謁見
日が傾き、太陽が森の影に重なる頃。
隊列の先頭が森の入り口に到達したことを告げた。
私はミルザと共に籠を下りて護衛されながら森の方へと歩く。
「良いですかルカ様。最終の確認です。」
前を歩くルキウスが告げる。
「もし万が一のことがあったら、真っ先に逃げるという選択を取ってください。我々のことも、ミルザの事も全て置いていって構いません。いえ、むしろ置いていってください。命尽きるその瞬間まで、聖獣であろうと足止めくらいはして見せましょう。」
「…分かった。」
承諾なんかしたくない内容だった。
だがここでごねたりすればそれは彼らを信用していないということを態度に表すことになる。
忠義に対して意を返すのも王族の勤めだ。
森の入り口が見えてきたとき、異変に気づく。
全員が一斉に戦闘態勢を取った。
視線の先、森の入り口に見えたのは、蛇の胴体に人間の上半身がついた魔獣だった。
「お待ちしておりました。ロム王国の皆様。」
「…!?」
人語を話す、魔獣…!
ミルザやお父様の言っていたとおりだ。
どう考えてもファンタジーの見た目、それに…さっきから天啓眼を使ってるのにスキルが全く見えない…
「お母さ……じゃなかった。マルルウサギが約束された王女の面会ですね?」
「…その通りだ。そなたは?」
ルキウスが一歩前に出て話す。
「私は聖獣マルルウサギの御使い。名前はヘビ子です!」
子供のように…というか見た目は私と変わらない少女のように笑っている。
しかしその体はどう見てもヘビ。所謂ナーガやラミアと言うヤツだろうか。
可愛い見た目、丁寧な言葉遣い。
そんなことどうでも良いと感じられるほどの圧倒的なオーラ。
放出されている魔力の量が人間基準だと尋常では無かった。
「そうか。では、ヘビ子殿。改めてマルルウサギ殿へ会わせていただけぬだろうか?」
「大丈夫ですよー!ああでも、手土産の一つくらいあったりしないんですかー?」
「…すまない。我々には魔獣との交渉の記録が以前以降全くないのだ。どういったものを用意して良いか分からず、最大限の敬意として私、王国魔導師団団長のルキウス・ヴァン・ラビオネア、並びに王国屈指の魔導師であるミルザ・ラビオネアが同席している。我々が貴殿らを決して侮っていない。その意思を、この人選をもって礼の代わりとさせていただきたい。」
「へぇ~!」
ヘビ子は2人を興味深そうに眺めている。
その間もミルザとルキウスは一切の警戒を解いていない。
「…確かに。そちらのメスニンゲンは少し前に平原で放たれた魔法と魔力の質が同じみたいですね。」
間違ってはいない。少なくとも魔獣の基準でその呼び方は間違ってはいないんだけど…
微妙に引っかかる言い方だな、メスニンゲンって…
「…魔獣に襲われて、やむを得ず魔法を使ったのよ。驚かせてしまったのならごめんなさい。」
「大丈夫ですよー!あの程度の魔力、お母さ…マルルウサギの尻尾の毛にも及びませんから!それに……」
その瞬間、周囲をおぞましいほどの魔力が走る。
「あのくらいだったら、私にだって出来そう。」
「…!!!」
「ミルザ、待て…!」
ヘビにらみ、とはまさにこのことだろう。
きっと彼女からしてみればただ聖獣に人間が訪ねてきただけ。
それでも今感じるこの感覚は、まるで捕食者と被捕食者だ。
背筋が凍るような感覚だ。指先の一つも動かせない。動かして良いのか分からない。
ただ1人ミルザだけが即座に対応しようとしてルキウスに静止させられていた。
「ここで戦闘になれば、それは森林との戦争を意味するぞ…」
「…分かってるわ…姫様がいるから少し判断を誤っただけ…」
「…よし…すまないヘビ子殿。我々人間は魔力を扱いこそすれ、魔力に対する威圧には弱いのだ。どうかその魔力を収めていただきたい。」
「あ!ごめんなさい!」
途端に体を縛り付けるような圧が消えた。
「お母さんがいつもやってるから、これくらい普通なのかと思ってました!」
「…人間の常識で話してしまい申し訳ない。ただ、我々からしてみれば未開の土地。警戒してしまうのも許して欲しい。」
「大丈夫ですよー!これくらいのことで私は怒ったりなんか……」
彼女の言葉が終わる前に私の横を何かがかすめた。
