034 ラムシング村とスプリグリの宴 3/5:悪阻最悪!
宴に浮かれて、エリーは肝心なことを忘れていた。
エリーは悪阻の最中で、肉を食べると吐きそうになる。
遊牧民であるスプリグリ族の主食はトナカイの肉。宴会料理の主役も当然、トナカイだ。肉の種類まで吐いたときと同じときた。
そのため、エリーのためにわざわざ用意してもらった料理が数多くある。トウヒの実やドライベリー、冷ましたお粥、ソバの実のお粥……。
けれども、やはり主役を張るだけあって、肉料理の存在感は無視できない。
トナカイ一頭を丸焼き……いや、丸煮? 丸蒸し?
「お、丸茹でだね」とミキが見る。
「ゆ、茹でただけなんですか」
「侮っちゃいけないよ。シンプルな味つけだけれども、手間をかけて茹でてるからびっくりするくらい肉が柔らかいんだよ。脂が抜けるから少し冷めても美味しいし、サッパリしててお酒が進むんだよね。……禁酒してなきゃなあ」
何だか、ミキがエリーの方をチラチラ見ている気がする。ミキが拝むように合わせた手を、頬に添えて首を傾げた。
「ね、ね、明日から本気出すから、飲んで良い?」
「……お好きにしてください」
「ひゃほう! やあやあライトールにバルケティルのとっつぁん! 飲み比べといこうじゃあないかね!」
呆れた人を見送る傍ら、エリーは大所帯の車座を見渡した。
天幕一張りごとに、あるわあるわトナカイの頭から尻尾まで。これを全てライトールが賄ったというのだから、族長の倅の面目躍如である。
それをキャスパーや狗人が慣れた手つきで捌いて刻んで薬味を振って、あっと言う間に一皿デンとお待ちどう。
エリーの隣で、イーリャが舌鼓を打っている。
(羨ましいなあ。私、息をするだけで吐きそう)
キャスパーは気を遣って冷めるまで配膳を待ってくれているけれど、隣の湯気責めだけでも限界だ。
実は悪阻じゃなくて、アルフレッドの偏食のせいでした。なんてことを期待していたけれど、この吐き気は間違いない。エリーの自前だ。
自前だと逃げ場がない。
せっかく口うるさいのが黙ったっていうのに、ゆっくりご飯も楽しめないなんて。
(悪阻最悪!)
顔を青くしてエリーは口元を押さえた。
「エリーさん、こちらへいらっしゃいませんか?」
主催者席のラライが大手を振って呼んでいた。
ラライたち族長一家の席は湯気臭さとは無縁で、温菜の代わりに凍った肉塊をナイフで削いで食べていた。
肉は削ったそばから反るほどの凍り具合で、生臭さも気にならなそうだった。
「大丈夫ですか?」遅れてイーリャがエリーの様子がおかしいことに気づいてくれた。
「うぷ……む、向こうで少し、休めば……」
イーリャの肩を借りてお呼ばれした族長一家の席に腰を下ろす。ラライに背中を撫でてもらい、しばらく休むと吐き気が引いた。
ラライに乳清を注いでもらった。一口飲むと胃のむかつきを洗い流してくれる。
「はあ、生き返る……」
「気が利かなくてごめんなさいね。私も悪阻の酷いとき、湯気がダメでしたのに」
「あ……じゃあやっぱりラライさんも?」
ラライは婿をちらりと見やると、穏やかに笑んで頷いた。婿は夢中で凍った肉を削いでいる。一人で全部、かと思うとラライの分もよそっていた。
「ところで、これなんかいかがかしら?」
ラライが勧めてくれた料理は、干したキノコに見えた。
あまり食の進む見た目ではないけれども、手触りはサックリ固めで、中に弾力を感じる。不思議な感触だ。
パキッと割ってムッチと千切った欠片に、下ろしショウガを乗せてラライが食べて見せた。
エリーも見様見真似で薬味を乗せて、恐る恐る口にする。
カリカリの歯触り、中身の弾力。想像を裏切る味わいに、エリーは思わず唸った。
「んんー! わあ、これお肉が入っているんですか?」
噛み締めるほどにショウガの爽やかな辛みと、もはや暴力的な肉の旨味が混然一体となっていく。ふりかけた岩塩も良い仕事をしている。
少し脂を感じるしクセも強めなのに、旨味が遥かに強いおかげで嫌味じゃない。乳清で口の中をリセットできるし、食感のおかげで不思議なくらいに食が進む。
「入っているというか、お肉そのものですよ」とラライ。
「本当に? ビスケットみたいなのに、面白い」
「気に入ってもらえて良かった。私の悪阻、それで乗り切ったんですよ」
「確かにこれならいくらでも、とまではいきませんけれど……とても美味しいです」
「お粗末様です」
「ところでこれ、何ですか?」
「油かすです」
ピンとこなかった。
「えっと、油で揚げてカリカリになるまで脂肪を抜いた、トナカイやウマの腸です」
エリーが固まった。え、はらわた? 内臓ってこと? あの、ぶよぶよの? 目が点になる。トナカイはまだしも、ウマのも混ざっているの? そんなゲテモノを掴まされたなんて。
(ラライさん、あなた、え?)
摘まんだ油かすと笑顔のラライの間を、視線が泳ぐ。そんなの話が違いますよ。
ただ、理性では警戒しているのに、ついつい食が進んでしまった。パリカリムッチな癖になる食感なのが悪い。
「意外といけるでしょう?」
悪気のないラライに、今度は下ろしたホースラディッシュを勧められ、油かすに乗せてエリーは食べた。爽やかにツンとくる。美味しい。
(……ま、食べられるなら何でも良いわよね)
グロテスクだとしても、血を飲まされるよりずっと良い。美味しい物は美味しいんだから。つまらない固定観念なんて吹っ切って楽しんでしまえ。
エリーは油かすの塊にかぶりついた。




