005 真夜中の女子会 5/7:善意と駆け引き
三階が遠い。重い足を引きずって、エリーは客間に戻り、椅子で居眠りするベア院長の前を素通りし、ベッドに倒れた。
マットに身体が沈む。このまま沈み続けて底に抜けてしまいそうだ。
(……あ、いけない)
お腹の赤ちゃんのことを忘れていた。
ミキの見立てによれば、エリーは妊娠十二、十三週あたり。尻もちをついただけでも流産の恐れがある。
一回のベッドダイブで神経質になりすぎだけれども、お腹の子のことが頭から抜けてしまうだなんて。
お腹の子が流れてしまうと、エリーはアルフレッド諸共駆除される。エリー自身の命可愛さもあるけれども、何よりお腹の子の無事を一番に考えてあげたいのに。
(ああ、もう、嫌になっちゃう。ごめんね)
毛皮のシーツを頭から被り、自己嫌悪に煩悶しながらお腹を撫でる。心の中でお腹の子に語りかける。
(でもね、私、もうどうしたら良いか、わからないの)
夜食会でのこと。あの憎たらしい寄生吸血鬼は、エリーには露術を覚えさせないと改めて宣言し、こう嘲笑った。
【おっと、またお得意の死ぬ死ぬ詐欺か? おめでたい頭してんな。よく考えろ。テメエはもう簡単に死ねねえんだよ】
こいつは何を得意になって口走っているの。
【自殺はオレが意地でも止めてやる。なら誰に手を汚させるつもりだ? ミキか? イーリャか? それともラムシング村のサルか?】
今更それがどうした。最初からミキ・ソーマはエリー諸共アルフレッドを葬るつもりでいる。今の今までエリーが生き延びているのは、色んな人の親切に支えられているためだ。
いよいよとなれば、エリーも受け入れる覚悟がある。敵の詭弁で今更揺らぐものか。
【なるほど、そうなりゃオレには止められねえ。で、テメエが殺されたら、根無し草のイヌどもはどう思う?】
詭弁に血が通った。エリーの動揺を見透かして、血潮が逸った。
【村のサルは護律協会側だ。オレを消すってお題目がありゃ、テメエの死を有耶無耶にできる。だが、同時にテメエはイヌどもの恩人でもある。その恩人が理不尽になぶり殺されたら、それをサルが黙殺したら……たちまち犬猿の仲、サルイヌ合戦勃発だぜ】
エリーは頭が真っ白になった。代わりにアルフレッドの哄笑が、真っ白な頭を血で塗り潰していく。
祖霊の襲撃からライトールたちを救った功績を、エリーたちは“儀仗の結い”の儀礼で公衆の面前に示した。
スプリグリ族長バルケティルは、エリーを一人の母と認めてくれた。
その敬意の深さたるや、一夜限りとはいえエリーに銀の首飾りが――スプリグリ族の宝が貸与されるほどの厚遇に表れていた。
衆目は否応なしにエリーを英雄視する。
エリーの村での地盤は固まった。
普通ならめでたしで終わるところだけれども、同時にこれが命取りだった。
英雄にまでなってしまったエリーは、アルフレッドにとっても価値ある人質となってしまったのだ。
【死んでやるだと? 寝言は寝て言え。テメエたっての願いだろうが、イヌ畜生どもは耳を貸さねえぞ】
今更になって、ミキが儀式に後ろ向きだった理由がわかった。
エリーの命の価値が暴騰するのを防ぐためだ。
そのためには、事態に合わせて“儀仗の結い”に最小限のアレンジを加え、後は格式と手続きでガチガチに固めるのが最善だった。
ところが、バルケティルのアドリブでその思惑が破綻する。
エリーが集めた称賛は、バルケティルの善意と打算から出た、いわばサービスである。バルケティルとエリーの株を一挙に上げる絶好の機会だった。
それが悪手になるなど、誰も思わない。
晴れの舞台で「殺せなくなるからやめろ」など、口が裂けても言えない。
もはや誰にエリーの介錯を任せても、ラムシング村とスプリグリ族の間に禍根を残してしまう。
(もう、どうすりゃ良いのよ)
【何を悩んでやがる】
アルフレッドの声から逃れるように、エリーは目をつむり、枕で耳を塞いだ。吸血鬼が明朗な声で、無駄な努力を嘲笑う。
【露術がなくても、このオレがいる。オレたちを脅かす野郎は全員、オレが殺し尽くしてやる。オレは血をゲットできてハッピー。血を飲めば飲むほど、テメエはさっさとオレとおさらばできてハッピー。何が不満なんだ】
夢での取引を蒸し返されている。
既にエリーは殺し屋を二人、森に現れた祖霊一頭を手にかけた。
エリーが助かるために、人助けのためにやむを得なかった。それでもずっと罪悪感に苛まれているのに、この上まだ手を汚せと唆してくる。
【精々ゆっくり考えてみな。どうするのがテメエと、お友だちにとって最良なのかをな】
嘲笑が身体の奥に退いていく。
敵の声を真に受けてはいられない。どうにかするしかない。露術を覚える他にないけれども、どうやって。
いっそのこと、スプリグリ族に事情を説明すれば、あるいは。
私――エリーは、露術を覚えないと吸血鬼を止められません。けれども吸血鬼に訓練を邪魔されてしまいます。
なので、吸血鬼がその気なら、こっちは道連れにする覚悟があります。ご理解ください。あなたたちを守るためでもあるんです。
『早まってはならん。何か別の方法があるはずだ。安住の民の何と冷血なことか。護律協会は何を手をこまねいておる。案ずるなエリー殿。そなたは我らスプリグリの盟友である。そなたの身にもしものことがあれば、一族の総力を結集し――』
脳内バルケティルが一族郎党武装させたところで、頭を振って妄想を払った。
スプリグリ族は気の好い人々だけれど、略奪者の一面を備えている。
族長の息子が危機に直面しても一歩引いて、ラムシング村の出方を窺ったのは、賠償目当てだとイーリャは分析していた。
身内ですら利用する彼らだ。よそ者のエリーなら安否を気にせず利用できる。
エリーの駆除が決まれば、スプリグリ族は徹底的に抗議すれば良い。不服を表明するだけで充分だ。
あえなくエリーが駆除されたのなら、口止め料を要求する絶好のチャンスに変わるのだから。
各地を転々とするスプリグリ族なら、噂を流布させるなど造作もない。
(でも、誇張するにしたって大きな嘘はつけない。吸血鬼に憑かれた人間がやむなく殺されたってくらいじゃ、脅迫には……あ)
祖霊退治の実績。それをエリーの語った武勇伝がダメ押しでドラマチックにさせる。
(待って待って待って……いきなり武勇伝を頼んだのって、そういう駆け引きでもあったの!?)
気づいてももう遅い。エリーの口伝は利用価値がある。
エリーや、エリーを助けてくれた人々の物語は、スプリグリ族に脚色され、こう締めくくられる。
――勇気ある母は殺された。ひとえに内に潜む悪鬼のために。それを恐れた弱き者たちの手によって。
ラムシング村の評判は地に落ちる。英雄殺しの恥知らずが住む村として。
開拓途上の僻村の息の根が止まる。
深謀遠慮に頭がこんがらがりそうだ。あの狗人たちは一体どこまで先を見据えているのか。
いっそのこと、手荒な手段に出てでも、スプリグリ族にエリーを厄介者だと思い直させるか。
いや、それも無駄だ。その場合、別の賠償問題へ発展するだけだ。
シーツの中では、名案は浮かばなかった。




