032 ラムシング村とスプリグリの宴 1/5:九儺十神の故事
スプリグリ族の使者の連れてきたウマに乗り、エリーたちはスプリグリ族の宿営地へ送迎された。
夜闇が忍び寄る頃、天候は曇り。しかし、一雨降る心配もない。この雲は露術の“雲送リ”で禁域から昇ったものだ。
夜間の冷えを予防するための露術は、星や月をも隠して、ラムシング村を暗闇に閉ざす。送迎者たちの掲げる松明の灯りが、畦道を浮かび上がらせていた。
宿営地は篝火で煌々と照らされている。
丸太組みの柵に囲われたトナカイたちの中に、母親の乳を夢中で飲む仔の姿が見えた。
あの惨劇を生き延びた仔のようで、一頭だけ色鮮やかな刺繍を施した帯を首にかけていた。
縁起物っぽくおめかしさせられても、母親のミルクが一番のご褒美らしい。
家畜一頭を見るにつけ、エリーの心は異文化情緒に躍った。
幕舎の並びを行くにつれて、人いきれと賑わいが増していく。エリーが近くを通ると、気持ちだけ人々に緊張が走るようだった。
「今だけだから気に病まないでね」
ミキがウマを寄せて、エリーを励ましてくれた。
エリーの中の吸血鬼の血を、彼ら狗人たちは嫌でも嗅ぎ取ってしまう。
スプリグリ族を脅かしかねない者を、それでも彼らの領域に招き入れた。その覚悟を見上げるべきであって、エリーがくよくよするのは筋違いだ。
事実、スプリグリ族は警戒こそすれ、宴の準備の手を止めない。ライトールたちを助けた伝聞も手伝って、寄越してくる視線には、警戒の中に好奇心が混ざっていた。
子どもの表情は特にわかりやすい。思わず手を振り返したくなる。
「毅然として。反応するのは儀礼が終わるまで我慢してね」
エリーの魂胆を見透かされ、ミキに止められた。
宴の前に儀礼を執り行うと聞いていた。形式上とはいえ、スプリグリ族の心をエリーに開いてもらうための大事な儀礼だという。
仔イヌみたいな綿毛たちに構いたい気持ちを抑えて、エリーは礼装に釣り合う振る舞いを、改めて心がけた。
幕舎の並びから、スプリグリ族の生活が垣間見える。
吊るされた家畜の肉、皮下脂肪を削いで延ばされた革と、人々の活気。それらを抜けると、一際大きく威厳のある幕舎が見えてきた。
族長バルケティルの住まう一張りだ。
一行はウマを降りる。ミキは「族長と打ち合わせがあるから」と一足先に宴会場へと向かった。
送迎者の一人が族長の幕舎をくぐる。
しばらくすると、ライトールとラライたちが中から出てきた。ライトールは足に添え木を当てて、杖を持たされていたものの、両の足でしっかり歩いていた。
「皆よく来てくれた!」
快く歓迎してくれるライトールの他に、初めて見る顔もいた。ラライに「この人、私のお婿さん」と紹介された婿は、毛皮をふっくらさせて照れた。
「お婿さんだなんて、ラライは可愛いことを言ってくれるなあ」
蜜月の真っ只中とばかりにデレてラライを抱擁し、頬ずりする。
「もぉ……ほら、あの子たちですよ」
目聡く身代わりを見つけたラライが、婿に指し示したのは獣追いの兄弟たち。
ラライの婿は、ラライの助けとなった立役者たちを見るや「おお、麒麟児か!」と感銘し、腕を横いっぱいに広げ、腰を落とし、むずがる兄弟に構わず抱き着いた。
「幼い子らよ、よくラライを救ってくれた! 礼を言う! 今宵は飽きるほど食え、な!」
「婿殿、奢るのは俺です」
「細かいことを言うな、義兄者! 男だろう!」
「ごわごわ」苦しがる弟に「失礼だろ……ぐお、苦しっ」と兄。
子どもたちが熱烈な歓迎を受けているのを、両親は内心冷や冷やして見守っていた。狗人に本気を出されれば大人でもひとたまりもない。
しかし、ラライの婿は豪快でも心得があり、悪ふざけのレスリングごっこが少し熱を帯びたくらいの、悪ガキには一番楽しい加減でじゃれていた。
「親御さん方、うちの婿殿がすまない」
そんな義弟の大らかさが頭痛の種のようで、ライトールは困った調子で兄弟の両親へ頭を下げた。逆に両親の方が返事に困っていたものの、何とか穏便に済ませたい一心が透けて見えた。
ライトールがエリーに声をかける。
「着いて早々悪いがエリー、父上がお待ちだ。“儀仗の結い”のことは聞いているな」
“儀仗の結い”、物々しい名前の儀礼だ。エリーの身が引き締まる。
「道すがら、ミキさんから」
作法はミキに教えてもらった。
ミキがあんまり乗り気じゃなかったのが気がかりだけれども、やること自体は簡単だから大丈夫、なはず。
「そう気負うな。こっちだ。着いて来てくれ」
一行が案内された先は、天幕で囲われた広場で、既に多くの狗人たちが待っていた。
エリーの到着を知るや、潮が引くように道を譲られ、焚火を背にした巨漢がその先で待ち構えている。
族長バルケティルだ。
