006 真夜中の女子会⑥:キャスパーの証言
名案が浮かばない苦悩は代わりに、昨夜のキャスパーとの会話を思い出す呼び水となる。
――マイケル・スコットは、アルデンスの本名だ。
コシノフ家執事キャスパー・レンスキーは忌々し気に、その名を口にした。
マイケル・スコット。キャスパーによれば、かつて霊髄壁穿孔大隊に所属していたらしい。
また、パティソンという男爵に重用され、特例で準男爵位を叙勲したという。
立派な経歴だが、それが記憶の中のアルデンスとすぐには結びつかなかった。
「え、でも、アルデンスさんって名乗って……」
「最初はそう名乗っていた。けど、僕の顔を見るや心底驚いた様子で『キャスパー・レンスキーか?』ってな。曲がった人差し指に添えて中指を伸ばして、僕を指したんだ。それで僕もあいつに気がついた」
「……何ですか、それ」
「剣術の訓練で指を壊ったそうでね。その後遺症で、真っ直ぐ伸ばせないって聞いている。けど、代わりに中指を伸ばす癖は間違いない。雰囲気も声もがらりと変わっていたけど、あれは確かにマイケルだった」
「偽名だった、ってこと……ですか?」
「僕に訊かれても困る」
動揺した。アルデンスが偽名なら、エレクトラ・ブランという名前も偽りである可能性が高い。
エリーと呼ばれてはいたが、本当はエリーですらないのかもしれない。
谷底に落ちるとき、アルデンスがエリーの名を叫んだのも演技だったのだろうか。
あんな土壇場になってまで。
「……それで、知り合いだったから屋敷に入れたんですか」
わだかまりはあるが、こんなところでつまずいてはいられない。
エリーという名が偽物だったとしても、今のエリーはラムシング村とスプリグリ族に認められつつある。
新しく生まれ変わったエリーとして生きていくのも悪くない。
前向きに考えようと自分に言い聞かせる。
キャスパーは答えた。
「まあね。匿うと見せかけて連邦に身柄を引き渡せば、コシノフ家の名声になるかと考えた」
「私たちの指名手配書は出ていないはずです」
ヘーゼルの義兄ロバートがそう証言している。
キャスパーは冗談のつもりだとしても不愉快だ。
「ああ、いや、すまない。言葉足らずだった。……そうだな、大隊時代のあいつのままなら、旧知のよしみで泊まらせてやっていたかもしれない。禁域に転落する君を、彼が命を懸けて庇ったんだって?」
「え、ええ」
「その話が本当だとすれば、あいつは僕のよく知るマイクだ。だったら一晩泊めるくらいお安い御用だよ。……けど、僕の知るパティソン準男爵は悪党に成り下がってやがった」
アルデンスことマイケル・スコットはパティソン男爵領の一部を与えられ、一代限りの安堵を認められた。
準男爵家族と奉公人家族の二世帯が、慎ましくも穏やかに余生を過ごせる程度の小さな領地だ。
爵位を授かったのを機に、マイケル・スコットは大隊時代のパートナーと結婚したという。
キャスパーがその噂を耳にしたのは、ポート使用人養成学院に在籍していた頃だった。
「彼とパティソン家の間柄は大隊時代から知っていた。だから、まあ、めでたいなと思った訳さ。平民上がりにしちゃ大した出世だし」
「その、結婚相手ってひょっとして私……」
キャスパーは首を横に振った。
「大隊時代のパートナーは、少なくとも君じゃなかった」
エリーは肩を落とした。
お腹の子の父親ではないとわかっていたくせに、我ながら未練がましいと自嘲する。
キャスパーが話を続ける。
「噂を耳にしたときは執事の訓練で手いっぱいでさ。祝電一本入れる暇もありゃしない。おかげで噂を確かめる機会を逃してしまった。そもそも、マイケル・スコットって名前がいけないんだ。連邦の地図にダーツを投げたら、当たった地点の最寄りの集落に必ず一人はいる名前だ」
ところが、コシノフ家に赴任してから、またしてもパティソン準男爵の名が囁かれるようになる。
「パティソン準男爵に仕えた奉公人家族が、次々と行方をくらませているって噂が流れてたんだ」
パティソン男爵領はラムシング村からウマで三日ほどの距離にある。
