033 ラムシング村とスプリグリの宴②:儀仗の結い
厳かな夜空の下、群衆に見守られる中で、エリーが突きつける儀仗だけが冷たい炎を映している。
炎はエリーの不安を煽るように揺らぎ、焚火が爆ぜるにつれて群衆ががやついた。
「あ、あれ……。あの、ちょいと」
ミキが焦る。慌てて声を潜める。
「バルケティルのとっつぁん。打ち合わせと違うよ」
「……昼間、はぐれた仔を、母親のトナカイが探していてな」
おもむろに、バルケティルは一同に向けて、重い口を開いた。
「何の話ぃ……?」
ミキは消え入る悲鳴のように呟いた。
「仔が祖霊と遭遇した頃だったか。母親の気が立って、取り押さえるまでに手傷を負わされた者もいた。……者共! 祖霊、吸血鬼、看過できようはずもない、がしかし! 庇護者も劣らず強い! そうであろう! 父や母とは、その最たるものではないか!」
毛深い目元の奥で、バルケティルの瞳がエリーを慈しむ。
バルケティルは儀仗を抜いた。
「エリー殿、ぬしは強靭である。ぬしを蝕む力を調伏し、我が息、ライトールを救い出すために揮ってくれたこと、心から感謝する」
【調伏されちゃいねえし、助けてやったのはオレだ! 躾けのなってねえ老犬がよ!】
銀のペンダントをもらっていて良かった。
こんな汚い言葉、聞かせたくないもの。
バルケティルの儀仗が向く先は、アルフレッドのみではない。
エリーの握る儀仗に、ないはずの鋭さが宿る。
「バルケティルさん、ありがとうございます」
血ではなく、エリーを見てくれて。
「あなたも、鋼の意志をお持ちです」
両者が刃を握る。
聴衆から祝福の遠吠えと、ほんの少しだけのラムシング村の拍手が折り重なる。
互いの儀仗を放し、エリーとバルケティルは抱擁を交わす。
バルケティルの体躯はほとんど硬い体毛で、身体が埋まりそうだった。
腹回りが特に太いだけで、他は割とほっそりとした老骨だ。
「重ねて礼を言うぞ、エリー殿」
バルケティルのマズルが下りて、耳元で囁かれた。
「アルフレッドの手柄です。お礼を重ねられると、むしろ肩身が狭くなるので……」
「凶事を退けてくれたのだ。おかげで、家族揃って孫の顔を拝めそうだ」
「孫……えっ、ラライさんが?」
そう言えば、ラライは腹帯をゆったり巻いていた。
バルケティルは微笑みに含みを持たせるだけだった。
「……おっと、そうであった。しばし待たれよ」
二人は離れ、バルケティルが懐を探る。ミキが腫れ物を扱うようにバルケティルを追う。
「とっつぁん、勝手な真似は困るよ。こっちにはこっちの段取りがあってだね……」
「うろたえるでない、護律官。それでも人界の守護者の末裔か」
「その自覚があるから言ってんだってばあ……」
その間に、エリーは自身の儀仗の刃を握った。
「アルフレッドも、ありがとう」
【ああ?】
「あなたがいなかったら、私、何もできなかった」
血管壁に鳥肌が立つようだった。
【オエエッ! いきなり心にもねえこと言うな、気色悪ぃ!】
「本心よ。わかるでしょ? 一心同体なんだから」
【……で、この手は何だ? オレに握れってのか。舐めてんのか】
「やりたくないなら構わないわ。これは私の自己満足だから。けれども、これだけは言わせてちょうだい。あなたはどうしようもなく聞き分けが悪くて、うんざりするほど暴れん坊だわ。けれども、あなたの強さのおかげでライトールたちを助けられた。だから、本当にありがとう」
それは、心から思う、アルフレッドの好きになれるところ。その一つ目だった。
エリーが好意を口にしたきり、風に煽られた火の粉の舞が闇夜に吸われていくばかりで、沈黙が続いた。
【……きっしょ。うっぜえ】
苦し紛れか。アルフレッドの捨て台詞は、いつもの切れがなかった。
「おお、あったあった。あいやすまぬ。歳を取ると、こういうのは掴みにくくなってな……」
バルケティルが懐からジャラジャラと出したのは、ずっしりとした首飾りだった。
総銀造り。緻密な彫刻はスプリグリ族の絵巻らしく、物語を刻んだプレートに一つずつ宝石をあしらっている。
見るからに、彼ら一族の宝だった。
「授ける訳にはいかんが、宴の間、貸し与えよう。内なる呪いを封ぜられようもの」
【出ねえよ。狗人の血なんざ割に合わねえってんだよ。身の程知らずが】
「光栄です」
アルフレッドの悪態を無視して、エリーはバルケティルに頭を垂れた。
銀の首飾りがずしりと重く肩にかかる。
【あ、やべ、これガチ――】
アルフレッドの悪態が遠ざかっていく。
大量の銀が吸血鬼の血を身体の奥に追いやったように感じた。
「やってくれたね、とっつぁん……!」
宝の貸与も予定外だったらしく、ミキは始終おろおろしていた。
「あーもう、どうすんのこれ……。ここまで持ち上げろだなんて一言も……ああ……」
諦観の滲む溜め息だった。
「エリーさん、絶ッ対に壊したらダメだからね? わかったね? ちゃんとお返しするんだよ? 約束してね?」
