004 真夜中の女子会④:夜の勉強会
顔を洗い終え、エリーに新しい枕も用意された。
清潔な枕を抱いてエリーが食堂で寛いでいると、寝間着に着替えたヘーゼルもやって来た。
エリーの隣に座る。
「エリー寒くねえか? 自分とくっついても良いぜ。温けえぞ」
「ありがとう。でも、イーリャさんに焼き餅焼かせちゃうからやめとく」
「うげぇ」
引きつった微笑みでヘーゼルは奥歯を噛んでいた。
「お待たせしました」
噂をすればイーリャがトレイを持って来た。
よせば良いのに、ヘーゼルはエリーからわざわざ離れて座り直した。
イーリャの不信げな表情に二人は戦々恐々だったけれど、運良く見逃されたらしい。
「エリー様にはサジーリーフのお茶を、こちらのスモーブローはヘーゼルに」
イーリャに礼を告げ、エリーは湯気立つ茶器に口をつけた。
爽快な青葉に、ふかふかの土のような香りがする。けれども。嫌味な感じはしない。
スモーブローとは、オープンサンドである。
薄くスライスしたライ麦パンの上に、サワークリームとジャガイモのマッシュ、それから冷燻したサケを載せ、ディルを散らしている。
二切れあったスモーブローをヘーゼルは重ねて本家サンドイッチにし、一口でペロリと平らげてしまった。
「あー、うめー」
(飲み物みたいに食べていたけれど、味とかわかるのかしら)
ヘーゼルの食べっぷりをイーリャがうっとりと眺めていた。
かと思っていたけれど、イーリャはすぐに居住まいを正してエリーに向いた。
「エリー様、今、眠たいですか?」
「それが、誰かさんに本の角でぶたれてから目が冴えちゃって冴えちゃって……ああいや、冗談です。すみませんでした。責任感じないでください。けれど、目が覚めているのは本当ですよ」
「でしたら今から、少しだけでも露術を学んでみませんか?」
「え、こんな真夜中に?」
露術――エリーが記憶を失う前も使っていたという、水を操る奇跡。
その力を取り戻せば、エリーが単独でアルフレッドに対抗できるだろう。
危うい身の上であるエリーには、是非とも欲しい技術だ。
けれども、中途半端な時刻に目が覚めてしまったエリーは、爪の先まで休息気分に浸っていた。
そんな折に、勉強のお誘いを受けても。ねえ。
「ミルズの森の一件で、エリー様は村の方々から信用を勝ち取られています。学習妨害はしないと、アルフレッドから言質も取りました。水を差される心配はなくなりましたから」
「それは……私も早く覚えたいのは山々ですけれど、黒板とチョークも無しに、いきなりですか?」
「何も本格的な訓練をしようと言いたい訳ではありません。本当にアルフレッドが邪魔をしないか、試してみるだけです」
イーリャは何も、考えなしに事を急いている訳ではない。
それなら、エリーに断る理由はなかった。
「うん、でしたらお願い――【 】は? 何言って【 】……!?」
エリーは返事に窮した。
沈黙。瞠目し、視線を泳がせ、次第に俯きがちになっていくエリーの異変を、イーリャが察知する。
「エリー様?」
「おい、どうした?」
皿を舐めていたヘーゼルも、エリーの異変に気づく。
「アルフレッドが……」
エリーは重い口を、たどたどしく開いた。
「露術は、覚えさせない。って……」
イーリャが茶器を揺らす勢いで食卓に手をつき、立ち上がる。
湯桶を抱えてそばを通る女手が驚く剣幕だった。イーリャは軽く謝って、仕事に戻らせた。
「どういうことですか。約束が違うではありませんか。露術の訓練を妨害すれば、エリー様諸共お命を頂戴すると言ったことを忘れたのですか」
「おい、アルフレッド。往生際が悪いぞ。てめえも男なら潔く――」
「違うの」
イーリャとヘーゼルの抗議を跳ねのける語気で、エリーは声を絞り出した。
「確かに、露術を覚える邪魔をしたら、私ごとあいつを殺しても良いと言いました。アルフレッドもそこまでは認めています。けれど、けれども……、今の私を殺したら、今度はスプリグリ族の人たちが黙っていないだろう、って……」
イーリャは血走った目を見開き、ヘーゼルが小首を傾げる。
「それは……」イーリャが逡巡する。「いえ、確かに、素直に約束を守るか疑問ではありましたが、まさかそうくるとは……」
「何だよ。どういうことだよ」
一人、会話について行けないヘーゼルに、イーリャは憂いを浮かべて伝える。
「みなさん、エリー様を大切に思っているということですよ」
「ああ? 何言ってんだよ。当たり前だろ、そんなの」
ヘーゼルの無邪気さに救われる思いだったけれど、エリーは一瞬微笑み返すのがやっとだった。
アルフレッドの脅迫のせいで、頭の中の考えが砂のようにまとまらなくなっている。
イーリャが頭を抱えて食卓にうずくまり、大長息をついた。
ただごとではないとだけ察知したヘーゼルが二人の間で視線を往復させていた。
「……まあ、こんな真夜中に切り出した私が悪かったです」
「いえ……」
アルフレッドのからくりに気づいた二人は、ばらばらに席を立つ。
「お、おい、お前ら……どうしちまったんだよ。自分にもわかるように教えてくれよ」
「……急に眠くなってきちゃった」
「病み上がりなのですから、ヘーゼルももうお眠りなさい」
「でもよ」
「おやすみなさい」
エリーとイーリャが声を合わせて、ヘーゼルを押し切った。
「……おやすみ」
訳もわからないまま食堂に取り残されて、ヘーゼルの返事は気落ちしていた。
結局、夜の女子会は冷え切ったまま、解散を余儀なくされた。
「あ、おいエリー、枕忘れてっぞ」
エリーは恥ずかしさを噛み殺し、速足で踵を返した。
落ちこむだけでも恰好がつかない。
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