養成学院時代とは比べ物にならない頻度で黒い噂を耳にした。
曰く、あんな小さな領地で二家族が養える訳がない。
曰く、あんなネコの額のような領地で越冬できるからには、外道な手段を使っているに違いない。
曰く、物乞いや被災者、身元が割れない者を屋敷に招き入れては使い潰し、その肉で食い繋いでいる。
曰く、連邦内の混乱に乗じて、二本脚の家畜を仕入れている。
曰く、パティソン準男爵は人食い一族だ。
「あの人がそんなことする訳がない!」
声を荒げたエリーに、狗人たちが何事かと振り向いた。
そのときは宴の帰り道で、彼らの厚意で送ってもらっているところだった。
「何でもありませんよ」
キャスパーは適当に誤魔化して、狗人の注意が逸れるのを見計らう。
「僕も信じたくなかった」とこぼす。
仮にキャスパーの知人のマイケルであれば、平民から仮にも貴族に引き立てられた出世頭だ。
大衆の嫉妬を集めるのは想像できたし、準男爵という絶妙に弱い立場なら格好の的である。
そしてどうも、奉公人を何度も雇い直しているは事実らしい。
閉塞感が漂う世の中で、槍玉に挙げられやすい条件が笑えないくらいに揃っていた。
口さがない庶民の悪趣味に辟易し、キャスパーは噂を聞き流していた。
だが、かといってパティソン男爵領に挨拶に赴くのを装って事実を明らかにしようとも考えなかった。
コシノフ家の執事であるキャスパーが、疑わしいとはいえ黒い噂の絶えない貴族と交流を持つのは、避けるべきことだった。
パティソン準男爵は、果たしてあのマイケルなのか。
判然としないまま日々を過ごした。
それから時は経ち、つい先週のことだった。
とある一件から噂を無視できなくなる。
「シャクルトンというご家族から静養の予約電話が届いた。このご家族も臨月間際だったから断ろうかと思ったんだけど――」
――後生だ。頼む。
――パティソン準男爵も、奥様も賛成してくださっている。
――なあ、うちは去年の春からあのパティソン準男爵に新しく仕える奉公人だ。
――ラムシング村の者なら、それがどういう意味かわかるだろう?
――いいや、わかってくれ。ここしか頼れないんだ。
――こんなはずじゃなかったんだ。
「悲鳴じみた懇願だった。どこから電話をかけていたかと思えば、ここから最寄りの宿場町だ。買い出しの用事をでっち上げて電話をかけてきたらしい」
「まだ憶測じゃないですか。それにもしキャスパーさんの予想が当たっていたのなら、そのシャクルトンさんたちがアルデンスさんを見て何とも思わないはずが――」
「ご家族は今もまだ到着していない。君たちは先回りしたものだと思っていた」
「私たちは……いえ、私が殺し屋に狙われていたんですよ? アルデンスさんが悪人な訳、ありません」
「あるいは君が、マイクを邪道に走らせた原因かもしれない」
反論が、声にならなかった。
殺し屋は、ナイフ使いはエリーを悪女と呼び、何度も何度も執拗に刺してきた。
エリーの悪行がアルデンスを惑わせたとしたら。記憶を失う前のエレクトラが、本当に人誑しだったとすれば。
エリーのせいで、ずっと誰にも頼れなかったのだとすれば。
言い返そうと思って吸った息を、何度も無駄にする。
「これでも、僕なりに考えたんだ。それでも、噂が……本当に思えて仕方がなかったんだよ」
最後の言葉だけ、キャスパーは言い淀んだ。
ケナガウマの行列が、松明に照らされて暗闇に点在する道を、黙々と歩んでいる。
「だったら」エリーが静けさを破る。「だったら、私は何なんですか」
「訊かれても困るけど……、少なくとも、一つはっきりした事実がある」
「それは」
「禁域を越えるルートは、パティソン男爵領への近道だってことさ」
ケナガウマの足音だけが雪混じりの泥濘を蹴っていく。
「ただ」
顔半分だけ振り向くキャスパーに、仕事疲れが滲んでいる。
「久し振りに見たあいつの顔は、僕の知るマイケル“夢想家”・スコット閣下だったよ」
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