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無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
3.ラムシング訪問

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024 大小異文化交流 1/3:指切り

   †


 焼野原ににわか雨。火事が雨雲を呼んだか、あるいは、あの護律官は天候をも操れるのか。


 アルフレッドの予感は当たっていた。


 ミルズの森から昇る膨大な黒煙を、ミキは崖道から目の当たりにしていた。


「ぎゃあ!」とミキの絶叫が谷に響き渡る。


 ミキは頭を抱えて「火消し火消し火消し!」と大慌てで禁域から雲を送り届けたのが先刻のこと。


 たとえ祖霊の血がまだどこかで息を潜めていたとしても、この雨足で生き延びるのは難しい。


】ここが、誰の、何ですって?【


 うるさい宿主だ。牧場呼ばわりがお気に召さなかったらしい。アルフレッドはこめかみを強めに小突いた。


(荒事はオレ頼みの弱虫が、いちいち細けえんだよ)


 それにまだ取りこみ中だ。雨に煙る焼野原の中心で、アルフレッドは森へと声を轟かす。


「よく聞け、出歯亀野郎! ここはオレの、アルフレッド・ヴァルケルの縄張りだ! 穀潰しはお呼びじゃねえ! 消え失せろ!」


 しとしと降る雨が、残り火をシュンシュンと消している。返事はない。


 ただ、殺戮の始終を見届けていた者が一匹、梢にぶら下がる赤いコウモリが翼手を広げ、枝葉から滴下する雨粒を避けながら、青い霞の奥に飛び去った。


 その気配を、アルフレッドは目で追う。


】……何? まだいるの?【


「放っとけ。あれは伝令役にする」


 乱れた前髪がかったるく、アルフレッドは息を吹きかける。濡れて額に張りつき、そよぎもしない。


 忌々しく、銀のペンダントを自ら首にかけ直す。


】あら? 随分素直じゃない【


「じきに煙も散る。紛い物の闇ん中でデケえ面するほど落ちぶれちゃ、いねえよ」


 地面の染みと化した祖霊を矢の消し炭ごと踏みにじり、アルフレッドの意識は奥に退いた。


   】†


 白雨が煙を散らす中、身体の主導権を返されて一番、エリーはぶるっと凍えて両腕を抱えた。


「寒いんだけど!」


 酷い格好だった。靴底が抜けた上に、袖まで破れている。


(もう、どうすんのよ。借り物なのに)


 仕返しとばかりに、エリーも自分のこめかみを強めに小突き返した。


「ちょっとレッド! 少しは頭を使って戦いなさいよ! これで次、素っ裸とかになってたら承知しないからね!」


【寝る。黙れ】


「待ちなさい! 話は終わってないわよ! こら、レッド! ……もう!」


 身勝手な吸血鬼め。


 けれども別に、服をダメにしたことをしつこく責める気にはなれなかった。


 殺し屋に狙われたり、死の淵から息を吹き返したり、吸血鬼に身体を奪われたり。始末に負えない身の上と比べれば、激しい戦いで借りた服をボロボロにしてしまったことなど取るに足らなかった。


(イーリャさんに謝らないと。あ、いや、ヘーゼルのだからヘーゼルに?)


 銀のペンダントヘッドは外気で冷えていて、胸元に仕舞うのが少しためらわれた。


 アルフレッドが踏みつけた物から、足をどける。祖霊は泥と区別がつかなくなっていた。


 最期は、命乞いをしているようだった。


 ここまで小さくなるほど弱ったのなら、アルフレッドに服従するつもりだったのなら、情けをかけても良かった気がする。


 けれども、エリーの抱いた憐憫と迷いは、熱風が瞬時にさらってしまった。


 変わり果てた雪原にはまだ、至る所に火種が燻っている。この惨状をもたらした祖霊を許す訳にはいかない。


 それに、どう世話をする。誰の血を飲ませる。これまでに飲んできたのは誰の血だ。飲もうとしていたのは誰の血だ。


 答えが決まり切っている問いだとしても、この祖霊の生まれ方が違えばあるいは、生き延びる未来もあったかもしれない。


(この子は私だ)


 ヘーゼルに会えなかった私。ミキさんに面倒を見てもらえなかった私。アルフレッドの言いなりになった私。新しい命を宿さなかった私。


(独りぼっちのままの私)


 その場から下がり、地面の染みを前にしてエリーは膝を折った。


 両手の指を額につけ、正中をなぞり、へその辺りから広げるように円を描く。護律協会の祈りの作法。


 この祈りで弔えるのか知らないけれども、それでも祖霊の亡骸を放ってはおけなかった。


「巡る恵み、もたらす業に」感謝、は違う。「……つらかったよね。どうか、安らかに」


 風が焼野原を吹き抜ける。白煙の切れ間に雨雲が垣間見えた。


(今は気持ちだけだけれども、我慢してね)


 祈り終えて、眠る仔トナカイを抱き上げた。露出した腕に温かさが染み渡る。


(終わったんだ)


