003 真夜中の女子会③:宴の裏で
「ところで、もう具合は良いの?」
呆れながらも、エリーはヘーゼルに訊いた。
ヘーゼルは昨日、過労で熱を出して倒れたばかりだ。
さしもの溺愛イーリャも正気に戻る。ヘーゼルから降りて咳払いをした。
ヘーゼルは野性味あふれる姿のまま、得意げに力こぶを作ってみせた。
「完全復活だぜ。心配かけたな、二人とも」
ヘーゼルの頬に、イーリャが心配そうな顔でそっと手を添えた。
「だとしても病み上がりです。人狼の姿だと体力を使うでしょう。お騒がせしたのは謝りますから、楽になさい」
「ん、わかった」
オオカミの毛皮がヘーゼルの内に畳まれていく。
体格は一回り縮んで、毛皮と人肌の比率が逆転し、見慣れたへんにゃり強面とトラ縞模様が表れた。
「きゃあ!?」
エリーもびっくりな、生まれたままの姿で。
「な、何ですっぽんぽんなのよ!?」
毛皮が表に出ている間は気にも留めなかったし、厳密には局部も縞模様に隠れて見えていない。
けれども、人の形に戻るにつれて、そのはしたなさが浮き彫りとなる。
男に見紛う体つきだとしても、年頃の乙女が開けっ広げにして良い訳がない。
だというのに、ヘーゼルはまるで平気な顔で、むしろエリーが的外れな指摘をしたかのように首を傾げた。
「だって変身すると寝間着とか破けちまうし……」
きょとんと仁王立ちするヘーゼルに、目にも留まらぬ早業で首輪が締められた。
リードの持ち手は、鼻息荒く血走った目のイーリャである。
イーリャの中で、リトルトナカイが暴走し始めていた。
「あーあ、いけない子。いーけないんだーいけないんだー。ねえ、可愛い私のヘーゼル。我が家を全裸で徘徊するって、そういうことですよね? 誘っていますよね? 同意と見てよろしいんですよね?」
息遣いも声色も、熱っぽい。
何かしらの臭いを拾ったか、ヘーゼルは背筋が凍えて局部を隠し、イーリャに背を向けた。
「お、おいイーリャ! てめえ、嵌めやがったな!?」
けれどもその仕草が、逆にイーリャの琴線に触れた。
「あらあら何ですか、その可愛らしいの……恥じらいを……最高ですね」
垂涎をすする。
「じゃあ、責任取ってくださいね……」
イーリャの目は据わり、リードを引く力から愛玩の情は失せている。
「誰が厨房の方々にこの顔のことを説明してくれるんですか」
痴話喧嘩が見ていられず、エリーは意地悪女になったつもりで嫌みったらしく言った。
さしものヘーゼル偏愛家のイーリャであろうと、公人の一面を刺激されると弱い。
共に濃い一日を過ごしたエリーには、よくわかっていた。
イーリャは苦い顔で歯ぎしりし、ひとしきり渋った末にヘーゼルの首輪を外した。
「食堂でお茶をしていますから、着替えたらいらっしゃい」
解放された去り際、ヘーゼルは「恩に着るッスよ」とエリーの肩を叩いてくれた。
やはりイーリャの嫉妬を買う。けれども、初対面で感じた手に負えなさは、今は嘘のように霧散して見えた。
「イーリャさんならご存知でしょうけれど」
「何か」不機嫌な返事だ。
「お茶だけじゃなくて、夜食もあると喜ぶ人っていますよね。好きな人が用意した物だと感動もひとしおって人もいると思うんですよ」
夜食を食べて尻尾を振るヘーゼル。
瞬間、思い浮かべたその光景はイーリャの天啓となる。
「参りましょう。一刻を争います」
切り替えの速さに、エリーは苦笑した。
†
階段を降りる間、顔中血まみれで談笑するエリーに、イーリャは後ろ暗さを感じていた。
「どうかしました?」
「……いえ。本当に酷いお顔なので、早く洗いましょう」
一階厨房へ先に入り、夜勤の村人に事情を話す間も、イーリャの脳裏にはミキとの会話が流れていた。
昨夜の宴の最中、エリーが二人のそばを離れた、僅かな間のことだ。
――遅かれ早かれ、エリーさんをラムシング村から追い出さないといけないね。
ミキはいつもの軽薄な調子で、唐突に切り出した。
意味がわからない。
あれだけ強硬にエリーの保護を主張していたミキらしくない。
かと言って、そのような冗談を口にするほど零落れた護律官でないことも、イーリャは知っている。
イーリャは呆気に取られて、トナカイの茹で肉が口の手前で止まっていた。
「殺し屋の追跡から立て続けに起きた森の吸血鬼騒ぎ……偶然とは思えない」