一直線にヘビ子に向かって飛んでいくのは、魔力によって作られた火球。
「ば、化け物めェェェェ!!!!!!」
「よせ!?」
私たちの後方にいた魔道士がヘビ子に魔法を連射する。
コントロールのぶれた魔法は私にも飛んできたが、すんでの所でミルザが私を抱えて避難する。
恐怖による錯乱。戦場で最も恐ろしい現象だ。
「殺せ!殺せ!!!」「魔獣を殺せ!!!」「王国に勝利と安寧を!!!」
その負の感情は伝播する。
魔道士だけではない。騎士団もルキウスの静止を振り切りヘビ子に斬りかかる。
もはや前線は冷静ではない。
しかし、その全ての攻撃をヘビ子は難なく回避する。
身体能力の違いかそれとも野生の勘か。
王国の前線を任されるだけの戦力のはずの彼らの攻撃は、彼女の鱗一枚、後を引く髪の毛すら捕らえられなかった。
「ミルザ...!!」
「ええ。」
ミルザが魔力を充填し、放つ。
対象はヘビ子ではなく、自国の兵士たち。
「【捕縛】」
魔力で作られた鎖が地面から生え、全員の身柄を拘束する。
動けなくなった者たちは次第に冷静さを取り戻し、その場に膝をつく。
「愚か者ッ!!!」
ルキウスの一喝でその場の空気から恐怖は完全に消え去った。
「誰が攻撃を許可した?誰が戦争を仕掛けに来たのだ?」
これまでに聞いたことのないほどの低く、落ち着いた声。
「王国の剣であろう者たちが、王女殿下の前で独断専行、挙句その王女殿下に魔法をかすめた。」
一段と低く響く。
「恥を知れ。」
その直後、ルキウスは膝をつきヘビ子に頭を下げる。
「...非礼を伏して謝罪致します。どうか、どうかこの場は収めていただけないでしょうか。」
「...お母さんの言ってたとおりですね。」
ヘビ子は髪の毛をいじりながら首を傾げた。
「ニンゲンって怖くなったら逃げないんですね?どうして襲ってくるんですか?」
「...心理と言うものです。」
「シンリ...そのしんりってどういうものなんですか?どうして?」
その疑問はまるで幼子が親に質問を投げかけるように。
無邪気で。
残酷だった。
「どうして勝てもしない相手に襲いかかるんですか?」
途端にヘビ子は笑い出した。
「あっははは!!おっかしー!!勝てないって分かってるのに!力量差を無視して襲うなんておっかしー!!」
日が沈みゆく森と平原の境に彼女の笑い声だけが響く。
誰も否定できなかった。
王国の戦力が、多対一、ほぼ不意打ち、丸腰の相手という圧倒的有利な状況でまるで刃が立たなかった。
森の恐ろしさを身を持って感じた。
その直後だった。
私の中での恐ろしさがいとも容易く塗り替えられたのだ。
「ヘビ子。」
たった一言。たった一言だ。
そのたった一言で、ミルザとルキウスが私の前に立ち、冷静さを取り戻していた兵士が再び恐怖し、そして。
ヘビ子が跳ね上がり、震えていた。
「お、お母さん...」
ヘビ子の視線の先。
そこにいたのは、凶悪な牙を持つ龍でも、鋭い爪を持つ鬼でも、異形の魔王でもなかった。
一匹のウサギだった。
「この人間達は私のお客さんだって、さっきも説明したよね?」
「も、もちろん分かってるよ!」
「じゃあ何で、この人達を馬鹿にするようなことを言ったの?」
「だ、だってニンゲンってば実力差も分からなくて怖くなっていきなり襲ってくる生き物何だよ!?」
「ヘビ子。」
「お母さん!」
「ヘビ子!」
姿形は全く違う。
それどころか捕食者と被捕食者だ。
なのに目の前で繰り広げられるやり取りは、かつてショッピングモールやゲームセンターで何度も見たことのある親子のやり取りだった。
「......ごめんなさい。」
「私にじゃなくて?」
「...ごめんなさい、ニンゲンの皆さん。」
「あ、あぁ...」
「はい。お母さんはこの人達とお話するから、ターおばさまの所に戻ってて。」
「はい...」
しゅんと肩を落としてヘビ子は森の奥へと去って行った。
間違いない。こいつが聖獣マルルウサギだ。
見た目で分かるとか、どう考えても野生で生きられる色合いじゃ無いとか色々あるけど、その全てがどうでも良くなるほどの圧倒的存在感。
「…私の娘が大変な無礼を。お許しください。」
そのウサギは四つ足をついたままほんの少し頭を下げた。
妙に人間らしいその行動…こちらの習性を理解してるって事?