 エリーの腕の中で、柔らかな実感が寝息を立てている。


 獣追いの男の子たちを探しても見当たらない。無事だと良いのだけれど。


「アルフレッドは引っこみましたー! 取りこぼしはないみたいでーす! みなさん無事ですかー?」


 靴底が穴だらけで、ブーツの歩きづらいこと。


(もうちょっとキツく怒っておくんだった)


「ライトールが怪我をしていまーす。私は何ともありませーん」


 白煙の迷路をさまよっていると、イーリャの声が返ってきた。


 エリーは倒木をよけつつ、慌てず急がず、声を頼りに雪原の境まで戻る。


 ライトールがケナガウマに登るのを、イーリャが手伝っているところだった。


「おーい」と呼ぶと、イーリャはライトールをさっさと押し上げて、手を振り返してくれた。


 エリーの変わり果てた格好を目の当たりにし、イーリャはギョッと言葉を詰まらせ、一瞬で持ち直した。さすが切り替えが早い。


「ご苦労様でした、エリー様」


 イーリャが柔らかに迎え、軽く抱擁してくれた。


「お加減は?」


「早く着替えたいです。それより、獣追いの男の子たちは?」


 他はライトールしかいない。エリーの胸が騒ぐ。


「人間の兄弟なら、先に逃がした。俺の妹と愛馬がついている。心配いらない」


 ぶっきらぼうにライトールが答える。


(こんな嫌な奴に安心させられるだなんてね)


 エリーは杞憂を胸から追い出すように息をつく。自然と、顔がほころんだ。


「ありがとう」


 一瞬だけ、ライトールが呆気にとられたように見えた。「いや」とだけ言い捨てられて、すぐに顔を背けられてしまった。


(照れ隠ししちゃって、まあ)全く愛嬌がない訳ではないらしい。


「エリー様、服もそうですが、それよりも……」


 今の格好が狗人的に目のやり場に困るのかと思っていると、エリーの下腹辺りをイーリャが気にしていた。


「大丈夫だと思います」


 触ってみても何ともないし、胎児は無事だ。エリーの返事が呑気すぎたか、イーリャの肩から力が抜けた。


「その、何とお礼を申し上げれば……」


「露術! すごすぎて参考になりませんでした! すみません!」


 謙遜と感謝の押しつけ合いになる気配を察知して、エリーは頭を下げる。抱いている仔トナカイの柔らかな背に顔を埋める格好になった。


 イーリャの勇姿は意識の手前で見届けていた。


 アルフレッドが律儀に一部始終を見守っていたのは意外だった。露術訓練を妨害しないという約束を守ったのだか、敵情視察のつもりなのだか知らないけれども。


 氷の弾丸、炸裂する蒸気。ミキの水量に物を言わせる露術とは違う。先生に推されるのも納得の、技術を感じる繊細さだった。


 露術の手本を見せるという建前が活きているとは思っていなかったのか、イーリャが苦笑した。


「……あれ。でも」エリーは違和感に思い当たった。「イーリャさん、大雑把なのが欠点だって……それに、あのレンズ……」


 シャボンのレンズ。そんな物が露術で作れるのなら、眼鏡に頼らず、目の悪さを自前で補えるはずだ。


 イーリャは「しまった」と顔に出す。


 見開いた目は可愛らしく泳ぎ、顔を赤らめ俯かせ、困り果てた上目遣いで口元に人差し指を立てた。


 秘密を見られた、歳相応の女の子のように。


 エリーは喜んで、口元に指を一本立て返す。


 つまり、ヘーゼルとお近づきになるための口実だったのだろう。


 目が悪くても崖道を一人で通れるのも、この器用さで補えていたから。


 何が大雑把なものか。ミキの方が遥かに雑だ。


 イーリャは安心して、人差し指を立てたまま小指も立て、黙って指切りを催促した。


 エリーも同じ指の形を作り、小指を絡め、お互いの人差し指を合わせた。


 女同士の秘密にしよう。二人の心の隅っこが、ほんの小さく重なった。


 ライトール一人だけが話題に取り残されて、馬上で蚊帳の外だった。そういう訳にはいかない。彼もまた秘密の目撃者なのだから。


「ほら、あなたも」


 イーリャと結んだ指にライトールも加われと、エリーは誘った。


 ためらうライトールに、更に詰め寄る。


「本当に、生きてて良かった」


 はて。ライトールの思い違いでなければ、この指切りは、エリーとイーリャだけの秘密の誓いのはずだが。


 しかし、なし崩しとはいえ、己の生還を祝われて無下にはできない。


「お、重いからぁ……早くぅ……」


 エリーは片腕で仔トナカイを支えていた。腕がぷるぷるしてもう限界だ。


「あ、ああ」


 毛深く、武骨で、爪の鋭い指が遠慮がちに、二人の指切りに加わった。


 ライトールが気を許した途端に、血生臭さの奥に隠されていた香りが鼻をくすぐった。


 酸鼻極まる気配から醸したにしては余りにも平凡な、母親の香りだった。

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