036 ラムシング村とスプリグリの宴⑤:語り部のエリー
ただ、獣追いの母親のおざなりな謝罪だけは、エリーには受け入れ難かった。
「私じゃなくて、ヘーゼルに謝ってください」
少し意地悪かな、と胸が痛む。
しかし事実、昼間の出来事の矛先は明白だった。
エリーよりもヘーゼルを邪険に思っていなければ起こりえないことだ。
息子兄弟にヘーゼルが触れようとした途端、一も二もなく引き離した彼女の強引なまでの拒絶。
それは、エリーの目にも異常に見えた。
獣追いの母親にも、思うところがあるらしい。
「そ、そうだね。そう、なんだけど、ね……」
獣追いの母親は言い淀み、沈痛さを深めていく。
一体、ヘーゼルが何をしたってのよ。
疑いが顔に出ていたか、獣追いの母親は辺りを伺った。
息子兄弟や、特にイーリャの様子を注視して、エリーに耳を貸すように手招きした。
「あの子が良い子だってことは、私らも頭じゃわかってんだよ……。ただ、あの子は、ヘーゼル・バーンズは……」
「おかわりはいかがですか?」
突然キャスパーが姿を現して、冷ました茹で肉をエリーに勧めた。
獣追いの母親は驚いて、弾むようにエリーから離れ、胸元を押さえて荒げた息を整える。
「ところで、旦那様がお呼びでございましたよ。立てますか」
エリーが喜んで料理を受け取る傍ら、キャスパーは獣追いの母親に肩を貸して立たせた。
エリーの席を離れた頃合いを見て、キャスパーが獣追いの母に囁く。
「本人のいないところで噂を流すから、ややこしくなるんだ。黙ってろよ」
ゾッと背筋が凍える声で、獣追いの母親は耳を押さえて、咄嗟にキャスパーから離れた。
「当事者の心に任せ、見守ることも、ときには必要と愚考します。それから、旦那様がお呼びというのは私めの勘違いだったようでございます。平にご容赦を」
獣追いの母が振り向くと、キャスパーはいつもの鉄面皮で、慇懃に胸に手を当て、礼を示していた。
氷のようなやり取りの裏で、エリーは茹で肉を堪能していた。
「少しよろしいか、エリー殿」
バルケティルはほろ酔いな足取りだった。
エリーの隣にドッカと腰を下ろすと、弾みでエリーの身体が浮く。
何だか周囲の騒がしさの質が変わったように感じる。
気づけばエリーは、狗人たちに取り囲まれて、注目を一身に浴びていた。
バルケティルが連れて来たのだろう。
肉を呑む。乳清で喉を洗い流す。
「え、何事です?」
「エリー殿の武勇を詩に残すべく、有志を募った。余さず語り聞かせよ」
「……寝耳に水なんですが」
「名誉であろう。誇るが好い」
そう言われても、心の準備というものがある。
こうもいきなりだと緊張の方が勝ってしまう。
「こういうのはイーリャさんの方が相応しいんじゃ……」
「そうもいかん」
バルケティルの視線の先を追うと、珍味を載せた皿の行列が、イーリャの主賓席に続いていた。
「目玉と脳みそ、お貴族様にゃあ刺激が強かったんでない?」スプリグリ族のご馳走である。
「貴族違イマス……大変美味シュウゴザイマシタ……」
灰のように色を失くしたイーリャが、空にした皿を裏返して掲げる。
狗人の歓声が上がる。
「中々見上げたお嬢さんじゃないか」「ええ、惚れ惚れする食いっぷりだこと」「祖霊討伐の英雄、そうこなくては」
トナカイの目玉も脳みそも、スプリグリ族が提供する中でも最上級の歓待だ。
村代表かつ今回一番の功労者であるイーリャに、拒む選択肢はなかった。
「心臓をどうぞ」ご馳走である。
「これも、ほら。そっちじゃ陸牡蠣って言うんだろ。洒落てんなあ、タマだってのに」紛うことなきご馳走である。
「珍味中のチン味、サオお待ちぃ」重ねて言及するが、紛うことなきご馳走である。
これでもかという接待に、思わずイーリャも歯ぎしりでニッコリ。
「マ、マア、ゴ立派ナコトデ……頂戴シャス……」
(放心しちゃってる! 普段なら口が滑ってもしなさそうな口調になっちゃってる!)
