033 ラムシング村とスプリグリの宴 2/5:儀仗の結い
焚火が爆ぜる。群衆に見守られる中、エリーの突きつける儀仗が冷たく炎を映している。
炎の揺らぎに合わせて、エリーたちの影が明滅する。バルケティルの面立ちに影が落ちていて、よく見えない。
次第に群衆ががやついていった。
「あ、あれ……。あの、ちょいと」
ミキが慌ててバルケティルに耳打ちする。
「バルケティルのとっつぁん。打ち合わせと違うよ」バルケティルは無反応。「もしもし」
「……昼間、はぐれた仔を、母親のトナカイが探していてな。仔が祖霊と遭遇した頃だったか。母親の気が立って、取り押さえるまでに手傷を負わされた者もいた」
やっと口を開いたかと思えば「何の話ぃ……?」ミキは消え入る悲鳴のように呟いた。
バルケティルは意に介さない。
「……者共! 祖霊、吸血鬼、看過できようはずもない、がしかし! 者共! 真なる強さとは如何なるものか!」
がやついていた群衆が聞き入った。
「欲しいままに望みを叶える力か! 触れるもの尽く切り刻む腕か! 勝つまで挫けぬ意志か!」
群衆に、エリーに、己自身に問いかけさせる間が置かれた。全てアルフレッドに当てはまる。
確かにアルフレッドは、腹が立つくらいにしたたかだ。
「……暴威。生粋の暴威よ」
けれども、バルケティルは曖昧なエリーの忌避感を、たった一言で言い表す。
「傍若無人な暴威、私利私欲のために揮われる暴威。者共、そのようなものに憧れることがあろうか? 惚れることがあろうか?」
否であろう! 広場の空気がしんと変わった。
「仔の窮地に立ち上がったトナカイを思い出せ! たかがトナカイ一頭、祖霊に敵うものか! しかし、儚い者のために力を揮える者! 儚い者が命を預けるに値する者、気を許せる者! 子が憧れ、大人が惚れる強さには、慈しみも備わっている!」
バルケティルが圧を強める。
「そうであろう! 父と母、その最たるものだ!」
毛深い目元の奥、バルケティルが瞳でエリーを慈しむ。バルケティルは儀仗を抜いた。
「エリー殿、ぬしは強靭である。ぬしを蝕む力を調伏し、我が息、ライトールを救い出すために揮ってくれたこと、心から感謝する」
【調伏されちゃいねえし、助けてやったのはオレだ! 躾けのなってねえ老犬がよ!】
(銀のペンダントをもらっていて良かった。こんな汚い言葉、聞かせたくないもの)
バルケティルの儀仗が向く先は、アルフレッドのみではない。エリーの握る儀仗に、ないはずの鋭さが宿る。
「バルケティルさん、ありがとうございます」血ではなく、エリーを見てくれて。「あなたも、鋼の意志をお持ちです」
両者が両者に突き出された刃を握る。聴衆から祝福の遠吠えと、ほんの少しだけのラムシング村の拍手が折り重なる。
互いの儀仗を放し、儀礼が終わる。
「重ねて礼を言うぞ、エリー殿」
バルケティルのマズルが下りて、耳元で囁かれた。
「アルフレッドの手柄です。お礼を重ねられると、むしろ肩身が狭くなるので……」
「凶事を退けてくれたのだ。おかげで、家族揃って孫の顔を拝めそうだ」
「孫……えっ、ラライさんが?」
そう言えば、ラライは腹帯をゆったり巻いていた。驚くエリーに、バルケティルはいたずらっぽく微笑んだ。
「……おっと、そうであった。しばし待たれよ」
バルケティルが懐を探る。ミキが腫れ物を扱うようにバルケティルを追う。
「とっつぁん、勝手な真似は困るよ。こっちにはこっちの段取りがあってだね……」
「うろたえるでない、護律官。それでも人界の守護者の末裔か」
「その自覚があるから言ってんだってばあ……」
