019 予測不能、制御不能 6/6:稀代の大悪女
「いいえ、私、行きます」
エリーの決心がイーリャを唖然とさせる。屋敷を右往左往する喧騒が遠ざかるようだった。
イーリャは表情を険しくした。
「エリー様!」
「ただし!」エリーは叱責を受ける前に跳ねのけた。「アルフレッドが二度と露術の訓練を邪魔しないなら、です」
突然のことで、エリーの中の血が騒ぐ。
【ンだとテメエ、もういっぺん言ってみろ!】
エリーは握り拳を、夢で見た血の鏡に見立てて怒鳴りつける。
「ええ、ええ! お望みなら何度でも言ってあげるわ! 目障りな祖霊をそんなに倒しに行きたいなら、もう二度と私たちの邪魔をするなって言ったのよ!」
【ふざけてんのか!】
「こっちは大真面目よ! 指咥えて見てなさい!」
エリーが拳から顔を上げ、イーリャへ向かった。
アルフレッドと口喧嘩したことならイーリャにもわかるものの、ただならない気配に、思わず後ずさる。
だが、何故か。エリーの雰囲気が変わっている。そのたたずまいに引き止められるように、イーリャは面と向かった。
「……何ですか」
「イーリャさん、この際はっきり言っておきます。私はあなたを内通者じゃないかと疑っています。ロバートさんも、キャスパーさんも、ライトールだって怪しいもんだわ」
「なっ……」
「だから私は、こう考えたんですよ。この騒動のどさくさに紛れて、全員勝手にくたばってしまえば良い、って」
エリーの告白に、イーリャが絶句する。
【こんなときに悪女ごっこかよ! 悪女気取りじゃいらんねえつってたろうが! どの面下げてほざいてんだよ!】
アルフレッドが怒鳴る。
「黙りなさい」
血の罵声を内側から浴びせられても、エリーは毅然と応えた。
「礼儀がなっていないだけなら良いわ」
悪戯っ子たちのように。
「でもね、反省もしない、聞き分けもない。自分の損得ばっかりで、私たちの足を引っ張るばかりのおふざけ野郎に、通してやる筋なんて持ち合わせてないの!」
アルフレッドは殺し屋と同類だ。
「だから私が悪女になるのは、あんたたちにだけ! 筋を通す価値もない、くだらない、ちっぽけなあんたたちにだけ! そう決めた! 誰にも、特にあんたには絶対に文句を言わせない! 言わせてたまるもんですか!」
血の気が引くのは、エリーの気迫に中てられて、アルフレッドが委縮したからか。はたまたエリー自身の高揚感からか。
イーリャも、広場に集った面々も、吹き抜け廊下で揉めていたロバートと老人も、一様にエリーの豹変に魅入られていた。
「言ったでしょう。大真面目よ。それに、あんたが言わせたのよ。私は稀代の大悪女だって」
あのエチュードは、エリーの心の堰をわずかに崩して、大胆にさせていた。だからエリーは、とびきりの悪人面で、イーリャに言い放つ。
「敵かもしれない奴を助けに行く? 自分で行くと言っておいて何だけれど、本当はお断りよ。ご褒美の一つでもなきゃ、やってらんないわ」
【テメエ、言ってること無茶苦茶だぞ!】
「本心が滅茶苦茶で何がいけないのよ!」
またエリーは握り拳と口論を始めた。静かな豹変にイーリャは圧倒されていた。
等身大の娘だったエリーが、一転して不敵さを漂わせている。
(この方、ここまではっきり物を言うような人でしたっけ……)
