035 ラムシング村とスプリグリの宴 4/5:敵も味方も
「エリーさん、だっけ」
油かすに病みつきになっているところに声をかけてきたのは、獣追い兄弟の母親だ。ヘーゼルが邪険にされていたのを思い出した。
身構えていると、母親が気まずそうな面持ちで「あの、これ……」とエリーへ皿を差し出した。
常温まで冷ました丸茹でだった。
「吐き悪阻なら、冷ましたらマシになるかと思って……」
エリーが油かすとかいうジャンクなものをボリボリ食べているので、母親は引き気味だった。
「……むしろ食い悪阻っぽいけど、余計なお世話だったかい?」
「いいえ、ありがとうございます。試して良いですか?」
気持ちだけいただくつもりが、何だか丸茹でをもらってしまった。湯気が消えただけで食欲が湧いてくる。
丸茹では指で摘まむと崩れるほど柔らかで、脂もしっかり抜けている。頬張ると、舌で繊維がほろほろと崩れる。
「美味しい。でも、どうして美味しいの?」
「ひょっとしたら、悪阻の原因は玉ねぎか脂身あたりだったのかもね」
ミキがふらっと戻ってきた。酒杯を片手に、骨付きすね肉へ豪快にかぶりついている。
「脂っこさが悪いのはわかるでしょ。玉ねぎとかニンニクとかの臭いも、妊婦さんに悪さをしがちなんだよね。今日の料理はその辺全部省いてるから、食べられるんじゃない?」
そう言えば、玉ねぎを切る間も炒める間も気分が悪かったっけ。……あれ。
「……ミキさん、わかってたんですか?」
「何が」
「何が悪阻に悪いか、私が料理する前から」
「そりゃまあね」
まあねじゃないが。
「なら止めてくれたって良いじゃないですか。私が玉ねぎ切る前に」
「ええ? 人聞きの悪い。エリーさんの体質に合わないかどうかまでわかりっこないよ。ていうか今でもわかってないよ。吐き悪阻と食い悪阻が交互に入れ替わる妊婦さんだっているんだし」
「予備知識で教えてくれるくらい、良かったじゃないですか」
「良いかい、エリーさん。疑いを伝えるのはすごく難しいんだ。こっちは断定を留保しているのに、聞き手は白黒はっきりつけたがるんだから。うーん、これが原因かもねー。って言ったら君、極力その食材を避けようとするだろう? それで実はスカしてました、ってなったら信用失くさない? そういう誤解が原因でアタシの信用に傷がつくなんて嫌だよ」
「そ、それはそうかもしれませんけれども」
「それにエリーさん、自分で『肉はダメみたいです』って言うんだから、アタシだってそっちを信じちゃうよ」
「う……それはそう、ですけれども」
「第一さ、料理はエリーさんの記憶の検査のためにやらせたんだよ? 玉ねぎ選んだからって止めやしないよ。せっかく自発的に選んだ食材なのに、診断するアタシが横槍入れたら台無しだからね。そんな無体、とてもできないよ」
よくこんなにペラペラと舌が回ることだ。こんな調子でさえなかったらなあ。
(あれ。でも、飲むって言ってた割に素面)
てっきり羽目を外して飲むのかと。
「まだ酔ってもいないんですね」
「酪酒って弱いから全然飲んだ気しないんだよね。ヨーグルトと何も変わんないよ」
「聞き捨てならないねえ、拝露の姉さん」
甕を抱える狗人が、エリーとミキの間に割りこんだ。
「こいつを飲んでもそんなこと言ってられるかい? ウチの旦那を落とした味さ。さあ一献」
狗人が甕の中身を柄杓ですくう。酒だ。ミキが答える前、器すら構えない内に注いできた。
「ああこりゃ、どもどもおっとっと……乾杯! ライトール……はどこかなっと……ああ、いた、とっつぁん! そっち何杯目?」
バルケティルは黙って指一本を立ててきた。一杯で終わっているはずがない。