「ぬう。おかしい。確かにここに入れたはずだが……」
「こっちの言い分も聞いてよお……」
二人がもたついている間にこっそりと、エリーは自身の儀仗の刃を握った。手の平に流れる血潮の熱が、儀仗の刃に吸われていく。
「アルフレッドも、ありがとう」
【ああ?】
「あなたがいなかったら、私、何もできなかった」
エリーの意に反して、血管壁に鳥肌が立つようだった。
【オエエッ! いきなり心にもねえこと言うな、気色悪ぃ!】
「本心よ。わかるでしょ? 一心同体なんだから」
【……で、この手は何だ? オレに刃を握れってのか。それとも柄の方か。舐めてんのか】
「やりたくないなら構わないわ。これは私の自己満足だから。けれども、これだけは言わせてちょうだい。あなたはどうしようもなく聞き分けが悪くて、うんざりするほど暴れん坊だわ。それでも、あなたの強さのおかげでライトールたちを助けられた。だから、本当にありがとう」
それは、心から思う、アルフレッドの好きになれるところ。その一つ目だった。
風に煽られた火の粉が闇夜に吸われていく。騒がしいのは周囲の祝福ばかりで、エリーの身体の中は沈黙していた。
エリーはそっと、心音に耳を澄ませて待っている。
【……きっしょ。うっぜえ】
アルフレッドの捨て台詞は、心音にも負けそうだった。
「おお、あったあった。ここにあった」
バルケティルが懐からジャラジャラと出したのは、ずっしりとした首飾りだった。
「あいやすまぬ。歳を取るとどうも、毛の奥の方に手が届きにくく……」
総銀造り。緻密な彫刻はスプリグリ族の絵物語らしく、様々な場面を表したプレートに一つずつ宝石をあしらっている。
見るからに、彼ら一族の宝だった。
「授ける訳にはいかんが、宴の間、貸し与えよう。内なる呪いを封ぜられようもの」
【出ねえよ。狗人の血なんざ割に合わねえってんだよ。身の程知らずが】
「光栄です」
エリーはバルケティルに頭を垂れた。銀の首飾りが、ずしりと重く肩にかけられた。
【あ、やべ、これガチ――】
アルフレッドの悪態が遠ざかっていく。大量の銀が吸血鬼の血を身体の奥に追いやって、少し気分が晴れるようだった。
「やってくれたね、とっつぁん……!」
頭を抱えて、ミキがおろおろしていた。
「あーもう、どうすんのこれ……。ここまで持ち上げろだなんて一言も……あーあー……もう知ーらない」
うんざり小声でミキが呟き、がばりとエリーの両肩を掴んだ。
「エリーさん、絶ッ対に壊したらダメだからね? わかったね? ちゃんと綺麗なままお返しするんだよ? 約束してね?」
「うろたえるでないわ、護律官。このバルケティルが祖霊に誓って許す」
「ヒュー、さすがとっつぁん。エリーさん、ラッキーだね。楽にして良いってさ……」
ミキは族長に睨まれた。
「嫌だねえ冗談ですよお。エリーさん、ほどほどに気にかけといてね」
つつがなく儀礼が終わって、ミキは胸を撫で下ろした。
「えー、以上をもちまして“儀仗の結い”は終了で……」
「さあ、者共! 宴の支度だ!」
直前とは比べ物にならない歓声が上がり、宿営地が揺れた。
広場の中央の焚火から、天幕の前で組まれた薪に次々と火が移される。天幕の裏からご馳走が山と運ばれてくる。
儀礼の場から瞬く間に宴会場へ早変わりする。その慌ただしさの中で、直前までの厳かさは払底し、人々の熱気が渦巻いていった。
「あーあ。全く……。ま、良っか。エリーさん、アタシたちも羽目を外そう。儀仗はしばらく持ってなよ。握手攻めされるかも」
「ぬしらの席はあれだ。ライトール、ラライ、主賓らを遇せよ」
