025 気高き女
「教官が煙に気づいたようですね。ここ一帯の鎮火は時間の問題でしょう」
空模様と相談し、一同はスプリグリ族たちの元へ向かう。
「エリー様も足に怪我を?」
歩きづらそうにしていると、イーリャに訊かれた。そう言えば服は元々イーリャがヘーゼルに贈った物だ。ブーツはどうなのだろう。靴底の穴について釈明すると、ライトールと相乗りを勧められた。
「え、嫌だ。こいつと一緒なんて。会うなり突き飛ばされたし」
痛い所を突かれてライトールは顔をしかめる。「……降りても良い」と苦々しく声にした。
「お気遣いどうも。でも、怪我人に譲ってもらうつもりはないわ。行きましょ」
憎い狗人だけれど、変に怪我を悪化させられても困る。
エリーが突き放すものだから、イーリャは気まずさの板挟みに遭った。
エリーたち二人の仲は、初対面に立ち会ったイーリャが痛いほど承知している。ここで解決できる問題でもないので「少しでも進みづらくなったら、おっしゃってくださいね」とエリーに念を押すだけに留めた。
後ろめたさからか、ライトールから仔トナカイを預かろうと申し出を受けた。はぐれた家畜だという。確かに重いのだけれど、この仔を今手放すとエリーは凍えてしまいそうで、気持ちだけ受け取った。
帰り道、視線を感じる。
ウマを引くイーリャが、揺れが怪我に響かないかライトールに尋ねた。しかしライトールは上の空で、ずっとエリーを見つめている。
気まずい。仔トナカイを「可愛い」と褒めたのは、これで何回目だっけ。イーリャの話にも生返事だし、こうでもしていなきゃ間が持たない。本当に愛らしい仔で、甘やかしても苦にならないのが救いだった。
「ライトール?」
ウマを停め、イーリャがライトールを覗きこむ。ライトールは我に返る。
「ああ、いや……改めて礼を言う。恩に着る」
「そうではなくて、揺れが怪我に響かないかどうかを」
「……すまない。呆けていた」
イーリャが呆れる。
「痛みの心配はなさそうですね」
「ああ、気の利くウマだ。雲に乗る心地だ」
手短に答え、再びエリーを見つめるライトール。
「エリー様にご用でも?」
見ていられなかったのか、イーリャが余計なお世話をかけてくれた。チビ助を堪能していたエリーは、白々しくなりすぎないように「え、何なに」と二人を見比べる。
「……何故、助けに来た」
神妙にライトールが問う。
「……」え、それだけ?
助けたお礼もまだイーリャにしかしてないくせに、尋ねることがそれ?
不思議に思うのはわかる。エリーはライトールに突き飛ばされたっきりで、印象は最悪だった。今になってライトールも居心地の悪さを感じ始めたらしい。けれども、順番ってもんがあるでしょう。
エリーはむくれて、外方を向いた。
「あなたを助けるつもりはなかった。最初はただ、獣追いの男の子たちが心配で……」
「なるほどな」ライトールは自嘲する。「なら生憎だったな。小僧どもは俺の妹が逃がした。忌々しくも、貴様は憎い男の助太刀をした訳だ」
「あら、急におしゃべりになったわね。憎まれ口専用なの? そもそも、あんたを助けたのは私じゃなくてアルフレッドっていう吸血鬼」
【胤族】寝てなさいよ。
ライトールは鼻を鳴らして、顔を逸らした。
「だとしても、決めるのは飼い主だろう」
【飼われてねえ】うっさいわね。飼い主でしょ。寄生虫飼ってるようなもんなんだから。
「何故助けるつもりもない俺を助けた。貴様には何も得がない。ゲセカの息女にせがまれたか。それとも俺の無様を嘲りにきたのか」
こいつ本当に内通者だったならアルフレッドにぶん殴らせよう。
降って湧いた悪口をぐっと呑み、エリーは
「あなたにもしものことがあると、きっとヘーゼルが悲しむからよ」
ライトールの耳を引いた。馬上からエリーと目線を交わす。
ライトールのことは内通者だと今でも疑っている。ただ、その正体を調べるのは、助けた後でも遅くはない。エリーを悪女と謗りながら、どんな悪事を企てたか知りもしないくせに殺しにきた連中と同じにはなりたくなかった。
「まだ知り合ったばかりだけれど、ヘーゼルは素直だから。私にでも何となくどんな気持ちかはわかるつもり。けれど、あなたのことはまだ何も知らないわ。だからちゃんと、あなたのことが知りたいの」
ライトールはまた呆気にとられたようだった。イヌよりもオオカミに近い険しい表情に、丸みが帯びて固まってしまった。
「で、納得した?」
むう、と唸って、ライトールは視線をさまよわせる。
「ヘーゼルを、その、慕っているのか」
「え」どういう質問? 「そりゃあ、まあ、大好きだけれど」
「一夜を共にするほどか」
「あれはアルフレッドのせい!」やっぱり嗅がれてた! 恥ずかしい! 顔赤くなってないよね。「私の好きはそういうんじゃなくて、恩とか尊敬とか友情とか、その辺色々!」
「貴様のせいでヘーゼルが倒れた」
「それは……ええ、そう。私のせい。私がヘーゼルに甘えたせいで、無茶をさせちゃった」
「ならば何故、貴様のような者がここにいる」
それは、ヘーゼルが倒れたときにも言われたことで、アルフレッドが皮肉で返した問いだった。
呆気にとられていたはずのライトールは、初対面時の野性味を取り戻し、しかし一族の頂点に連なる者の厳かさをまとって、瞳を澄ましている。
試されている。エリーは直感した。
知りたければ答えろと、ライトールは言っている。アルフレッドを本質として認めず、エリーを一個人として認めて。
エリーは固唾を呑んで、緊張をほぐす。
「私の過去を知るため。お腹の赤ちゃんを無事に産むため。アルフレッドから身体を取り返すため。ヘーゼルや私を助けてくれた人たちに、助けた甲斐があったと思ってもらえるように生きるため」
「貴様の背負う業は、その力は、多くの血を流すものだ。身の程を弁えろ」
「言われなくてもわかってる。私は……」弱い、と音を上げるのを踏み止まる。「まだ、これから強くなるところ。頼もしい人たちが、私ならできるって信じて、ここに連れて来てくれた。助けてくれた人たちに恥じない自分に、私はなる」
樹冠に遮られた雨の囁きを枝葉が集め、しとしとと幹を伝う静かが、火事場の空気を清めていく。
ライトールは正面を向いて、エリーを見下ろした。自分の胸を叩く。
「スプリグリの血、バルケティルの息、ライトール。馬上の名乗りを許されよ、気高き女。若草の、いずれ大樹を豪語する女。して、名は」
エリーもわからないなりに背筋を伸ばし、胸を叩く。
「エレクトラ・ブラン。多分。記憶がないの。エリーって呼んで。その方が慣れているから」
ライトールは力強く承服した。
「エリー。昼間の無礼をお詫びする。そして、助太刀感謝する。おかげで命拾いさせてもらった」
ライトールと固く握手を結ぶ。毛深さよりも、肉球の感触がくすぐったい。
「……やっぱり、一緒に乗せてくれる? もう歩くの限界」
仔トナカイとエリーを乗せても、ケナガウマは平気そうだった。
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