イーリャの疑問は、奇しくもアルフレッドの疑念を代弁するものだった。
現状、エリーの体内には三種の主体がある。エリー自身、胎児、そしてアルフレッド。それぞれが独自に考え、感じ、生きている主体であった。
そしてこれらは、お互いに内分泌を絶え間なく押し付け合っている。
傲慢なアルフレッドはエリーの弱気から、慎重なエリーはアルフレッドの不遜さから。
内分泌代謝が直ちに性格へ影響を与えるとは限らないが、チョウの羽ばたきの如く徐々に影響を及ぼしていくのは避けられない。
アルフレッドはエリーに宿ると決めた時点で、内分泌のカクテルが起こす不確定要素を恐れてきた。
自身の内分泌を操作して相殺することもできたものの、血の消耗に対して得られる成果が予測できない。
労力に見合うかどうか測りかねて、見送ってきたのだが――その懸念が、寄生から半日しか経たない内に、現実のものとなったのだ。
おかしい。いくら何でも早すぎる。
【脳の損傷か……!】
エリーの脳の損傷は、完全には治癒させていない。アルフレッドの血が直接塞いでいる状態だ。
中には断裂した神経細胞網を擬態能力で代替している箇所もある。エリーはアルフレッドの神経と直接繋がっていると言っても良い状態だった。
内分泌の相互作用を超えて、最初から誰にも予測がつかない段階にあったのだ。
しかし、事情を知らないイーリャには、気にかけている余裕などない。
(今の提案……中々どうして悪くありません)
エリーの同行を許せばアルフレッドの妨害工作への牽制となる。事態を解決へ導けたなら、露術訓練再開の目途が立つ。
ただし、流産のリスクがある。
彼女の教官であるミキ・ソーマは、できればエリーを助けたいと言っていた。イーリャもその心情に人並みの共感を覚えている。
一方で、万が一胎児が流れたときはエリーが駆除される。それはそれでイーリャにとって最も望ましい決着を見ることになる。
命大事に現状維持を選ぶか、命を懸けさせて前進を選ぶか。
今この場で求めるべきは、変化量が最大の選択肢。その選択を恐れるのは愚かだ。
「承知しました。アルフレッド・ヴァルケルが同意するのであれば、エリー様の同行を許しましょう」
「恩に着ます、イーリャさん」
エリーは悪女の演技のまま、優雅に礼を言う。
アルフレッドが状況に取り残されている。良い気味だ。
「さあ、後はあなただけよ吸血鬼。あなたが『はい』と言わない限り、私は銀のペンダントを外してやらないし、日陰にだって入ってやらない。答えなさい。あなたは私と手を組むのかしら。それとも屋敷にこもって、村が荒らされるのを指を咥えて見ているのかしら。どっちでも良いわよ。実は私、あなたが悔し涙を流すところだって、とっても見てみたいんだもの!」
エリーは高らかに嘲笑う。その悪役じみた笑い声を耳にして、野次馬たちがたじろいだ。
その妖しさはいつの間にか、広場に集った人々を覆い尽くし、村の内外の区別なく注目を掻っ攫っていた。
血管中からくぐもった声が聞こえた。アルフレッドの悔しがる姿が目に浮かぶようだった。
(私が露術を覚えるかどうかは、資質にかかっている。あんたの大事な大事な村は、現に危機に直面している。比べるまでもないでしょう?)
