025 大小異文化交流 2/3:気高き女
エリー、イーリャ、そして何故かライトールまで巻きこんだ秘密の約束。結ばれた指が誰からとでもなく離れた。
イーリャが空模様を仰いだ。
「教官が煙に気づいてくださったようです。ここ一帯の鎮火は時間の問題でしょう」
一同は、後衛で待たせているスプリグリ族たちの元へ帰る。
「エリー様も足に怪我を?」
歩きづらそうにしていると、イーリャに訊かれた。
服もブーツも、元々イーリャがヘーゼルに贈った物だ。申し訳なく靴底の穴について釈明すると、ライトールと相乗りするよう勧められた。
「え、嫌だ。こいつと一緒なんて。大体、会うなり突き飛ばしてきたの、まだ許してないもん」
「うぐ……」痛い所を突かれたライトール。「……降りても良い」
後ろめたいなら先に謝りなさいよ、頑固者。
「お気遣いどうも。でも、怪我人に譲らせるほどじゃないわ。行きましょ」
エリーが素っ気なく、ライトールも黙るものだから、板挟みのイーリャは気まずくなった。
エリーとライトールの仲は、初対面の一部始終を見ていたイーリャが痛いほど承知している。二人の不仲は、イーリャがここで解決できる問題でもない。
だからイーリャは日和見を決めこんだ。
「歩くのが少しでもおつらくなったら、おっしゃってくださいね」とエリーに念を押す。
「なら、トナカイだけでも預かる」
ライトールから申し出てきた。産後間もなく親からはぐれた家畜だという。
確かに重いのだけれども、この仔を今手放すとエリーは凍えてしまいそうで、気持ちだけ受け取った。
ますます居心地を悪そうにするライトールを見るのは、不謹慎だけれども、スカッとする。
(でも、少し意地悪しすぎたかしら……)
何しろ、この帰り道の間、ずっとライトールの視線を感じてきた。スプリグリ族騎馬隊が待機する場所までの道のりは決して遠くないはずなのに、遥か彼方に感じてしまう。
ウマを引くイーリャが、揺れが怪我に響かないかライトールに尋ねた。
しかしライトールは上の空で、ずっとエリーを見つめている。
気まずい。気まずさを誤魔化すために仔トナカイを「可愛い」と褒めたのは、これで何回目だっけ。本当に愛らしい仔トナカイで、甘やかしても苦にならないのが救いだった。
(こんなに雰囲気が重たくなるくらいなら、つまらない意地を張らなきゃ良かったなあ)
「ライトール?」
ウマを停め、イーリャがライトールを覗きこむ。ライトールは我に返る。
「ああ、いや……改めて礼を言う。恩に着る」
「そうではなくて、揺れが怪我に響かないかどうかを」
「……すまない。呆けていた」
イーリャが呆れる。
「痛みの心配はなさそうですね」
「ああ、気の利くウマだ。ずっと雲に乗る心地だった」
手短に答え、再びエリーを見つめるライトール。
「はあ……あの、エリー様にご用でも?」
チビ助を堪能していたエリーは、白々しくなりすぎないように「え、何なに」と二人を見比べる。
「……何故、助けに来た」
神妙にライトールが問う。
「……」え、それだけ?
助けたお礼もまだイーリャにしかしてないくせに、尋ねることがそれ?