「…いや、先に事を起こしたのはこちらの方だ。こちらからの謝罪も受けて欲しい。」
「では、今回はお相子ということで。経験として人間に会わせてあげたかったのですが、まだあの子には森の感覚が強く出過ぎるようです。」
「…マルルウサギ殿久しいな。」
「お二人は以前にもお会いしましたね。お久しぶりです。そして、その子が。」
「ああ。」
私は一つ深呼吸をしてルキウスとミルザの前に立つ。
ドレスの裾をつまみ左右へ広げ、片足を下げて軽く膝を折る。
前世では決してやることの無かった、上流階級として身につけた礼だ。
「初めまして、聖獣マルルウサギ様。私はロム王国第一王女ルカ・ロムと申します。」
「…初めまして、ルカ・ロム王女殿下。私はマルルウサギです。本日はご足労いただき誠にありがとうございます。」
「あなた様のことは国王である父より伺っております。私のスキルと、同じものをお持ちだとか。」
慎重に、言葉を選ぶ。
こちらの意思や言葉が通じる分、普通の獣や魔獣よりはまだマシだ。
だが目の前のこのウサギが生物として圧倒的格上であることは、人間が失って久しい原始的な野生の勘が呼び起こされ警鐘を鳴らすほどに明らか。
「それについて、私からお話がございます。」
「もちろん。私もそのために数年越しであなたをお呼びしたのですから。ただし、その話は二人きりで話しましょう。」
「それはなりません。」
私たちの会話に割って入るようにミルザが言葉を挟む。
ただ姿勢は低く、頭も下がっている。この場がウサギと私の外交の場だと言うことを理解した上での発言だ。
「非礼を承知で申し上げます。私はルカ様の護衛を陛下より仰せつかっております。いかなる事情があろうとも、姫様を私の目の届かぬ場所へお一人で向かわせることは出来ません。」
「…問題ありません。国の要人を守る者として当然の反応です。ですが、私たちの持つスキルは…事情があって私たち以外に詳細を話すことが出来ないのです。どうかそれを理解していただけますか?」
「大丈夫…です、ミルザ。」
大丈夫だよ、と言いかけて言葉を正した。
「私は、ルカ・ロム。ロム王国の第一王女としてかつて【滅界】と呼ばれた最強の魔道士から魔法教育を受けた身です。いざとなればあなたの元へ逃げ延びるくらい、訳ないです。」
「しかし、姫様…」
「お願い、行かせて。私が、私自身が知りたいの。」
長い沈黙の後、ミルザは目を伏せた。
「承知、いたしました…何かあったら、ご自身の身を最優先に…」
「分かってる。」
「絶対ですよ?」
「大丈夫だって。」
「本当に?」
「ミルザ。」
「…はい。」
ミルザの手を離れ、一歩ウサギに近づく。
「お待たせしました。」
「いいえ、ご立派な王女様です。」
「お褒めにあずかり光栄です。」
ウサギの後をついて森の中へと足を踏み入れた。
既に日が沈んでいるのもあって森の中はかなり視界が悪い。
それでも人間の私を気遣ってくれているのか、比較的歩きやすい道を通ってくれている。
数分歩いただろうか。
少し開けた場所に来た時点ですでに隊の姿は見えず、辺りは私とウサギの気配しか無かった。
聖獣としてのこのウサギのオーラが魔獣を寄せ付けないとかなのかな?
「………【沈黙空間】」
あまりに突然のスキルの使用。
予備動作も素振りも何も分からなかった。ウサギだから分かりにくいって事実以上に、その耳のふわふわが魔力を扱う器官だったことに気づけていなかった…!
「…さてと、やっと二人だ。」
ウサギは振り返るとほんの少し笑ったような気がした。
「じゃあ、まずは自己紹介からしよっか。友達百人、出来ると良いなってね。」




