003 真夜中の女子会 3/7:宴の裏で
番犬モードのヘーゼルが、勘違いとわかるや家犬モードに早変わり。
変わり身の早さに呆れ半分微笑ましさ半分、エリーはヘーゼルに訊いた。
「ところで、もう具合は良いの?」
ヘーゼルは過労で倒れたばかりだ。一時は会話もできないほど衰弱していた。
さしもの溺愛イーリャも正気に戻り、ヘーゼルから降りて咳払いをした。
ヘーゼルは得意げに力こぶを作ってみせた。
「完全復活だぜ。心配かけたな、二人とも」
ヘーゼルの獣人化した頬に、イーリャがそっと手を添えた。
「だとしても病み上がりです。人狼の姿だと体力を使うでしょう。お騒がせしたのは謝りますから、楽になさい」
「ん、そうだな」
オオカミの毛皮がヘーゼルの内に畳まれていく。体格が一回り縮んで、見慣れたへんにゃり強面とトラ縞模様が表れた。
「きゃあ!? な、何ですっぽんぽんなのよ!?」
顔を隠して、エリーは指の隙間からヘーゼルを覗いた。
毛皮が表に出ている間は気にも留めなかったけれども、人の形に戻るにつれて、そのあられもなさが浮き彫りとなった。
厳密には局部も縞模様に隠れていたとしても、年頃の乙女が開けっ広げにして良い訳がない。
だというのに、ヘーゼルはむしろエリーの指摘の方が的外れかのように首を傾げた。
「だって変身すると寝間着とか破けちまうし……うわっ」
無防備なヘーゼルに、目にも留まらぬ早業で首輪が締められた。
リードの持ち手は、血走った目で鼻息を荒くするイーリャである。
「あーあ、いけない子」
イーリャの目がキマっていた。普段の鋭い目つきが一転、見開かれた四白眼がいつにも増して切迫した情を訴えかけており、トナカイのスタミナが暴発寸前だった。
「ねえ、可愛い私のヘーゼル。我が家を全裸で徘徊するって、そういうことですよね? 同意と見てよろしいんですよね?」
息遣いも声色も、熱っぽい。
何かしらを自慢の鼻で嗅ぎ取ったヘーゼルが背筋を凍えさせ、慌てて局部を隠してしゃがみ、イーリャに背を向けた。
「お、おいイーリャ! てめえ、嵌めやがったな!?」
けれども耳まで赤くしたヘーゼルが、逆にイーリャの琴線に触れた。
「あらあら何ですか、その、可愛らしいヘーゼルの……恥じらいを……最高ですね」イーリャが垂涎をすする。「じゃあ、責任取ってくださいね……」
尋常ではない力でリードが引かれていく。ヘーゼルが床に爪を立てて抵抗するも虚しく、廊下に爪痕をずりずりと引きながら寝床へ連れ去られようとしていた。
「誰が厨房の方々にこの顔のことを説明してくれるんですか」
エリーは意地悪女になりきった。
ヘーゼル偏愛家のイーリャであろうと、屋敷やラムシング村の平和が引き合いに出されると弱い。
イーリャは歯ぎしりし、ひとしきり渋った末にヘーゼルの首輪を外した。
「エリー様と食堂でお茶をしていますから、服を着ていらっしゃい」
解放された去り際、ヘーゼルは「恩に着るッスよ」とエリーの肩を叩いてくれた。
やはりイーリャの嫉妬を買う。
「イーリャさんならご存知でしょうけれど」
「何か」不機嫌な返事だ。
「お茶だけじゃなくて、夜食もあると誰かさんは喜ぶんじゃないかなあ、って。好きな人が用意した物だと、感動もひとしおじゃありません?」
瞬間イーリャは、夜食を食べて尻尾を振るヘーゼルを電撃的に思い浮かべた。
「参りましょう。一刻を争います」
イーリャらしい切り替えの速さがおかしくて、エリーは肩をすくめ、その後について行った。
†
食堂へ行くまでの間、顔中血まみれのエリーとイーリャが談笑する。その裏で、イーリャは後ろ暗さを覚えていた。
「どうかしました?」
「……いえ。本当に酷いお顔なので、早く洗いましょう」
一階厨房へ先に入り、夜勤の村人に事情を話す間も、イーリャは心ここにあらずの体だった。
昨夜の宴でミキと交わした会話が気がかりだった。
昨夜の宴の最中、エリーが二人のそばを離れた、ほんの僅かな間のことだ。
――遅かれ早かれ、エリーさんをラムシング村から追い出さないといけないね。
ミキはいつもの軽薄な調子で、唐突に切り出した。
イーリャには意味がわからなかった。あれだけ強硬にエリーの保護を主張していたミキらしくない。
かと言って、品性に欠けた冗談を口にするほど零落れていないことも、イーリャは知っている。
イーリャはトナカイの丸茹でを口にする手前で止まってしまった。
「殺し屋の追跡から、立て続けに起きた森の吸血鬼騒ぎ……偶然とは思えない」
酒が入っているはずのミキが、素面だった。
「殺し屋は無関係だと証言しています」
丸茹でを器に戻し、イーリャは声を潜めて反論する。ミキは酒をあおり、頷く。
「エリーさんたちは、殺し屋とは別に、吸血鬼からも追われていた可能性がある」
「まさか……」
あり得ない。
禁域を擁するラムシング村は、仮にも護律協会の息がかかった土地である。