【……テメエの言いたいことはよくわかった。もう知るか。勝手にしろよ】
「約束を破ったら殺されても良いと言いなさい!」
【勝手にしろ! 次は言わねえ!】
「口約束でも破ったら、わかってんでしょうね!」
【るせえなあ! とっとと行けよ!】
「あの、ウマをお持ちしたのですが……」
キャスパーが気まずそうに声をかけてきた。引かれたケナガウマが待ちくたびれたように、全身を震わせた。
冷水をかけられて急に演技が恥ずかしくなり、エリーは肩を縮めて「すみません」と小さく謝った。
イーリャが鞍に跨る。「参りましょう」とエリーに手を差し伸べた。
(手、震えてる……)
やはり、イーリャは荒事に向いていない。ついて行くことにして正解だった。
「エリー様は私の前で、横乗りなさってください。しっかり肩に掴まって、揺れと弾みがお腹に響かないようにご注意ください」
イーリャがケナガウマの手綱を握る。
「急ぎましょう! 案内を!」
スプリグリ族たちの先導で、ライトールの窮地を救いに。。
「疑っているとは言いましたけど!」馬群の足音に掻き消えそうで、エリーは声を張り上げた。「事実がわかるまで、お仕置きは保留しますから!」
イーリャも、ロバートも、キャスパーも、ライトールも、疑わしいだけで内通者と決まった訳ではない。
勝手にくたばれば良い? そうは言ったけれども、それではエリーを狙う殺し屋たちと同じではないか。
犯した悪事を知らないまま、一方的に断罪してきた殺し屋。エリーは彼らとは違う。
きちんと真相を暴いて裁く。それがエリーが好きになれる、エリーの姿だと信じた。
「私は違いますからね!」
視力が弱い分をウマに委ねて、イーリャは強がりを口にする。
ミルズの森の入り口に至ると、森の方から二人の人影が手を振っていた。
「助けてくれ! 息子たちが吸血鬼に追われてる!」
叫ぶ獣追いの男の後ろで、こそこそ隠れるもう一人に、エリーは見覚えがあった。
「ああー!」
エリーが驚き、指を差す。
「どうしました?」
「あれ脱走犯!」
イーリャが眉をひそめた。そのまま素通りしようとするのを、エリーは悪戯っぽくにやけて、イーリャに耳打ちした。
イーリャは目の色を変え、エリーとそっくりに、しかし目つきの分凶悪ににやけて、ウマの進路を変えた。
「そこのお二人、私と一緒に! あの二人を村へ連れて帰ってください!」
先導役の狗人たちに断って二騎を連れ出し、一時的に群を離れる。
助かったと安堵する獣追いに、エリーは声を張る。
「おじさーん! そいつー! 人殺しー!」
「覚悟ぉ!」
鬼気迫るエリーの叫びと、それに追随するイーリャに、獣追いの男が面食らう。
(人殺しだと。命の恩人だぞ)
だが、聞き捨てならない。
獣追いが無意識に距離を置くと、恩人であるはずのその謎の中年はビクリと肩を震わせて「ちが、違うんだ!」とうろたえる。
無理にでも獣追いの後ろに隠れようとする。
縋る中年と、押し返す獣追い。
二人の元にエリーたちのウマが全速力で迫る。
「散々手を焼かせて! お縄に着きなさい!」
「イーリャさん!」
エリーは体勢を変えて、イーリャの首を支えにして、ウマの脇に大きく身体を傾けた。
震えるほど拳を固める。
「反省しろこのバカー!」
村の代表の娘であるイーリャの言葉と、掟破りの女の怒号。訳がわからないまま、獣追いは恩人を引きはがす。
「待ってくれ俺はもう逃げ――」
エリーの振り抜いた拳が、脱走捕虜の鼻面にめりこむ。
エリーは拳をねじり、脱走捕虜を身体ごとすくい上げ、綺麗な弧を描くように吹っ飛ばした。
寄り道した分を取り戻すように、二人を乗せたケナガウマは颯爽と去り、先導する群を追う。
馬上でハイタッチする二人は、年頃のお転婆のようだった。
「間が、悪……」
心配した表情で駆け寄る獣追いに見守られながら、捕虜は意識を手放した。
去るウマを見送る中で垣間見えたイーリャからは、いつもの気難しさが少し薄らいでいた。
「あんな楽しそうなお嬢様、いつ以来だ」
獣追いの呟きが、馬蹄の刻まれた雪道で、風にさらわれる。
獣追いは、二頭の騎馬からの救助の申し出を断った。
代わりに、吸血鬼を三体仕留めたこと、一体を取り逃がしたこと、他にまだ潜んでいるかもしれないこと、避難を優先して火の始末を後回しにしたことを告げる。
そして、村人たちの応援を呼ぶように頼んだ。
卒倒した命の恩人を肩に担ぎ、遠くなる騎馬の背をとろとろと追う。




