035 ラムシング村とスプリグリの宴④:敵も味方も
「エリーさん、だっけ」
声をかけてきたのは、獣追い兄弟の母親だ。
ヘーゼルを邪険にした昼間のことを思い出す。
身構えていると、母親が気まずそうな面持ちで「あの、これ……」とエリーへ皿を差し出した。
常温まで冷ました丸茹でだった。
「吐き悪阻なら、冷ましたらマシになるかと思って……」
エリーが油かすをボリボリ食べるのを見て、母親は引き気味だった。
「……何だかあんた、食い悪阻っぽいけど、余計なお世話だったかい?」
「いいえ、ありがとうございます。試して良いですか?」
気持ちだけいただくつもりが、意外と忌避感はなかった。
常温になっただけで何故だかすごく食欲が湧いてくる。
丸茹では指で崩れるほど柔らかで、脂もしっかり抜けている。
繊維がほろほろと崩れる口どけだ。吐き気も起こさない。
「美味しい。でも、どうして美味しいの?」
「ひょっとしたら、悪阻の原因は玉ねぎか脂身あたりだったのかもね」
ミキがふらっと寄ってきた。
酒杯を片手に、すね肉を骨ごと豪快にむしゃぶりついている。
「脂っこさが悪いのはわかるでしょ。玉ねぎとかニンニクとかの臭いも、妊婦さんに悪さをしがちなんだよね。今日の料理はその辺全部省いてるから、食べられるんじゃない?」
そう言えば、玉ねぎを切る間も炒める間も気分が悪かったっけ。
「ミキさん、わかってたなら止めてくれたって良いじゃないですか」
「ええ? 人聞きの悪い。今の今までわかっちゃいなかったさ。ていうか今でもわかってないよ。吐き悪阻と食い悪阻が常に入れ替わる妊婦さんだっているんだし。それにエリーさん、自分で『肉はダメみたいです』って言うんだから、アタシだってそっちを信じちゃうよ」
「う……それはそう、ですけれど、だとしても玉ねぎのことを言ってくれたって良いじゃありませんか……」
「だってさ、料理はエリーさんの記憶の検査のためにやらせたんだよ? 玉ねぎ選んだからって止めやしないよ。せっかく自発的に選んだ食材なのに、診断するアタシが横槍入れたら台無しだからね。そんな無体、とてもできないよ」
こんな調子でさえなかったら、かなり尊敬できる人なんだけれどもね。
あれ。でも、飲むって言ってた割に素面よね。
てっきり羽目を外して飲むのかと。
「まだ酔ってもいないんですね」
「酪酒って弱いから全然飲んだ気しないんだよね。ヨーグルトと何も変わんないよ」
「聞き捨てならないねえ、護律の姉さん。こいつを飲んでもそんなこと言ってられるかい? ウチの旦那を落とした味さ。さあ一献」
甕を抱えた狗人が、柄杓で酒を勧めてきた。
「ああこりゃ、どもどもおっとっと……乾杯! ライトール……はどこかなっと……ああ、いた、とっつぁん! そっち何杯目? ……おっと負けてらんないや。ジュゴッ! ぷはっ! かーっ、これはこれは! ハチミツでも混ぜて醸したのかな?」
旦那を落とした酒の秘密は、狗人の微笑みの内に秘められたままだ。
「奥さんやり手だね。おかわりおーくれ!」
言ってるそばから振る舞い酒を注がれている。
ミキのこと、ちょっとは見直せそうだったのに。
小腹を満たし、酒に気を好くしたお調子者たちが管弦を手に手に好き勝手に鳴らしていた。
我も我もと奏で、歌い、踊っていく内に、てんでばらばらだった旋律も舞いも一つになっていく。
ミキも飲みながらちゃっかり踊りに加わっていた。
盛り上げに一役買っているから、まあ、手拍子くらいは送ってあげようかしらね。
「昼間は、すまなかったね」
賑やかさの陰で、獣追いの母親が沈痛な面持ちで呟いた。
「エリーさんがいなかったら、こんな風に呑気に騒げやしなかったってのにね」
ラライが歌をせがまれる。
その婿が獣追いの兄弟たちと張り合うように肉を食い、父親は慣れない主賓席で恐縮している。
スプリグリの宿営地は夜店と化して、広場の外でも料理を振る舞っている。
村人たちも心ばかりの一皿を持ち寄り、互いに食っては食わせて、飲んでは飲ませてを、飽きるまで繰り返す。
宴の振る舞い料理は、禁域の向こう側の関所にまで運ばれた。
事情を知らない見張り当番たちは無邪気に喜ぶ。
キッチンで温め直そうと相談し、料理を運んでくれた修律士仲間も誘って、いつもより豪勢で、温かな夕食に興じた。
コシノフ邸で静養する家族たちも、宴の輪の中に入っている。
バーンズ夫妻の客間ではスペイがロバートにおかわりをパシらせる。
アンドリーニ一家で心から楽しんでいるのはアポロニアだけだった。
だが、ヴィトーも、牢獄のミケーレにさえも料理が振る舞われ、沈鬱になりきれないでいた。
ライトールは宴の主催者として、参加漏れの村人がいないか見回ることを口実に、こっそり宴席を立っていた。
料理を手土産に、ヘーゼルの見舞いに行くためだ。
このことがイーリャに漏れるのは面倒なので、ベア院長への口止め料に、良い肉を見繕っておいた。
ヘーゼルの熱が引いていたのは良かったのだが。
「ライトール嫌い。出てけ」
「むっ、うぅん……」
昼間のいざこざで、すっかりヘーゼルは機嫌を損ねていた。
戦士ライトールの心が抉られる。祖霊よりも手強いかもしれない。
いくら肉を勧めて機嫌を取ろうとしても、顔を背けられたままだった。
「エリーを虐めた野郎なんか、もう知らねえ」
「あ、謝ったぞ、ちゃんと。心から反省もしている。俺の鼻が塞がっていた」目が節穴の意。「あれは実に気高い女だった」
「信じらんねえ。調子の良いこと、口から出任せに言ってんじゃねえの?」
「う、宴の主賓に遇したのに、ダメなのか……?」
黙ったままのヘーゼルが、ライトールを不安に駆る。
ライトールの尻尾が股下に巻かれて、そわそわし始めた。
真顔でヘーゼルが振り向いた。
「一方的に疑われる気持ち、わかったかよ」
「……ああ、酷いもんだ」
「二度とすんじゃねえぞ」
にやりと笑って、ヘーゼルは皿の肉を奪った。
ライトールのむしった肉には結局口をつけずに突き返した。
若者の惚気を肴に、病室の外でベア院長は酒ではなく肉をモリモリ食べた。
ラムシング村の内外が、今日という日に勇気を奮った人々を祝福している。
エリーの敵だった者や、今でも敵である者すら巻きこんで、区別しない。
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