「うろたえるでないわ、護律官。このバルケティルが祖霊に誓って許す」
「ヒュー、さすがとっつぁん。エリーさん、ラッキーだね。楽にして良いってさ……」
ミキは族長に睨まれた。
「嫌だねえ冗談ですよぉ。エリーさん、ほどほどに気にかけといてね」
つつがなく儀礼が終わって、ミキは胸を撫で下ろした。
「えー、以上をもちまして“儀仗の結い”は終了で……」
「さあ、者共! 宴の支度だ!」
直前とは比べ物にならない歓喜の絶叫で、宿営地が揺れた。
広場の中央の焚火から、天幕の前で組まれた薪に次々と火が移される。
天幕の裏からご馳走が山と運ばれてくる。
儀礼の場から瞬く間に宴会場へ早変わりする慌ただしさの中で、直前までの厳かさは払底し、人々の熱気が渦巻いていった。
「あーあ。全く……。ま、良っか。エリーさん、アタシたちも羽目を外そう。儀仗はしばらく持ってなよ。握手攻めがあるかも」
「ぬしらの席はあれだ。ライトール、ラライ、主賓らを遇せよ」
天幕の中にはクッションが並んでいる。
貴賓席には大きなクッションが六つ――エリー、イーリャ、獣追いの母を含めた親子四人の席だ。
その脇をミキのような主賓の連れ、族長一家の席で固める。
「イーリャはそこに」と勧められた席は見るからに一等上質だ。
てんこ盛りのクッション天国で、どれも触るのが勿体ないほど柔らかそうだった。
祖霊を討ち取った功績を考えれば当然だ。
エリーはその隣の天国で、同じ待遇。
当たり前だが、ライトールを助けた功績は相当重かったらしい。
エリー一人だけ目立つ席に通されずに済んで安心した。
天幕は広場が見渡せるように前が開いていた。
夜風が素通りなので寒そうに見えたが、中に入ってみると天幕が焚火の熱を反射して、意外と快適な温かさに保たれている。
所狭しと敷かれた絨毯やタペストリーの緻密な文様は目にも楽しい。
他にも魔除けだろうか、骨や角の曲げ細工も吊るされていた。
族長から主賓へ、搾りたてのトナカイミルクの乳清を注いだ杯が回される。
給仕担当はキャスパー。狗人たちの間に紛れた燕尾服姿が浮いている。
同じ杯から乳清を回し飲むのは歓迎を表している。
毒なんて入れてませんよ。というパフォーマンスだ。
普段なら酪酒が振る舞われるところだが、エリーの体調を考慮して変更された。
乳清は乾酪やヨーグルトを作る際に出る副産物で鮮度が命。
酪酒の人気もさることながら、日持ちのしない乳清の方が格式は上らしい。
「スプリグリ族の間じゃそうかもしれないけれど、アタシはやっぱお酒の方が嬉しいなあ」
ミキがぼやいた。
産後の短い間にしか採れない貴重なミルクは、舌に絡むほど濃厚で、甘い。
悪阻には合わないことも多いが、脂肪分がごっそり抜けた乳清なら、味わいは爽やかで喉越しはスッキリとしている。
これだけずっと飲んでいたい。エリーの好きな味だ。
銀の首飾りのおかげか、アルフレッドもいちいち味に反応しなくなっていた。
これ幸いと、エリーはついつい二口目をあおる。
「あー、だめよ!」
スプリグリ族側のどこかの席から、子どもに無作法を指摘された。
「こら!」
親の叱る声。ほのぼのとした笑いが天幕の輪に伝播する。
ミキの両脇にイーリャとミキの肘が刺さった。
「す、すみません、美味しくてつい」
エリーは顔を赤くして、イーリャに杯を回した。
広場に円座する全員に料理が配膳されている。
会場を埋め尽くすかのような量だ。
「さあ、お客人たち。広場にある料理全てぬしらの物だ。どんどん食え」
何と全て主賓に供された扱いだと言うバルケティルに、エリーの目が点になった。
「ええ!? じ、冗談ですよね!? 私たちだけでこんなに食べられませんよ!」
「まあまあ。これにも意味がありますので」
イーリャが落ち着いた口調で言う。
「お腹いっぱいにして追い返す。スプリグリ流の歓迎精神の表れなんだよね」とはミキの談。
なので、何も豪快なだけの無茶振りではない。
ちゃんとした礼儀作法に則れば良いのだ。
まず、何でも良いので料理を一口食べてから、宴の主催者の豊かさを褒め称える。
「とても私どもでは全てを食べきれません」とでも感服を表明すれば良い。
主賓が思い思いに口にする中、エリーはトウヒの実を摘まむ。
全員が手をつけたのを確認し、イーリャが音頭を取る。
「心尽くしの歓待に、心からの御礼を申し上げます。しかし、スプリグリの誇る豊かさは、私どもだけの身には余ります。どうか、みな様もご一緒に私どもをお祝いください」
バルケティルが鷹揚に頷き、酒杯を掲げる。
「堅苦しいのはここまでだ! 今より我らは同じ火を囲む同胞ぞ! 草原が、トナカイとウマに満たされんことを願って、存分に祝い、騒げい! 乾杯!」
宴席が歓声で応えて、賑やかな宴の幕が開いた。
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