こうして接触してみると改めて彼女の魔力制御に驚かされる。
普通魔力を保有している種族なら触れればそれなりに魔力を感じるはずなのだが。
彼女に至ってはそれが限りなく分かりにくい。
当然魔力が流れていないわけではないのだが、何と言うか、あり得ないほど自然と言うか。
…それにしても撫でるの上手いな。
上質なマッサージを受けているかのような優しい手つき。
耳のつけ根や首の後ろ、こちらが不快ではない所を的確に撫でている。
「...ふぅ。」
「...!?!?」
思わず。
余りの心地よさに思わず腹を見せて横になってしまった。
まずい。
ハッとした時にはルカと目が合う。
止めろ。必死に笑いをこらえる顔をするな。
「.........ウサギさん。」
「あっ!いや、これはその...」
しまった...!
聖獣として使者に対してあるまじき姿...
必死で言い訳を脳内から探し出す。こういう時便利なスキルとか無いの!?
「ウサギさん。これは、そういうことですか?」
「えっと...そういうこと?」
「このお姿は、私に顔を埋めてもふもふしても良いと、そういうことなのですか?」
…?
急に流れが変わった?
というかケルディアさんの顔が怖い。
…いやマジほんとに怖いと言うか鼻息荒っ!?
「動物が腹部を見せるというのは親愛の証拠ともとれます。つまりはもふもふの許可と言うことですわよね?」
「いや、そのもふもふって何...」
彼女の指がゆっくりと私の腹部に回る。
怖い。
まず彼女の目が怖い。
さっきまでの美しく気高いエルフの族長婦人の姿はどこに?
カワサキと駆け引きしてたあのバルコニーとは別の意味で怖い!!
「ケルディア様。」
彼女の指が私に再び触れる直前。
彼女の背後に控えていたもう一人のエルフが彼女に声をかける。
ショートカットにキリッとした顔立ち。今の声色的に女性ではあると思うが中性的な美しさのある女性だ。
「...何でしょうか、エッタ。」
ピタリと彼女の指の進行が止まった。
「...」
「...」
なんだこの空気。
二人の間に沈黙が満ちる。
「それは、外交上必要な行為でしょうか。」
その沈黙を破るかのようにエッタと呼ばれたエルフがケルディアに問いかける。
「もちろんですとも。族長夫人として私的なもふも...情報収集は致しません。」
「...魔力器官の調査や毛並みの触診までは分かりますし、必要とも見て取れました。」
「でしたら...」
「しかし、もふもふはだめです。」
「何故ですエッタ。答えなさい。」
「その後のお姿がラキオン大樹の印象を著しく下げかねません。」
「...なるほど。」
それは初めて感じる彼女の圧だった。
恐ろしいまでに制御されていた魔力が初めて乱れるほどの圧。
魔力操作や感知に長けた人なら一瞬警戒せざるを得ないほどの圧がその場に満ちる。
「...私一人で問題ないと告げたのに、エッタを同行させたのはあの人の差し金ですね?」
「はい。私は族長より『お願いだからケルディアに暴走させるな』と仰せ使っております。」
「余計なことを......」
「ロム王国に加護を与えた種族がウサギと聞いていたときから対策は打っておいででした。決してあなた一人で行かせてはならない、ラキオン大樹の未来に関わると。」
「...外交はあの人から私に一任されています。その私が必要と判断したのであれば『もふもふ』もラキオン大樹の総意として諸国にお伝えできるはずです。」
今もふもふって普通に言ったよこの人。
なんだ外交に必要なもふもふって。
「ではご説明ください。ウサギ様への一連の行為、どのあたりが外交に必要だとお考えで?」
「ですから...」
「魔力器官の調査や毛並みの触診に関してはウサギ様への説明を聞いておりましたので存じておりますし、必要であると判断いたしました。」
「...」
「ですが、腹部に顔を埋める行為に関してはウサギ様も私も説明を受けておりません。」
「だってもふもふ...」
「ウサギ様の毛並みを堪能したいがための私的行為、ということですか...?」
「...」
ケルディアが完全に黙り込んでしまった。
しかしその数秒後、彼女の魔力が何かしらのスキルを発動させる。
「...言ったではないですか。動物が腹部を、すなわち野生界における弱点を露出するのは信頼の証。それは本能です。エッタ、あなたにもエルフとして魔法に対しての知識欲という本能がありますね?ウサギさんも生き物である以上ウサギとしての本能があります。そう、これは本能による友好を育む為の大切な一歩。それに対してこちらも無防備な状態を晒すことがより踏み込んだ外交関係となるために必要なことです。」
何と言い訳がましい!?
この一瞬でここまでの言い訳を考えたの!?
もふもふしたいが為に!?
「...こんな事に【思考加速】と【同時並列思考】を使わないでください...魔力で補強までして。」
「...」
あ、また黙った。
ついでに魔法の気配も消えた。
本当に使ってたの...
しょぼんと肩を落とすケルディアをもう一人のエルフが抱えて立たせる。
入れ替わるようにしてエッタが私の前に膝をついた。
「ウサギ様。ご無礼をお許しください。」
その態度に思わず私も座り直して、彼女に向き直る。
「ケルディア様も悪気があるわけではないのです。ただその、何と言いますか...ウサギ様のような小さくて愛らしい姿に弱いと言いますか...」
弱い...
弱いとかいうレベルじゃなかった気がするけど。
もふもふをしたいがためにあれほど高度なスキルの同時使用。
出てくる言葉や意見自体は間違っていないのを見るに、普通の外交官としては非常に優秀なんだろうな...
「それは、まあ何となく...大変ですね。」
「昔からですので...族長もそれを分かって、今回私を付けたのです。」
「非常に英断だと思います。」
彼女の言葉がなければ今頃私は彼女にされるがままもふもふされていたのだろう。
ラキオン大樹的にも私の聖獣としての威厳的にも避けられて良かった未来だと思う。
「ウサギ様。我々ラキオン大樹としましては、大森林には今後ともお恵みをいただくことがあるかと思います。」
エッタは深く頭を下げた。
「何卒、宜しくお願いいたします。」
この人もこの人で苦労人だけど優秀な外交官なんだろう。
ケルディアさん程ではないが魔力も非常に安定している。
私は少し考えて、彼女の両頬に鬼火パサランを当てて魔力を少し流した。
魔力の感知に優れたエルフなら、この方が私の気持ちが伝わると思ったからだ。
「こちらこそ、よろしくお願いします。」
普通の挨拶。
そのつもりだったが、エッタの後ろでその流れを見ていたもふもふの狂人は暴れ狂った。
「あーーーっ!!?エッタ!!?何ですかそれは羨ましい...じゃない!不敬です!!!聖獣様から離れて代わりなさい!!!エッタ!!!聞いているのエッタ!!!」
彼女を押さえつけて困り果てるもう一人のエルフ。
「...すぅ......はぁぁぁぁ......」
頭を抱えて物凄いため息をついたが「それでは失礼します」と最後まで凛としていたエッタがケルディアの首元を掴むようにして遠ざかっていく。
「何ですかあれは!?」「外交です」「あんなもの外交じゃなくて触れ合いじゃないですか!」「僕の代弁ありがとうございます」
愉快で優秀なエルフ達の声はしばらく会場から聞こえ続けていた。