旧拝露教会時代から続く実績から、表向きには未だに厳重な監視下にあると見なされている。
何の目的もなく、禁域辺縁のミルズの森に吸血鬼が現れるとは考えにくい。
エリー、あるいはアルデンスが目的だった。そう考えるのが自然だ。
「いえ、ですが、エリー様ではなく、殺し屋をつけ狙っていた可能性も……」
「だとしたら、ウマも人も見境なく眷属化させた理由は何だろう。おあつらえ向きにこそこそしている殺し屋が目当てなら、アタシらの縄張りで暴れさせるとは思えないよ」
「……あるいは、アルフレッドの手引きでは」
「アッハハ。面白いこと言うね。だとしたら君、今頃死んでるよ」
言われなくてもイーリャも理解している。理解していてなお、言わずにはいられなかった。
仮にアルフレッドの陰謀だったとする。
エリーと共に同じウマに乗っていたイーリャは、いつアルフレッドの毒牙にかかってもおかしくなかった。
イーリャ自身の無事が、アルフレッドの無罪の傍証となっている。
「それに、エリーさんがラムシング村に到着したのは昼間だよ。血の一部を切り分けて、森に送れるような時間なんてなかったし、そもそもアルフレッドの血の備蓄にそんな余裕はない。つい昨日まで禁域に封印されていたんだから、仲間の可能性もないね。……いや、それ以前に、イーリャの仮説だと、この騒動はアルフレッドの自作自演ってことになるよね。それであいつが得られるメリットって何さ?」
イーリャは顎に手を当てて考えた。
「ラムシング村の承認を得て、名実共に滞在を認めさせる……? 我々が気を許した瞬間を狙って、手の平を返すつもりで……」
「良い線だけれども、多分それはないね」
ミキは肉を頬張りながら切り捨てた。酒で流し呑む。
「そういう帰属意識を一番欲しがっているのはエリーさんの方さ。村と関係が良くなったところに、アルフレッドが裏切りでもしてごらんよ。黙って見過ごすエリーさんだと思うかい?」
「……あの方なら、とことんアルフレッドの足を引っ張るでしょうね」
「でしょ?」我が意を得たりと指を鳴らすミキ。「望む望まないにかかわらず、アルフレッドはエリーさんとの共生を余儀なくされているんだ。仲違いなんかで苦労したかないはずさ。だから、面従腹背はアルフレッドが望む方向性から若干ずれている気がする」
「その方針で裏切るとすれば、一発逆転狙いになりますね」
「手も足も出なくなった輩の考えそうなことだよね。けれどもアルフレッドはもっと狡猾で用意周到なタイプな気がするんだよね。そう考えると、あのシチュエーションはアタシたちを分断し、一人ずつ捻り潰すには絶好のチャンスだった。にもかかわらず、アルフレッドはみすみす逃した」
「あのときは本当に、護律協会の力を借りてでも祖霊を確実に倒すつもりでいたと?」
「そゆこと」
「なるほど……ですから、祖霊の出現はアルフレッドにとっても不測の事態、したがって別個体の吸血鬼がいたとお考えになったのですね」
エリーとアルデンスを狙うという、謎の吸血鬼。
だとすればこの宴は、残酷だ。
エリーは災いを退けた女傑でありながら、災いを招いた疫病神でもある。そうとは知らず、人々はエリーの勇敢さを称えている。
エリーさえいなければ、ラムシング村は平和なままだった。
それに気づく者が出てはまずい。見方次第では自作自演も同然だ。
「殺し屋だけならともかく、吸血鬼まで出てこられちゃ話が変わるよ。吸血鬼に殺し屋みたいなお行儀の良さなんて期待できないからね」
「……ですがまだ、可能性のお話でしょう」
「そうだね。けれども、予想通りなら、いつ犠牲者が出てもおかしくない」
――今回、怪我人だけで済んだのは幸運だよ。
強く反論できなかった。イーリャは自分自身の情けなさに閉口する。
「イーリャ様? 他に何かご入用で?」
夜勤の村人に尋ねられた。イーリャが我に返る。
「夜食を一人前、頼めますか。魚か肉類で」
釈然としない様子で、村人は承った。
(エリー様も、村の方も心配させるだなんて、本当に疲れているみたいですね……)
イーリャには、ヘーゼルのために夜食を作ることもできない。
村人にタライ一杯の湯と手拭いを用意させる傍ら、イーリャは茶葉とティーセットを選ぶ。
もしも、エリーを村から追い出さなければならなくなったとして。今のイーリャから、彼女に授けられるものがあるとすれば。
(やはり、露術しかありません)
エリーを厨房に招き入れる。
村人たちに酷い顔だと揶揄されながらも、エリーが祖霊を倒したと知れ渡ったからか、決して険悪な雰囲気ではない。
エリーは頭を掻きながら、困った顔で愛想を振り撒いている。
気を許した村人の笑い声が厨房に響いている。
村やスプリグリ族から得た信頼は、エリー自身が勝ち取った成果に他ならない。邪魔立てする者も、今ならいない。
露術訓練を再開する時が来た。
†




