009 エリー・イン・メイド①:メイド服と牧場主
今度はちゃんと着替えを手にできた。
エリーに手持ちの服はない。だからこの服はイーリャから借りた。
服を借りる上で、イーリャに伝えたことがある。
アルフレッドの能力を全開にして、前に借りた服はダメにしてしまった。
その反省から、イーリャから破れても困らない服をリクエストしていたのだけれど、袖を通す内に違和感を覚えてきた。
黒いロングワンピース、胸元にリボンタイ、手首に白いカフスを留め、白いエプロンドレスを結び、ホワイトブリムを被る。
姿見に映る姿は、伝統的なメイドさんだ。
確かに、汚れても破けても困らないとなれば、仕事着しかなかったのかもしれない。
コシノフ邸では、キャスパー以外に従者を雇っていないそうだ。
将来を見据えて用意したのは良いけれど、持て余してしまった衣服でもあるのだろう。
だからって、エリーに押しつけられても持て余すのは変わらない。
鏡の中のメイドは不愛想な顔をしている。
「私、一応ゲストなんですけれど」
釈然としない気分で朝の食卓に向かう。
その前に、目を覚ましたベア院長に捕まった。
「これにションベンぶっかけな」
手渡されたのは、昨日と同じ物。種らしき物が詰まった小袋だ。
これ、習慣にする感じなんだ。エリーはうんざりした。
客間を出ると、キャスパーが待ち構えていた。胸に手を当て、礼を示された。
「おはようございます。エリー様、良くお眠りになれましたか?」
「おはようございます。あんまり気分が良くないです。確か……ああそう、宴会の帰り道で小耳に挟んだ話のせいでずっと考え事をしてしまって」
「大変目覚ましい活舌です。お目覚めから間もないのに大変お元気で結構なことと存じます」
少し毒づいても、キャスパーは眉一つ動かさない。朗らかなままだった。
「エリー様がお召しになっているのは従者の身なりです。ですので、あまりこう申し上げるのははばかられるものですが、私めの感想を率直に申し上げてもよろしいでしょうか」
「……いいえ、結構です」
「大変お似合いでいらっしゃる」
結局言うじゃんかよお。
「むしろ前振りの方に悪意を感じるんですけれど」
「これはご無礼を。さ、こちらへ。朝餉の準備に参りましょう」
食堂へ案内される間に「お嬢様からのお申しつけがございまして」と話を切り出された。
「エリー様には当面の間、当家のメイドとして働いていただきます」
初耳だった。
「私、一応ゲストなんですけれど」
姿見に垂れた文句をまた口にするエリー。
慇懃に見えて腹黒なキャスパーのことだ。またエリーの格好をからかっているに違いない。
キャスパーは踵を鳴らして軽快に廊下を進み、背中越しに言う。
「左様でございます。少々理解に苦しみますが、エリー様の今のお立場は、ゲストかつ労働者です」
「……え、冗談ですよね?」
「わざわざそのお召し物を選んで、お貸しになったのは、どなたですか」
「……イーリャさん……です」
そ、そういうことかあ……。消え入るような声で、エリーは先を思いやった。
【冗談じゃねえ】
アルフレッドが血管で騒ぐ。
【テメエ一人で下働きする分には勝手だがよ、これはオレの身体でもあんだぞ。誰が下僕なんぞに】
「そのお顔、お察しするにまた吸血鬼が何か言っているのではありませんか?」
【胤族だ】
鋭く勘づくキャスパーに聞こえもしないのに、いちいちアルフレッドが細かい指摘を返す。
「良い機会です。サー・アルフレッドには、こう申し上げておきましょう」
キャスパーがいきなり詰め寄って、エリーは訳も分からないまま壁際に追い詰められた。
頭のすぐ横にドンと手を突かれる。
冷ややかな表情に影を落とし、キャスパーがエリーの目を覗きこむ。
「ラムシング村を牧場呼ばわりしたんだってね。随分とユーモラスな感性をお持ちで。君のジョークにお嬢様は腹がよじれておいでだ」
エリーの心臓が高鳴る。怜悧な相貌から、冷たい刃のような声が紡がれ、耳をくすぐる。
「そこで、お嬢様から君宛てに、小粋なジョークをお贈りだとさ」
鼓動が耳にうるさい。血潮が代わりにキャスパーの言葉を聞いている気がした。
「そこまで言うなら、牧場主らしく家畜を世話してもらおう。それが筋というものじゃないか? ここはよその吸血鬼お断り。出入り自由の狩場なんかじゃない。主人の決まった牧場だ――そう定義したのはアルフレッド、他ならない君自身だろう?」
胸が焼けるように熱い。エリーは胸を掴んだ。
銀のペンダントを身に着けているのに、アフルレッドが外に出たがっているらしい。
状況や評価を逆手に取って詭弁を弄するのはアルフレッドの十八番だった。
自分の得意技を仕掛けられて腹を立てているのだ。
良い気味だ。けれども、キャスパーにはもっと手心を加えて欲しい。あれを抑えきれなくなる。
「だんまりか? おいおい、笑えよアルフレッド。お嬢様が滑ったみたいじゃないか。……いや、それともまさか今更、撤回する気かい? ああ、それは良い。こっちとしては願ってもない申し出だ。けど、そんなダサい真似をした日には、僕なら恥ずかしくて外を出歩けなくなるな。……ああいや、これは失礼! 君、そもそもこの子の外に出るのもままならないんだっけ。ごめんよ、失言だった」
エリーの視界が赤く染まり始めた。胸と銀の接触面から煙が出るほど熱い。
「キ、キャスパーさん……ちょ、もうちょっと抑えて……!」
「何だ、怒ったのか。なら謝るよ。君は吐いた唾を呑むような恥知らずじゃないようだ。後はそうだな……。威勢の良い啖呵を切ったくせに、実はその場限りのユーモアでした、なんてつまらない言い逃れをするような小物じゃないことを祈るよ」
血が熱く怒っている。
エリーにも怒りに似た情が湧くものの、その矛先を知らないせいで単なる興奮と大差なかった。
血が頭に昇って、のぼせそうだ。
「キャ、スパーさん……そろそろ、こう……そろそろ……無理……」
心臓がひたすら鳴っている。間近で見ると、キャスパーの白皙の美貌は心臓に悪い。
パッと、キャスパーがいつもの慇懃な笑顔に戻った。
「そういう訳です。エリー様はまだしも、あなたに拒否権はありません。エリー様の足を引っ張ることも許しません。牧場主としての振る舞いを、努々お忘れなきよう」
エリーを置いて、キャスパーはさっさと先を行く。
高鳴る胸を押さえて、エリーは真っ赤な驚き一色の顔で、ずるずると壁をずり落ちて、腰を抜かした。
顔が良いって、何て恐ろしい武器なんだろう。
「早くおいでなさい」
キャスパーの呼びかけに慌てて、壁を手掛かりにし、やっとエリーは立ち上がった。
【……テメエ、良い気になんなよ。テメエが言いたい放題できるのは、オレが銀のせいで表に出られねえからだ。おいテメエコラ、夜は背後に気をつけろよ。エリー言ってやれ、あの腹黒執事に。おい聞いてんのか。クソが】
負けイヌの遠吠え。エリーは小言と笑いを嚙み殺した。
熱くなった顔を無意識に扇ぐ。
僅かに残った記憶から、努めてアルデンスの顔を思い出して、邪まな感情を清めた。
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