009 エリー・イン・メイド 1/7:メイド服と牧場主
エリーに自前の服はない。だから着替えはイーリャから借りた物だ。
服を借りる上で大事なことを一つ、イーリャに言い含んでおいた。
「もう破かないように気をつけるようにはします。しますけれど、念のため、どんなにズタズタになっても困らない一着を貸してくれますか」
前に借りていた服――スプリグリ族の民族衣装は、アルフレッドの戦いでダメにしてしまった。
その反省を踏まえたお願いだったのだけれども、袖を通す内に違和感が芽生えていく。
黒いロングワンピース、胸元にリボンタイ、手首に白いカフスを留め、白いエプロンドレスを結び、ホワイトブリムを被る。
(これ、メイドさんの格好……)
確かに、汚れても破けても困らないとなれば、真っ先に仕事着が挙がる。
コシノフ家の従者はキャスパーだけだそうだ。なら何故メイド服があるのか。
見るからに持て余してました、ってたたずまいだけれども、だからって、エリーに押しつけられても持て余すのは変わらない。
鏡の中のメイドは腑に落ちない顔をしている。気が合うわね。
「私、一応ゲストなんですけれど」
お腹がグゥと同意した。釈然としないまま、何はともあれ朝の食卓に降りることにした。
「待ちな」
目を覚ましたベア院長に捕まった。
「これにションベンぶっかけな」
手渡されたのは、昨日と同じ小物。種らしき物が詰まった小袋だ。
(これ、習慣にする流れになってない?)
恥ずかしいけれどもベア院長の静かな迫力には逆らえず、エリーはうんざりしながらも従った。
用を済ませて小袋を返却し、改めて客間を出ると、いつの間にかキャスパーが待ち構えていた。
キャスパーは胸に手を当て、一礼してきた。
「おはようございます。エリー様、良くお眠りになれましたか?」
昨日散々いびってきてよく平気な顔で言えるな。
「おはようございます。あんまり気分が良くないです。確か……ああそう、宴会の帰り道で誰かさんが聞かせてくれた話のせいで、夢見が本当の本当に酷かったんですよ」
「大変目覚ましい活舌です。お目覚めから間もないのに大変お元気で結構なことと存じます」
キャスパーは眉一つ動かさない。これ以上嫌味を言ってものらりくらりとかわされる予感がして、エリーは肩を落とし、わざとらしく溜め息をついた。
「エリー様がお召しになっているのは従者の身なりです。ですので、あまりこう申し上げるのははばかられるものですが、率直な感想を申し上げてもよろしいでしょうか」
「いいえ、結構です」
「大変お似合いでいらっしゃる」
結局言うじゃんかよお。
「むしろ前振りの方に悪意を感じるんですけれども」
「これはご無礼を。さ、こちらへ。朝餉の準備に参りましょう」
食堂へ案内される間に「お嬢様からのお言付けがございまして」と話を切り出された。
「エリー様には当面の間、当家のメイドとして働いていただきます」
慇懃に見えて腹黒なキャスパーのことだ。またエリーの格好をからかっているに違いない。
「私、一応ゲストなんですけれど」
「左様でございます」キャスパーは踵を鳴らして軽快に廊下を進み、背中越しに言う。「少々理解に苦しみますが、エリー様の今のお立場は、ゲストかつ労働者です」
「……え、冗談ですよね?」
「わざわざそのお召し物を選んで、お貸しになったのは、どなたですか」
「……イーリャさん……です」
そ、そういうことかあ……。織りこみ済みなんだあ……。ええ? 何でぇ……?