「……おっと負けてらんないや。ジュゴッ! ぷはっ! かーっ、これはこれは! ハチミツでも混ぜて醸したのかな?」
旦那を落としたという酒の秘密は、狗人の微笑みの内に秘められていた。
「ははあ、奥さんやり手だね。おかわりおーくれ!」
言ってるそばから振る舞い酒を注がれている。豪快だ。
宴会場のそこかしこから笑い声が聞こえる。
小腹を満たし、酒に気を好くしたお調子者たちが管弦を手に手に好き勝手に鳴らしていた。我も我もと奏で、歌い、踊っていく内に、てんでばらばらだった旋律も舞いも一つになっていく。
ミキも飲みながら、ちゃっかり踊りに加わっていた。
盛り上げ役で一役買っているなら、まあ、手拍子くらいは送ってあげようかしらね。
「昼間は、すまなかったね」
賑やかさの陰で、獣追いの母親が沈痛な面持ちで呟いた。
「エリーさんがいなかったら、こんな風に呑気に騒げやしなかったってのにね」
ラライが歌をせがまれて、主賓席にもたおやかな調べが流れた。
その婿が獣追いの兄弟たちと張り合うように肉を食い、兄弟たちの父親は慣れない主賓席で恐縮している。
スプリグリの宿営地は夜市と化して、広場の外でも料理を振る舞っている。
村人たちも心ばかりの一皿を持ち寄り、互いに食っては食わせて、飲んでは飲ませてを、飽きるまで繰り返す。
宴会料理は、禁域の向こう側の関所にまで振る舞われた。事情を知らない見張り当番たちは無邪気に喜ぶ。
キッチンで温め直そうと相談し、料理を運んでくれた修律士仲間も誘って、いつもより豪勢で、温かな夕食に興じた。
コシノフ邸で静養する家族たちも、宴の輪の中に入っている。
バーンズ夫妻の客間ではスペイがロバートにおかわりをパシらせる。
アンドリーニ一家で心から楽しんでいるのはアポロニアだけだった。だが、ヴィトーにも、牢獄のミケーレにさえも料理が振る舞われている。
いつ吸血鬼の呪いが牙を剥くか、ヴィトーは戦々恐々としていて、料理の味がしなかった。それでも、心から料理を楽しんでいるアポロニアを見ていると、自然と顔がほころんだ。
エリーに殴られて、ミケーレは口の中を切っていた。料理を口に含むと傷に染みる。「間が悪い」と独房で独り言つ。
ライトールは宴の主催者として、参加漏れの村人がいないか見回ることを口実に、こっそり宴席を立っていた。
料理を手土産に、ヘーゼルの見舞いに行くためだ。
このことがイーリャに漏れるのは面倒なので、ベア院長への口止め料に、良い肉を見繕っておいた。
ヘーゼルの熱が引いていたのは良かったのだが。
「ライトール嫌い。出てけ」
「むっ、うぅん……」
昼間のいざこざで、すっかりヘーゼルは機嫌を損ねていた。戦士ライトールの心が抉られる。いくら肉を勧めて機嫌を取ろうとしても、顔を背けられたままだった。
祖霊よりも手強い。
「エリーを虐めた野郎なんか、もう知らねえ」
「あ、謝ったぞ、ちゃんと。心から反省もしている。俺の鼻が塞がっていた」目が節穴の意。「あれは実に気高い女だった」
「信じらんねえ。調子の良いこと言いやがって」
「う、宴の主賓に遇したのに、ダメなのか……?」
ヘーゼルは黙ったままで、ライトールは耳を伏せた。ライトールの尻尾が股下に巻かれて、そわそわし始めた。
たっぷり間を置いて、真顔でヘーゼルが振り向いた。
「一方的に疑われる気持ち、わかったかよ」
「……ああ、酷いもんだ」
「二度とすんじゃねえぞ」
にやりと笑って、ヘーゼルは皿の肉を奪った。ライトールのむしった肉には結局口をつけずに突き返した。
若者の惚気を肴に、病室の外でベア院長は肉をモリモリ食べた。
ラムシング村の内外が、今日という日に勇気を奮った人々を祝福している。
エリーの敵だった者や、今でも敵である者すら巻きこんで、区別しない。




