004 真夜中の女子会 4/7:夜の勉強会
贅沢に湯気の立つお湯で顔を洗って、エリーはやっと人心地ついた。温もった顔が室温で冷めていくにつれ、眠気が飛んでいく。
用意してもらった新しい枕はからからに乾いていて、芯までふんわりとしている。せっかくだけれども、今夜は出番がないかもしれない。
枕をぬいぐるみ代わりに抱き、エリーは食堂の長椅子に腰掛けて脚をぱたぱた寛いでいると、寝間着に袖を通したヘーゼルがやって来た。
当然のように隣に詰めて座る。
「エリー寒くねえか? 自分とくっついても良いぜ。温けえぞ」
「あ、ありがとう」
訊かれる前からもうとっくにくっつかれているんだけれども。おまけに丁度良い温かさだし。
顔を洗ってさっぱりした頭に、うとうとと温もりが染みこんできて……。
――泥棒ネコ?
生霊の気配に鳥肌が立って、エリーは離れた。
「で、でも、イーリャさんに焼き餅焼かせちゃうからやめとく」
「うげぇ」
その光景を想像したヘーゼルも、ふざけ半分に苦い顔をしていた。
「お待たせしました」
噂をすればイーリャが夜食一式をトレイに載せて持って来た。よせば良いのに、ヘーゼルはエリーからわざわざ離れて座り直した。
イーリャの不信げな表情に二人は戦々恐々だったけれども、イーリャは淡々とトレイの上の物を並べていく。
「エリー様にはサジーリーフのお茶を、こちらのスモーブローはヘーゼルに」
イーリャにお礼を伝えて、エリーは湯気立つ茶器に口をつけた。
爽快な青葉に、ふかふかの土の香り。冷えた身体を耕してくれそうな風味がする。
ヘーゼルに出されたスモーブローとは、オープンサンドのことだ。
薄くスライスしたライ麦パンの上に、サワークリームとジャガイモのマッシュ、それから冷燻したサケの薄切りを載せ、ディルを散らしている。
二切れあったスモーブローをヘーゼルは重ねて本家サンドイッチにし、一口でペロリと平らげてしまった。
「ひゃー、うめー。ごちそうさん」
(飲み物みたいに食べていたけれど、味とかわかるのかしら)
そんなヘーゼルの食べっぷりをイーリャがうっとりと眺めている。
かと思っていると、イーリャはすぐに居住まいを正してエリーの方に身体を向けた。
「エリー様、今、お疲れですか?」
「それが、誰かさんに本の角でぶたれてから目が冴えちゃって冴えちゃって……」
イーリャがギクゥッとした。
「ああいや、からかっただけです。すみませんでした。目が覚めているのは本当ですよ」
イーリャがムッとして、居心地悪そうに咳払いをする。
「でしたら今から、少しだけでも露術を学んでみませんか?」
露術――エリーが記憶を失う前に使っていたという、水を操る奇跡。
その力を取り戻せば、もしものとき、エリーも独力でアルフレッドに対抗できる。エリーの希望となる術だ。
けれども「え、こんな真夜中に?」
勉強するには中途半端な時刻だった。嬉しい申し出だけれども、エリーは爪の先まで休息気分に浸っている。
いきなり勉強に誘われても、ちょっとついて行けない。
「ミルズの森の一件で、エリー様は村の方々から信用を勝ち取られています。アルフレッドから水を差される心配もありません。始めるなら今です」
イーリャさん、ちょっと焦ってる?
「それは……私も早く覚えたいのは山々ですけれども、蝋板とペンも無しに、いきなりですか?」
「本格的な指導は明日の朝にでも。せっかくですから、露術を使う感覚を先取りして体験してみませんか?」
確かに、露術にはずっと憧れていた。本当に念じるだけでエリーでも水を動かせるのか、不思議でならなかった。
散々後回しにしてきたのだし、ここで体験してみるのは景気づけに良い気がしてきた。
「うん、でしたらお願い――」
【 】
「――は? 何言って【 】……!?」
エリーの口数が減って、押し黙ってしまった。瞠目し、視線を泳がせ、次第に俯きがちになっていく。
「どうかなさいました?」
ただならない様子に、イーリャが声をかけてくる。皿を舐めていたヘーゼルも、エリーの異変に気づいた。
「エリー?」
「アルフレッドが……」口が重い。「露術は、覚えさせない。って……」
「そんな!」
イーリャが茶器を揺らす勢いで食卓に手をつき、立ち上がる。湯桶を抱えてそばを通る女手が驚く剣幕だった。イーリャは軽く謝って、仕事に戻らせた。
声を絞ってエリーに――その内に潜むアルフレッドに詰め寄る。
「約束が違います。邪魔をするなら命はないと承知の上ですか」
「往生際が悪いぞ。てめえも男なら潔く――」
「違うの」
イーリャとヘーゼルの抗議を跳ねのける語気で、エリーは声を絞り出した。
「あいつごと今の私を殺したら、今度はスプリグリ族の人たちが黙っていない、って……」
イーリャは寝不足で血走った目を見開き、ヘーゼルが小首を傾げる。
「それは……」イーリャが逡巡する。「いえ、確かに、素直に約束を守るとは思っていませんでしたが、まさかそうくるとは……」
「何だよ。どういうことだよ」
一人、会話について行けないヘーゼルに、イーリャは憂いのある笑み浮かべた。
「みなさん、エリー様を大切に思っているということですよ」
「ああ? 何言ってんだよ。当たり前だろ、そんなの」
ヘーゼルの無邪気さに救われる思いだったけれども、エリーは一瞬微笑み返すのがやっとだった。
アルフレッドの脅迫のせいで、考えが乾いた砂のようにまとまらない。
イーリャが頭を抱えて食卓にうずくまり、大長息をついた。
ヘーゼルに嗅ぎ取れたのは、とにかくただごとではない雰囲気だけで、二人の間に視線を往復させていた。
「……まあ、こんな真夜中に切り出した私が浅はかでした」
「いえ……」
アルフレッドのからくりに気づいた二人は、ばらばらに席を立つ。
「お、おい、お前ら……どうしちまったんだよ。自分にもわかるように教えてくれよ」
「……急に眠くなってきちゃった」
「病み上がりなのですから、ヘーゼルももうお眠りなさい」
「でもよ」
「おやすみなさい」
エリーとイーリャが声を合わせて、ヘーゼルを振り切った。
「……おやすみ」
訳もわからないまま食堂に取り残されて、ヘーゼルの返事は気落ちしていた。
結局、夜の女子会は冷え切ったまま、解散を余儀なくされた。
「あ、おいエリー、枕忘れてっぞ」
気恥ずかしさを噛み殺し、エリーは速足で踵を返した。
ただ落ちこむだけなのに、恰好もつけられない。