消え入るような声で、エリーは先を思いやった。
【冗談じゃねえ】アルフレッドが騒ぐ。【テメエ一人で下働きする分には勝手だがよ、これはオレの身体でもあんだぞ。誰が下僕なんぞに】
「そのご様子ですと、お察しするにまた吸血鬼が何かほざいているのではありませんか?」
見てもいないはずなのに、勘が鋭い。さすが完璧執事である。
【胤族だ】
聞かせもしないくせに、いちいちアルフレッドが細かい指摘を返す。
「良い機会です。サー・アルフレッドには、こう申し上げておきましょう」
キャスパーがいきなり詰め寄って、エリーは訳も分からないまま壁際に追い詰められた。
頭のすぐ横にドンと手を突かれる。
冷ややかな表情に影を落とし、キャスパーがエリーの目を覗きこんできた。
「ラムシング村を牧場呼ばわりしたんだってね。中々独特なユーモアだ。君のジョークにうちのお嬢様は腹がよじれておいでだ」
エリーの心臓が高鳴る。怜悧な相貌から、冷たい刃のような声が紡がれ、耳をくすぐる。
「そこで、お嬢様から君宛てに、小粋なジョークをお贈りだとさ」
鼓動が耳にうるさい。血潮が代わりにキャスパーの言葉を聞くために、耳に集まっている感じがした。
「そこまで言うなら、牧場主らしく家畜を世話してもらおう。それが筋というものじゃないか? ここはよその吸血鬼お断り。出入り自由の狩場なんかじゃない。主人の決まった牧場だ――そう定義したのはアルフレッド、他ならない君自身だろう?」
胸が焼けるように熱い。エリーは胸を掴んだ。
銀のペンダントを身に着けているのに、アルフレッドが外に出たがっている。
状況や評価を逆手に取って詭弁を弄するのはアルフレッドの十八番だ。自分の得意分野で喧嘩を売られて腹を立てている。
良い気味だ。けれども、キャスパーにはもっと手心を加えて欲しい。このままだと、抑えきれなくなる。
「だんまりか? おいおい、笑えよアルフレッド。お嬢様が滑ったみたいじゃないか。……いや、それともまさか今更、撤回する気かい? ああ、それは良い。こっちとしては願ってもない申し出だ。けど、そんなダサい真似をした日には、僕なら恥ずかしくて外を出歩けなくなるな。……ああいや、これは失礼! 君、そもそもこの子の外に出るのもままならないんだっけ。君は不自由を強いられているのに、配慮が足りなかった。ごめんよ、失言だった」
エリーの視界が赤く染まり始めた。胸と銀の接触面から煙が出始めた。
「キ、キャスパーさん……ちょ、もうちょっと抑えて……!」
「何だ、怒ったのか。わかりやすい奴だな。なら気が済むまで謝ってあげよう。君は吐いた唾を呑むような恥知らずじゃないようで安心したよ。後はそうだな……。威勢の良い啖呵を切ったくせに、実はその場限りのユーモアでした、なんてつまらない言い逃れをするような小物じゃないことを祈るばかりだ」
血が沸騰しそうだ。アルフレッドに感化されたのか、エリーに怒りに似た情が湧くものの、その矛先を知らないせいで単なる興奮と大差なかった。頭に血が昇って、のぼせてきた。
「キャ、スパーさん……そろそろ、こう……そろそろ……無理……」
間近で見ると、キャスパーの白皙の美貌は心臓に悪い。アルフレッドの怒りのせいで、エリーの中にないはずの感情が荒れ狂っている。
パッと、キャスパーがいつもの慇懃な笑顔に戻った。
「そういう訳です。エリー様はまだしも、あなたに拒否権はありません。エリー様の足を引っ張ることも許しません。ご立派な牧場主として相応しい振る舞いを、努々お忘れなきよう」
エリーを置いて、キャスパーはさっさと先を行く。
高鳴る胸を押さえて、エリーは真っ赤な驚き一色の顔で、ずるずると壁をずり落ちて、腰を抜かした。
顔が良いって、何て恐ろしいんだろう。
「早くおいでなさい」
キャスパーの呼びかけに慌てて、エリーは壁を手掛かりにし、やっと立ち上がった。顔が熱い。扇いでも扇いでも熱が引かない。
【……テメエ、良い気になんなよ。この程度の銀なら、強引に成り代わって、テメエを血祭りに上げてやることもできるんだ。テメエが言いたい放題できるのは、それだけの労力をかける価値がねえからだ。おいテメエコラ、夜は背後に気をつけろよ。エリー言ってやれ、あの腹黒執事に。おい聞いてんのか。クソが】
負けイヌの遠吠え。エリーは小言と笑いを嚙み殺した。
僅かに残った記憶から、努めてアルデンスの顔を思い出す。不本意にキャスパーへ芽生えかけた邪まな感情を、彼の高潔さで清めた。




