007 真夜中の女子会 7/7:悪夢の生贄
夢想家の意味を尋ねようとする直前、エリーの視界は真っ暗に暗転した。
送迎の人たちが持つ松明が、一斉に消えたのだ。突風もなく、突然に。
「何……?」
右を向いても、左を向いても真っ暗闇。エリーはいつの間にかケナガウマから降ろされていた。心細い足元から、闇よりなお暗く影が伸びていた。
灯り――背中から照らされている。
振り向くと、毛皮の外套をまとった人物が松明を掲げ、エリーに手を差し伸べていた。
顔に影が落ちている。けれども、曲がった人差し指。その代わりに中指を伸ばす癖。
「……アルデンスさん?」
人影は答えない。それでも構わなかった。
「アルデンスさん!」
良かった。生きていたんだ。再会の喜びが身体を前へ衝き動かす。
差し伸べられた手を両手で握り、アルデンスの存在を確かめるように、エリーは頬をこすりつけた。
「良かった……」
きっと、今までのことは悪い夢だったのだ。
妊娠して、死んだ私に吸血鬼が寄生して、復活して、記憶喪失って、何それ。現実味がないって。その後の惨劇も何もかも。属性盛りすぎ。
おかしくって、涙が出そう。
「本当に、本当に良かっ……」
おもむろに、アルデンスに引き寄せられた。エリーはアルデンスに身を任せ、熱く抱擁を交わし。
どすん、と腹に重い衝撃を受けた。
呆然と腹を見下ろすと、アルデンスの握る剣が、刃の半ばほどまで突き立てられている。
血が溢れ、ドレスに染みが広がっていく。
剣の柄が捻られ、エリーの腹の中を巻き上げて、抜かれた。おびただしい血と臓物の塊が地面を叩く。
(あ、いけない……また借り物を……)
理解が追いつく前にエリーは突き飛ばされる。背中から倒れ、体内で逆流した血が喉から溢れる。
「ごっ、ぽ……?」
起き上がろうとしても、力が抜けてしまう。不思議と痛みはない。吐血に喉を塞がれても、それほど苦しくない。
【テメエはもう簡単に死ねねえ】
耳元に、アルフレッドの男声が当たる。
エリーは首を反らせて声から逃れた。
逃れた先に、にやにやと腐れ落ちた顔。エリーが――アルフレッドが殺した、上半身だけになったナイフ使いが、這いつくばっていた。
恐怖に駆られ、エリーは再び顔を背ける。
背いた先――反対側には、胸に大穴を開けたフクロウの鳥人がいた。鳥人はエリーの腕にのしかかり、恨めしそうに二の腕をついばんでいる。
逃げなければ。脊髄反射で起き上がろうとしても、二人の死者に肩を押さえられてしまう。
死者たちは言葉を失くし、唸るばかり。ナイフ使いがエリーの髪を掴み、引き裂かれたエリーの腹を見せつけられた。
死者の呼び声に応えて、腹の奥からコポコポと湧く血の奥から、ケナガウマ――倒した祖霊の前脚が浮上する。
一本、もう一本……数本の前脚が糸のように紡がれて、蹄は杯の形を成し、その中に産声を上げる袋を満たし、掲げている。
「ラムシング村は悪魔の住む村だ!」
突如として狗人たちの罵声が四方から響いた。
「身重の女を血の生け贄に捧げる輩だ!」
「人間の風上にも置けん!」
何で助けに来てくれないの!? 見ているだけで、文句を言う暇があるなら助けてよ!
エリーの懇願は、蹄の杯に落ちる影に塗り潰された。
アルデンスが産声に手を伸ばす。血に浸った生の腸詰のようなそれを、アルデンスは曲がった指で摘まみ、滴る血を口で受ける。
嫌……お願い……やめて……! それは、その子は……!
エリーは血を吐き散らし、懇願する。
――これであなたの悪徳は取り除かれる。
アルデンスの口は、そう動いたようだった。
産声が放される。産声が落ちる。産声を、大開きのアルデンスの口が受け止める。
ちゅるん。ごくん。
罵声が止む。産声も泣き止む。エリーの肉が亡者に裂かれる生々しい音だけが残っている。
エリーが我に返ると、シーツの包まりの中だった。
まどろみもない目覚め。毛皮を重ね掛けたシーツの中は空気が籠って暗く、エリーの目にした光景と地続きだった。
寝間着の上から腹をまさぐる。汗だくだけれど、血はおろか傷一つ探り当てられなかった。
また、悪夢だ。顔を拭うと、酷く汗をかいていた。
物思いに耽っている内に、いつの間にか眠っていたらしい。
もぞもぞとシーツから頭を出す。客間の空気が肌をさらうと、鳥肌が立った。
日の出前。東の空は白み、窓から仄かに差す薄明かりが、室内を薄く染めている。
顔を拭った手を、見る。冷たい汗は無色透明。今度は血の涙を流さず済んだ。
エリーは両目に腕を渡して、深く吸い、吐いた。
「もう、そろそろ良い夢見させてくれても良いじゃないの……」
悪夢を振り切るように、勢いつけてエリーはベッドから降りた。
油を塗った革張りの窓を開き、淀んだ空気を入れ換える。ベア院長は居眠りしたままだった。
クローゼットを開き、着替えを選ぶ。なかなか服を掴めない。エリーは手首を掴んだ。震えが止まらない。
目をつむって深呼吸し、心が鎮まるのを待つ。
(今見た夢は、私の記憶じゃない)
記憶と夢は、別物だ。
キャスパーの語るアルデンス――マイケル・スコットの人物像。一つ前に見た、母性が反転する悪夢。人助けが結果としてアルフレッドにつけ入る隙を与えた無力感。
一晩で立て続けにショックを受けたせいで、色んな悪夢が入り混じっていた。
エリーは自分に言い聞かせる。
アルデンスは命懸けでエリーを助けてくれた人で、いち早く内通者に気づく敏さを備えた人で、エリーに三つの好きを見つけるおまじないを授けてくれた人だ。
大丈夫。あの人にはちゃんと、三つある。
けれども、アルデンスの全てが、エリーが勝手に抱く幻想だとしたら。
アルデンスは、ロバートを剣で脅した。
彼は人喰いと呼ばれ、殺し屋や吸血鬼から狙われるほどの何かを背負い、家畜としてエリーを自領へ連れ帰ろうとしていたのだとしたら。
おまじないも、エリーを大人しくさせるための方便だとしたら――。
(やめよう)
拳を握って、エリーは無理やり震えを止めた。
殺し屋の一味、ミケーレ・アンドリーニはエリーのことを標的と呼んでいた。追われていたのはエリーであって、アルデンスではない。
アルデンスはあくまで、エリーの逃避行の道連れだったはずだ。
――あるいは君が、マイクを邪道に走らせた原因かもしれない。
キャスパーの呈した疑念が、エリーに重く圧し掛かる。
当事者本人に向かって告白したのは、彼は彼で限界だったからだろうか。
何度も耳にした旧友の悪い噂に。目の当たりにした旧友の変貌に。コシノフ邸を訪ねに来たかと思えば、瞬く間に立ち去った奇行に。
エリーに全ての責任を求めれば、簡単にアルデンスは潔白になる。
(違う。アルデンスさんが悪人じゃないなら、私もきっと、守るだけの価値があったはずよ)
前提を見失ってしまうのは、冷静でなくなっている証拠だ。
ミキも言っていたじゃないの。「ひもじい、寒い、寂しい、なんてときには特に気をつけなきゃ」って。
生きている限り、お腹は確実に空いていく。温かいご飯を食べよう。落ちこむにしても、それからだ。




