034 ラムシング村とスプリグリの宴③:悪阻最悪!
宴に浮かれて、肝心なことを忘れていた。
エリーは悪阻の最中で、肉を食べると吐きそうになる。
遊牧民であるスプリグリ族の主食はトナカイの肉だ。
肉は手ずから料理した食材であり、吐いてしまった食材でもある。
運の悪いことに、肉の種類まで同じときた。
宴会料理にはトウヒの実やドライベリー、冷ましたお粥まである。
主催者の気遣いでざわざ用意してもらったものの、やはり肉料理の存在感は無視できない。
丸焼き……いや、丸煮? 丸蒸し?
「お、丸茹でだね」とミキが見る。
「ゆ、茹でただけなんですか」
「侮っちゃいけないよ。シンプルな味つけだけれども、手間をかけて茹でてるからびっくりするくらい肉が柔らかいんだよ。脂が抜けるから少し冷めても美味しいし、サッパリしててお酒が進むんだよね。……禁酒してなきゃなあ」
ミキが嘆く。
何だか、エリーの方をチラチラ見ている気がする。
ミキが拝むように合わせた手を、頬に添えて首を傾げた。
「ね、ね、明日から本気出すから、飲んで良い?」
「……お好きにしてください」
「ひゃほう! やあやあライトールにバルケティルのとっつぁん! 飲み比べといこうじゃあないかね!」
呆れた人を見送る傍ら、エリーは大所帯の車座を見渡した。
天幕一張りごとに、あるわあるわトナカイの頭から尻尾まで。
これを全てライトールが賄ったというのだから、族長の倅の面目躍如である。
それをキャスパーや狗人が慣れた手つきで捌いて刻んで薬味を振って、あっと言う間に一皿デンとお待ちどう。
エリーの両脇で、ミキとイーリャが舌鼓を打っている。
羨ましいなあ。私、湯気に挟まれて吐きそう。
キャスパーは気を遣って冷めるまで配膳を待ってくれているけれど、両隣の湯気責めだけでも限界だ。
実は悪阻じゃなくて、アルフレッドの偏食のせいでした。
なんてことを期待していたけれど、この吐き気は間違いない。
エリーの自前だ。
自前だと逃げ場がない。
せっかく口うるさいのが黙ったっていうのに、ゆっくりご飯も楽しめないなんて。
(悪阻最悪!)
顔を青くしながら、エリーは口元を押さえてミキの肩をつついた。
息をするだけでも吐きそうだった。
面布の下で呑気にむしゃむしゃ肉を貪るわからず屋に、もわもわ立つ湯気が無理だと、身振り手振りで必死に訴える。
「ああ、アタシとしたことが。ごめんね、エリーさん」
やっとミキが悪阻に思い当たった直後だった。
「エリーさん、こちらへいらっしゃいませんか?」
主催者席のラライが大手を振って呼んでいた。
ラライたち族長一家の席は湯気臭さとは無縁で、温菜の代わりに凍った肉塊をナイフで削いで食べていた。
肉は削ったそばから反るほどの凍り具合で、生臭さも気にならないだろう。
「大丈夫? 楽になってからにするかい?」
「うぷ……む、向こうで少し、休めば……」
ミキの肩を借りてお呼ばれした族長一家の席に腰を下ろす。
乳清を注いでもらった。
一口飲むと胃のむかつきを洗い流してくれる。
ラライに背中を撫でてもらい、しばらく休むと吐き気が引いた。
「はあ、助かった……」
「気が利かなくてごめんなさいね。私も悪阻の酷いとき、湯気がダメでしたのに」
「あ……じゃあやっぱりラライさんも?」
ラライは婿をちらりと見やると、穏やかに笑んで頷いた。
「ところで、これなんかいかがかしら?」
そう言って勧めてくれた料理は、干したキノコに見えた。
それとも、キノコに似せたビスケットだろうか。
あまり食の進む見た目ではない。
ただ、手触りはサックリ固めで、中に弾力を感じる。不思議な感触だ。
パキッと割ってムッチと千切った欠片に、下ろしショウガを乗せてラライが食べて見せた。
エリーもそれを真似して口にする。
想像を裏切る味わいに、エリーは思わず唸った。
「んんー! わあ、これお肉が入っているんですか?」
表面は少し歯に当たるくらいのカリカリ食感で、中はぷりぷり。
噛み締めるほどにショウガの爽やかな辛みと、もはや暴力的な肉の旨味が混然一体となっていく。
ふりかけた岩塩も良い仕事をしている。
少し脂を感じるしクセも強めなのに、旨味が遥かに強いおかげで嫌味じゃない。
乳清で口の中をリセットできるし、食感のおかげで不思議なくらいに食が進む。
「入っているというか、お肉そのものですよ」とラライ。
「本当に? 固焼き菓子みたいなのに、面白い」
「気に入ってもらえて良かった。私の悪阻、それで乗り切ったんですよ」
「確かにこれならいくらでも、とまではいきませんけれど……とても美味しいです」
「お粗末様です」
「ところでこれ、何ですか?」
「油かすです」
ピンとこなかった。
「えっと、油で揚げてカリカリになるまで脂肪を抜いた、トナカイやウマの腸です」
エリーが固まった。え、はらわた? 内臓ってこと? あの、ぶよぶよの?
目が点になる。
そんなゲテモノを掴まされたなんて。
ラライさん、あなた、え?
摘まんだ油かすと笑顔のラライの間を、視線が泳ぐ。
ただ、凍りつく間も、エリーはついつい油かすを口にしてしまった。
理性は警戒しているのに、本能が手と口を動かしている。
奇食なのに、パリカリムッチな癖になる食感なのが悪い。
常識と食い気がせめぎ合う様子が、ラライには面白かったようだ。
「意外といけるでしょう?」
ラライに今度は下ろしたホースラディッシュを勧められ、油かすに乗せてエリーは食べた。
ま、食べられるなら何でも良いわよね。
エリーは開き直った。グロテスクだとしても、美味しい物は美味しいんだから。
つまらない固定観念なんて吹っ切って楽しんでしまえとばかりに、エリーは油かすの塊にかぶりついた。
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