ライトールも大柄な方だが、それよりも大柄なラライの婿よりも更に立派な巨躯を誇っている。毛深く、しかし毛の下に肉付き豊かな肉体を隠しているのが、帯の締め具合から察せられた。
そのそばにミキが厳かにたたずんでいる。白い祭服が闇夜に白く浮かんで、普段とは段違いに清廉な雰囲気を醸していた。
「さあ、エリー様。行ってらっしゃいませ」
エリーが気後れしていると、イーリャが背中に手を当ててきた。押さず、叩かず、勇気を分けて。
「気負わず、自然体にですよ」
「うん、行ってきます」
焚火の前で、エリーとバルケティルが顔を揃え、ミキが仲立ちを担う。
「あーやべ。緊張してきた。吐きそ」
(ミキさん……)大丈夫かこの人。
主役が揃い、聴衆のざわめきが引いていく。
「護律官殿、始めよ」
堂に入った族長の一声で、ミキは観念して背筋を伸ばした。ショーマンめかして両腕を広げ、聴衆の注目を集め、声を張る。
「これより、スプリグリ族長バルケティル様と、そのご子息の一助となったエリー様で、“儀仗の結い”を執り行います」
スプリグリ族から一名、そしてラムシング村からイーリャが、それぞれの側の主役へ儀仗を持つ。
“儀仗の結い”とは、護律協会の前身、拝露教会から伝わる儀礼で、九儺十神と人間が手を結ぶ故事に由来する。
遥か昔、九儺十神たちは、人間と友好関係を結ぶために腐心した。
神々は信仰を得るつもりはなく、人々も恵みを授かるつもりがなかった。求めるのはあくまで対等な関係。手を結ぶにはやはり、握手が望まれた。
しかし、九儺十神たちの力は触れた者の命を害する。心では対等を望んでも、格の違いは火を見るより明らかである。
そのため、九儺十神たちは人間に剣を持たせた。
九儺十神たちは、剣を向けられてようやく人間と対等となる。柄を人間が、刃を九儺十神が握り、それを双方の友好の証とした。
この故事を、用いられた剣の銘を借りて“四季雨の結い”と呼ぶ。儀礼として整備された後も、真剣を用いる正式儀礼は同じ名で呼ばれている。
そこから刃を取り除き、今日の“儀仗の結い”の形となった。
ミキが神話を説明した。
「古来より、力なき者が柄を、力ある者が刃を握る習わしです。ですが、今宵執り行う結いは、ご両名が柄を握り、双方に刃を差し向けていただきます」
「伝統に反してやしないか!」
野次にしては妙に浮かれた一声は、ラライの婿のものだ。
彼はサクラだ。聴衆の疑問を代弁し、ミキの説明に繋ぐため、ライトールたちに力を貸してくれている。
わかっていても、エリーはぎくりとしてしまう。
散々誰かさんに冷水を浴びせられてきたせいで、何であれ邪魔が入ることに臆病になっている気がする。
「“儀仗の結い”の本質は、力の優劣にはありません」
仕込んだ野次に対し、予定通りにミキが説く。
九儺十神と人間。本来触れ合うことすら赦されない双方が、格の違いを乗り越えて手を結び合う。
相互理解の限界を弁え、越えるべきではない一線を明示する。
隣にいることを許すのではなく、許し合い、また各々を戒める。
それこそが“儀仗の結い”の意義である。
「平時においては村の者が柄を、スプリグリ族の者が刃を握ります。しかし、今宵の結いはそう簡単には参りません。片や吸血鬼の力に犯されこそすれ、本質は平凡な乙女、片やスプリグリ族の長でございます」
吸血鬼。改めてエリーの中に巣食っていると明言されると、聴衆は動揺した。
「そこで!」
動揺を掻き消すほどにミキが声を張って、耳目が集まる一瞬を待ち、宣言する。
「こちらのエリー様には柄を握り、刃をバルケティル様へ。こちらのバルケティル様には柄を握り、刃を内なる吸血鬼へ。それぞれ向けることをもって、今宵の“儀仗の結い”の成就といたします」
聴衆の動揺が困惑に変わる。儀仗が二振りの時点でも大概だが、こうなると“儀仗の結い”としては増々変則的だ。
ミキの意図するところとは。
「吸血鬼に握らせる柄などない。我々が示すべき一線は、ここにこそあります」
この場で最も弱い立場のエリー、対してスプリグリ族長バルケティルが強者の側であることは、誰もが認めるところである。
しかしエリーは同時に、この場で最も危険な吸血鬼アルフレッドをその身の内に飼っており、それが話をややこしくさせていた。
であれば、アルフレッドを儀式を執り行う上での障害。エリーとの友好を示すため、スプリグリ族が討つべき相手であると認識してもらう。
それこそが、この様式の肝だ。
「皆々様に格別のご理解を賜りたく存じます」
見渡す限り、反意はない。
ミキは友好を結ぶ両者に向き直り、抜杖を促した。
儀礼用に刃を省いた刀身が焚火の色を帯びて、エリーとバルケティル双方に差し出される。
その運びだったはずだが、バルケティルはまだ儀仗を抜いてもいなかった。




