020 祖霊やらい 1/4:雪原の檻
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ミルズの森が怯えている。風もなく枝葉がざわめき、嵐もなく幹がきしむ。
ケナガウマの祖霊が木立の向こうで騒いでいる。いななき、咆哮……雪原の外から、大群に包囲されたかのような圧迫感が、徐々にライトールたちの神経を削る。
人間の兄弟たちは雪を掘り、新芽を摘んでは石で擦り、汁を身体に塗ることでやっと、正気を保っている風だった。
(無駄矢を射させるつもりか)
ライトールも祖霊を警戒しつつ、石で銀の古銭を打ち、伸ばしていた。細長く変形させて矢に巻けば、祖霊にも効く。
だが、古銭は脆く、強く打った拍子に二つに割れてしまう。
カッと苛立ってライトールは、割れた古銭に意志を叩きつけようと振りかぶった。
その手に仔トナカイの鼻先が当たる。
呑気に新芽の搾りかすを嗅いでいた仔トナカイだった。
銀の臭いにも興味があるのか、ライトールは癇癪を起こすのも馬鹿馬鹿しくなり、石を置いて仔トナカイを撫でてやった。
それを人間の兄弟たちが、疲れた顔で羨まし気に見ている。
「撫でてみるか」
作業を止めて、兄弟たちはおずおずと手を伸ばす。仔トナカイは撫でられて嬉しそうにし、兄弟たちの緊張をほぐしていく。
幼い命たちの戯れを見ていると、ライトールの苛立ちも鎮まっていった。
(儚いものにも役割はある、か)
割れた古銭を拾い、じっと思案する。
「ラライ、すまない。思ったようにはいかなかった。これはお前が持っていろ。守りにはなるだろう」
「だったら、残りは兄上が」
「恩に着る」
ライトールとラライの耳が動く。二人で同じ方角を向く。一族の者に宛てた遠吠えが返ってきた。
「小僧ども、聞け。こっちを向くな。そのまま撫でながらだ。……もう少しの辛抱だ。もうじき救援が来る」
「本当?」
弟の方が辛抱できずに立つ。
「助かった気になるな! まだあれが目を光らせている。油断せず、ここでじっと助けを待つんだ」
ライトールたちが助かるには、日没までに祖霊を討伐しなければならない。
ライトールが遠吠えを送ってからまだ間もない。村が救助を急いでくれたのだ。
(油断せず、か)
祖霊の挑発に翻弄されて、警戒を重ねすぎてしまった。気疲れが酷い。祖霊が枝葉を揺らしているのか、ただの風の気紛れなのかも、もやは判然としない。
深呼吸し、心を鎮める。
(俺がこんな調子でどうする。妹や小僧どもを守れるのは、俺とヴューガしかいない。もう少しの間で良い。気をしっかり持て)
「兄上」
ラライの呼びかけに「どうした」
「何だか、静かじゃないかしら……?」
呼吸が、嫌に耳に迫るようだった。いつの間にか、ざわめきが凪いでいた。
ヴューガが首を高くもたげ、耳を絞って一点を見ていた。高く、長く鳴いて、ライトールに警戒を促している。
矢をつがえる。ヴューガの視線の先を追うと、森の暗がりの奥に例の祖霊がたたずんでいた。
雪原の周囲で枝葉を鳴らし回っていたときとは打って変わって、祖霊はじっと、ライトールたちを見据えている。
兄弟たちが、怯えてラライに抱き着いた。
(どういうことだ。何を企んで――)
訝るライトールは、目を丸く見開いた。
森の四方から祖霊の元へ、血の塊が集まっている。
今までざわめきを起こしていたのは、切り離した血液の一部だったようだ。
(それを使って、大群に見せかけたか)
ライトールは祖霊から逃げる最中に、曲剣で祖霊の追撃を斬り捨てた。分離した肉体の使い方を、あの一瞬で学習されてしまった。
だが、何のために今やめたのか。
まだ太陽は出ている。いくら足止めしたところで、襲うにはまだ時期尚早だ。
教えてやろう。と言わんばかりに祖霊は動いた。
呼び集めた血の塊と本体が融合し、巨大な腕を作った。模造した筋骨を軋ませながら、両腕で何か途方もない重量の物を引くようだった。
樹木の破断音。
一斉に爆竹を炸裂させたかのような騒々しさ、直前とは比肩にならない騒音が、ライトールたちを包囲する。
青い霞を通って和らぐ木漏れ日が、祖霊を仄明るく照らす。
巨大な腕から伸びる無数のきらめきは、血の糸。布を織ろうかというほどの膨大な本数の糸。それが森の方々深くに渡されて、引き倒そうとしていた。
(何のつもりか知らんが!)
動きを止めた今が勝機。ライトールは弓を放った。風切る銀の矢は祖霊の心臓を正確に捉え、何者かが身を盾にした。
死体。祖霊は足元の茂みから死体を出していた。首を縦に斬られ、吸血鬼の犠牲になった者の亡骸を盾にしたのだ。
(俺たちを釘づけにしている間に、それを拾いに戻っていたのか……悪趣味な)
一本の樹が、雪原に向かって倒れ地面が揺れた。雪煙が舞う。
それを皮切りに、一本、また一本と、倒木は数を増やし、雪原を狭めていく。
興奮するヴューガをライトールが、兄弟たちと仔トナカイをラライがなだめる。
「影を作って、こっちに来る気じゃ……!?」
ラライが血の気を引いて囁く。ライトールは首を横に振る。
「俺たちに届く頃には日が暮れている。悪足掻きだ」
雪原との境にある樹が全てなぎ倒されても、ここから更に影を伸ばすにはあまりに頼りない。
影を利用してライトールたちに接近するつもりなら、樹を運搬、あるいは投擲して影を伸ばす必要がある。
馬鹿力で樹を倒すだけでは済まない。結構な手間のかかる作業だ。
あるいは、樹を傘にする。いくら怪力を誇る祖霊であろうと、動きが制限されてしまう方法だ。そう来ればヴューガで逃げ切れる。
「怖がることはない。時間はある。根負けして迂闊に動くのが一番危険だ。救援が今に駆けつけてくれる。待てば助かる」
毅然としてライトールは全員に言い聞かせた。
祖霊は死体を盾にしたまま、一歩として前に出ようもとしない。
(当然だ。何を考えていたか知らないが、所詮浅知恵だ)
馬群の蹄の音が聞こえる。救援が間に合った。ライトールが、止めていた息を吐いた瞬間だった。
死体を、祖霊が投げた。一同は身構える。
だが、宙に放り出された死体は四肢を投げ出し、手近な倒木へ、枝葉を巻きこんで着地した。
(当てる気がない……?)
訝るライトールの思考が、爆音に吹き飛ばされた。