不思議に思うのはわかる。エリーはライトールに突き飛ばされたっきりで、第一印象は最悪だった。
けれども、謝りもしないし礼も言わないで。順番ってもんがあるでしょう。
エリーはむくれて、外方を向いた。ただまあ、答えてあげないでもない。
「あなたを助けるつもりはなかった。最初はただ、獣追いの男の子たちが心配で……」
「なるほどな」
ライトールは自嘲する。
「なら生憎だったな。さっきも言ったが、小僧どもは俺の妹が逃がした後だ。忌々しくも、貴様は憎い男の助太刀をした訳だ」
「あら、急におしゃべりになったわね。そのご立派な口、憎まれ口専用なの? そもそも、あんたを助けたのは私じゃなくてアルフレッドっていう吸血鬼」
【胤族】
あんたは寝てなさいよ。
ライトールは鼻を鳴らして、顔を逸らした。
「だとしても、俺の命を握っていたのは飼い主である貴様の方だろう」
【飼われてねえ】
うっさいわね。飼い主でしょ。寄生虫飼ってるようなもんなんだから。
「助けるつもりもなかったのなら猶更だ。何故俺を助けた。村の者ではない貴様が出しゃばったところで何も得がない。俺を見捨てても実害を被ることもない。……ゲセカの息女にせがまれたか。それとも俺の無様を嘲りにきたのか」
こいつ本当に内通者だったならアルフレッドにぶん殴らせよう。
降って湧いた悪口をぐっと呑み、エリーは心に強面へんにゃり顔を思い浮かべた。
「あなたにもしものことがあると、きっとヘーゼルが悲しむからよ」
その名前が、ライトールの耳を引いた。馬上からエリーと目線を交わす。
ライトールのことは今でも敵だと疑っている。ただ、その正体を調べるのは、助けた後でも遅くはない。
エリーを悪女と謗りながら、どんな悪事を企てたか知りもしないくせに殺しにきた連中と同じにはなりたくなかった。
「まだ知り合ったばかりだけれど、ヘーゼルは素直だから。どんな気持ちかは何となくわかるつもり。けれども、あなたのことはまだ何も知らないわ。だからちゃんと、あなたのことが知りたいの」
ライトールはまた呆気にとられたようだった。オオカミっぽい表情にイヌのような丸みを帯びて、固まってしまった。
「で、納得した?」
むう、と唸って、ライトールは視線をさまよわせる。
「ヘーゼルを、その、慕っているのか」
「え」どういう質問? 「そりゃあ、まあ、大好きだけれど」
「一夜を共にするほどか」
「あれはアルフレッドのせい!」やっぱり嗅がれてた! 恥ずかしい! 顔赤くなってないよね。「私の好きはそういうんじゃなくて、恩とか尊敬とか友情とか、その辺色々!」
「貴様のせいでヘーゼルが倒れた」
「それは……ええ、そう。私のせい。私がヘーゼルに甘えたせいで、無茶をさせちゃった」
「ならば何故、貴様のような者がここにいる」
「それは――」
それは、ヘーゼルが倒れたときにも責めるように問われたことで、何故かアルフレッドまでしつこく覚えていて、先の救出劇では皮肉で返したことだった。
呆気にとられていたはずのライトールは、元の野性味を取り戻していた。しかし、一族の頂点に連なる者の厳かさをまとって、瞳を澄ましている。
エリーが試されている。
俺を知りたければ、まず貴様自身について答えろと、ライトールは言っている。
アルフレッドを本質として認めず、認識を真っ新に改めて、エリー一個人としての意思表明を待っている。
エリーは固唾を呑んだ。深呼吸すると森の冷涼な空気が胸に満ちて気が引き締まった。
エリーは、どうしてここにいるのか。
「――私の過去を知るため。お腹の赤ちゃんを無事に産むため。アルフレッドから身体を取り返すため。ヘーゼルや私を助けてくれた人たちに、助けた甲斐があったと思ってもらえるように生きるため」
「貴様の背負う業……その力は、多くの血を流すものだ。身の程を弁えろ」
「言われなくてもわかってる。私は……」
弱い、と音を上げるのを踏み止まる。
「まだ、これから強くなるところ。頼もしい人たちが、私ならできるって信じて、ここに連れて来てくれた。助けてくれた人たちに、信じてくれる人たちに恥じない自分に、私はなる」
樹冠に遮られた雨の囁きを枝葉が集め、しとしとと幹を伝う静けさが、火事場の空気を清めていく。
焦げ臭さは、森の緑の匂いに変わっていた。
ライトールは正面を向いて、エリーを見下ろした。自分の胸を叩く。
「スプリグリの血、バルケティルの息、ライトール。馬上の名乗りを許されよ、気高き女。若草の、いずれ大樹を豪語する女よ。して、名は」
エリーもわからないなりに背筋を伸ばし、胸を叩く。
「エレクトラ・ブラン。多分。記憶がないの。エリーって呼んで。その方が慣れているから」
ライトールは力強く承服した。エリーを突き飛ばした手が、握手を求めて差し出された。
「エリー。今朝の無礼をお詫びする。そして、助太刀感謝する。おかげで命拾いさせてもらった」
ライトールと固く握手を結ぶ。毛深さよりも、肉球の感触がくすぐったい。
「……やっぱり、一緒に乗せてくれる? もう歩くの限界」
ライトールに加えて、仔トナカイとエリーを乗せても、ケナガウマは平気そうだった。
「私も、意地悪してごめんなさい」エリーがライトールに切り出す。
「気にするな。先に手を出したのはこちらだ」
「へえ、あなたって潔いのね。どんなときでも毅然としていて、それに勇敢」
褒めちぎられて、ライトールが面食らう。
「……どうした、いきなり」
「ううん。こっちの話」
どんなに嫌いなものでも、好きになれるおまじない。
三つの好きなところを探すコツが掴めてきたような気がする。
好きになろうと思えるものだから、好きになれると感じる人だから、すぐに三つ思いつけるのだ。