頼みの綱の憔悴を目の当たりにしている内に、勝手に伴奏が流されているし。
これから凄い物語が始まるぞ、って期待を煽る弦の重低な長音が、余計にプレッシャーだ。
伴奏が狗人の期待をも高めて、瞳は夜闇に爛々と輝き、振る尻尾が地面を打って地鳴りのようだ。
これ、下手な話はできない雰囲気だ。
「ミ、ミキさん! ちょっと手伝ってもらえませんか!」
「んあ……? 呼ばれりちゃっちゃ? ひっく。待っれれれ」
千鳥足のミキが人混みの合間を器用に見つけて、えっちらおっちらカモの歩みで来る。
「チェイサーありゅ? ありがと……ってこれお酒じゃーん! アラヒを酔わせて、何ひたいんろかにゃ~? あっひゃっひゃ!」
道々で酒をせがんだり、飲みかけを奪ったり、いつまで経ってもエリーの所まで来る気配がない。
(ダメだミキさんべろべろに酔ってる! 何がヨーグルトよ! 何が飲んだ気がしない、よ! ライトールはどこ!? いない!? 何で!?)
「お困りのご様子で」
乳清を満たした杯を手に、キャスパーはエリーのそばに侍っていた。
(完璧執事きた!)
期待と重圧に溺れそうな身体で、エリーはキャスパーの脚に縋った。
「即興で武勇伝なんて無理!」エリーは囁くように叫ぶ。
「ご体験をありのままお伝えになれば、ご立派な武勇伝になるかと存じますが」
「自慢話するほど恥知らずじゃありませんよ!」
「であれば、エリー様が功労者だと思う方をお褒めになるところから始められては?」
こともなげに言ってのけるキャスパーに、エリーは目が点になった。
「え……それで、良いんですか? 私の話なのに?」
「古今東西の英雄譚には、英雄を見出す預言者や、英雄を導く賢者や魔法使いがつきものです。それに先導役の存在は、英雄に箔をつけます。持論ですが、むしろ語るに値するのは準主役こそだと思いますよ」
そんな風に考えてみたこともなかった。
いや、記憶を失う前のエリーは、こういうことを考えていたかもしれないけれど。
アルデンスに守ってもらった。
一度命を落として、記憶を代償に、吸血鬼に生き返らせられた。
何もかも失ったエリーにヘーゼルが寄り添ってくれた。
ミキに振り回されている内にいつの間にか新しい自分の基礎ができた。
イーリャやライトールたちに揉まれて、今のエリーがある。
キャスパーの言う通りだ。
エリーを助けてくれた人たちのことなら、いくら話しても話題が尽きない気がしてくる。
エリーが語り部の雰囲気をまとって聴衆は静まり、口が開くのを待っている。
さあ、どこから始めようかしら。
なんて、迷うまでもない。
「私には、記憶がありません。あるときを境に、失われてしまいました」
忌まわしい喪失は、エリー自身とアルデンスに降りかかった。
それは今でも重く影を落とす不幸で、しかし、この世で最も偉大な献身だった。そう思いたい。
エリーの物語は、彼の献身を抜いて語れないものにしたい。
「だから、少し長くなりますけれど、私の……エリーとしての私の始まりから、お話しします」
少し、想像を飛躍させて。
「――険しい崖を、二人で転がり落ちていました」
即興の伴奏は魂に響く音色で、子どもの無垢な好奇心と酒の回った聴衆を高揚させる。
音楽は、酒の入らない語り部をも饒舌にさせた。
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