エリーたちにあてがわれた天幕の中には、大量のクッションが並んでいる。
貴賓席には大きなクッションの塊が六つ――エリー、イーリャ、獣追いの母を含めた親子四人の席だ。
その脇をミキのような主賓の連れ、族長一家の席で固める。
「イーリャはそこに」と勧められた席は見るからに一等上質だ。
てんこ盛りのクッション天国で、どれも触るのが勿体ないほど柔らい。祖霊にとどめを刺した功績だ。
エリーはその隣の天国で、同じ待遇。ライトールを助けた功績だ。エリー一人だけ目立つ席に通されずに済んで安心した。
天幕から広場が見渡せて、夜風が素通りなので寒そうに見えたけれども、中に入ってみると天幕が焚火の熱を反射して、意外と温かい。
所狭しと敷かれた絨毯やタペストリーの緻密な文様は目にも楽しい。
他にも魔除けらしき骨や角の曲げ細工も吊るされていた。
族長から主賓へ、搾りたてのトナカイミルクの乳清を注いだ杯が回される。
給仕担当はキャスパー。狗人たちの間にいると、燕尾服姿が浮いている。
同じ杯から乳清を回し飲むのは歓迎の印。毒なんて入れてませんよ。というパフォーマンスだ。
普段なら酪酒が振る舞われるところだが、エリーの体調に配慮して乳清に変更された。
乳清は乾酪やヨーグルトの副産物で鮮度が命。酪酒の人気もさることながら、日持ちのしない乳清の方が格式は上らしい。
「スプリグリ族の間じゃそうかもしれないけれど、アタシはやっぱお酒の方が嬉しいなあ」
ミキがぼやいた。
産後の短い間にしか採れない貴重なミルクは、舌に絡むほど濃厚で、甘い。
ミルクのままだと悪阻には合わないことも多いが、脂肪分がごっそり抜けた乳清なら、味わいは爽やかで喉越しはスッキリとしている。
エリーの好きな味だ。これだけずっと飲んでいたい。銀の首飾りのおかげか、アルフレッドもいちいち味に反応しなくなっていた。
エリーはついつい二口目をあおる。
「あー、だめよ!」
スプリグリ族側のどこかの席から、子どもに無作法を指摘された。
「こら! もう、うちのがすみません」
親の叱る声。ほのぼのとした笑いが天幕の輪に伝播する。ミキの両脇にイーリャとミキの肘が刺さった。
「す、すみません、美味しくてつい」
エリーは顔を赤くして、イーリャに杯を回した。
広場に円座する全員に料理が配膳されている。会場を埋め尽くすかのような量だ。
「さあ、お客人たち。広場にある料理全てぬしらの物だ。どんどん食え」
見渡す限りのご馳走の何と全てが主賓に供されたと宣うバルケティルに、エリーの目が点になった。
「ええ!? じ、冗談ですよね!? 私たちだけでこんなに食べられませんよ!」
「まあまあ。これにも意味がありますので」
イーリャが落ち着いた口調で言う。
「お腹いっぱいにして追い返す。スプリグリ流の歓迎精神の表れなんだよね」とはミキの談。
なので、何も文字通り捉えることはない。ちゃんとした礼儀作法に則れば良いのだ。
まず、何でも良いので料理を一口食べる。主賓が思い思いに口にする中、エリーはトウヒの実を摘まむ。全員が手をつけたのを確認し、イーリャが音頭を取る。
「心尽くしの歓待に、心からの御礼を申し上げます。しかし、スプリグリの誇る豊かさは、私どもだけの身には余ります。どうか、みな様もご一緒に私どもをお祝いください」
バルケティルが鷹揚に頷き、酒杯を掲げる。
「堅苦しいのはここまでだ! 今より我らは同じ火を囲む同胞ぞ! 草原が、トナカイとウマに満たされんことを願って、存分に祝い、騒げい! 乾杯!」
宴席の歓声で、賑やかな宴の幕が開いた。