「殺し屋は無関係だと証言しています」
肉を器に戻して、イーリャは努めて声を潜めて反論する。ミキは酒を呷り、頷く。
「エリーさんたちは、吸血鬼の勢力からも追われていた可能性がある」
「まさか……」
あり得ない。そのたった一言が、出てこない。
禁域を擁するラムシング村は、仮にも護律協会の息がかかった土地である。
禁域監視の実態はお粗末の一言であるが、それはあくまで内情の話だ。
旧拝露教会時代から続く積年の実績から、表向きには未だに厳重な警戒態勢下にあると見なされている。
実態がどうあれ、吸血鬼の関心を引く土地柄ではない。
ならば、ミルズの森に現れた吸血鬼の目的とは何か。
エリーが目的だと疑うのは、自然なことだった。
「いえ、ですが、アルフレッドの手引きでは」
「アッハハ。面白いこと言うね。だとしたら君、今頃死んでるよ」
エリーと共に同じウマに乗っていたイーリャは、いつアルフレッドの毒牙にかかってもおかしくなかった。
イーリャ自身の無事が、アルフレッド無罪の傍証となっている。
「それに、エリーさんがラムシング村に到着したのは昼間だよ。血の一部を切り分けて、森に送れるような時間なんてなかったし、そもそもアルフレッドの血の備蓄にそんな余裕はない。……いや、それ以前に、イーリャの予想だとこの騒動はアルフレッドの自作自演ってことになるよね。それであいつが得られるメリットって何さ?」
イーリャは顎に手を当てて考えた。
「ラムシング村の承認を得て、名実共に滞在を認めさせる……? 我々が気を許した瞬間を狙って、手の平を返すつもりで……」
「ないね」
ミキは肉を頬張りながら切り捨てた。酒で流し呑む。
「そういう帰属意識を一番欲しがっていたのはエリーさんのはずさ。それを黙って踏みにじるがままにさせるエリーさんだと思うかい?」
「……そうなると、とことんアルフレッドの足を引っ張るでしょうね」
「でしょ? 望む望まないにかかわらず、アルフレッドはエリーさんとの共生を余儀なくされているんだ。望む方向性から若干ずれている気がする」
「なるほど……ですから、アルフレッドとは別個体の吸血鬼がいたとお考えになったのですね」
その吸血鬼はエリーとアルデンスを追って、ミルズの森まで来たのかもしれない。
だとすれば、この宴の賑わいは、非常に残酷な意味を孕んでいる。
エリーは災いを退けた女傑でありながら、自ら災いを誘き寄せる疫病神でもある。
エリーさえいなければ、此度の危機は訪れなかった。
その可能性に気づく者が出てはまずい。
事情を知らない者たちからすればマッチポンプと同じだ。
「殺し屋だけならともかく、吸血鬼に襲撃される恐れもあるんじゃ話が変わってくる。吸血鬼に殺し屋みたいなお行儀の良さなんて期待できないからね」
「……ですがまだ、可能性のお話でしょう」
「そうだね。けれども、もしもに備えるべきだよね。予想が当たっていたとすると、ラムシング村の備えだけじゃ、いずれ村人から犠牲者が出る。その辺は君の方がよく知っているはずだよね」
――今回、怪我人だけで済んだのは幸運だよ。
強く反論できなかったイーリャ自身の情けなさに閉口する。
「イーリャ様? 他に何かご入用で?」
夜勤の村人に尋ねられ、イーリャは物思いから浮上する。
「夜食を一人前、頼めますか。魚か肉類で」
釈然としない様子で、村人は承った。
(エリー様にも、村の方にも察知されるだなんて、本当に疲れているみたいですね……)
イーリャには、ヘーゼルのために夜食を作ることもできない。
村人にタライ一杯の湯と手拭いを用意させる傍ら、イーリャは茶葉とティーセットを選ぶ。
もしも、エリーを庇いきれなくなったとき、イーリャが彼女に授けられるものがあるとすれば。
(やはり、露術しかありません)
エリーを厨房に招き入れる。
村人たちに酷い顔だと揶揄されながらも、決して険悪な雰囲気ではない。
エリーは頭を掻きながら、困った顔で愛想を振り撒いている。気を許した村人の笑い声が湧いている。
村やスプリグリ族の信頼を得つつあるのは、エリー自身が勝ち取った成果に他ならない。
邪魔立てする者も、今はいないだろう。
露術訓練を再開する時が来た。
†
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