006 絆の芽生え 6/6:廃墟のむかし話
禁域の話に戻る。
ある日、一夜にして領地が壊滅する大事故が起こった。
事故の全容は明らかではないが、教授の研究との関連が疑われている。
ともかく原因不明の事故が起きた以上、何が第二の事故の引き金になるかもわからない。
そのため、この土地は護律協会――吸血鬼退治の専門家集団によって立ち入り禁止区域――禁域に指定された。
伯爵領は封鎖され、今でも城塞都市はその監視下に置かれている。
その封鎖と監視は、執拗なまでに徹底されているという。
「この辺、生き物が全然いねえだろ」
ヘーゼルに言われて、エリーは辺りを見回した。何もいない。
耳を澄ませる。ここは風と水の音ばかりで、羽ばたき一つも、魚が跳ねる音もない。
ぞっとするほどの静寂に包まれている。
「本当だわ」
生き物の気配がない。
「空砲で追っ払って、禁域の手前じゃ野生の鳥とか獣とかは、わざと乱獲してんだ」
火薬の音に驚いて逃げ飛ぶ小鳥を想像し、エリーは可哀そうに感じた。
ただ、動物を追い払うことがどう吸血鬼と関係してくるのかが、ピンと来ない。
「どうして?」
「兵糧攻め、ってやつ? 何つっても吸血鬼は血を吸うんだからな。念のため、血の赤い生き物は全部追っ払うに越したこたあねえのさ」
ここまでくると、もはや病的だ。
そんなところに落ちたエリーにだって、赤い血が流れている。追い払うべき生き物の一種なのだ。
とんでもない迷惑をかけ通しで情けなくなってくる。
「別に謝んなくて良いかんな」
先読みされて、エリーはぎくりと身を固くした。心の中では頭を下げつつ、ふと疑問を口にする。
「ヘーゼルはここ、入って良かったの?」
うっ、と呻いて、ヘーゼルが足を止めた。悩まし気に唸る。
(何かまずいことを訊いたかしら)
エリーが気まずくしていると、ヘーゼルは急に不敵に笑いだした。
「自分、これでも護律協会の修律士見習いだかんな。若隠居に頭を下げて、お酌の一つでもしてやりゃあ、うやむやになるって。……そんで大丈夫だよな? うん、だよな?」
己に言い聞かせるヘーゼルが不憫だった。
「だ、大丈夫だって。ほら……えっと、そう、元はと言えば入っちゃった私が悪いんだし、ヘーゼルは仕方なく私を助けてくれたんだから、むしろ……ね? だから、そんな落ちこまないで。怒られなきゃいけないのは、私なんだから」
「う、うう……エリー、すげえ立派じゃんか……。エリーならきっと、アルフレッドだって見向きもしねえや」
「アルフレッド? って、誰それ?」
「誰……って、まあ、悪さばっかしていると食いに来ちまうぞー、って感じの、おとぎ話の化け物だよ」
その化け物の本当の名前はわからない。
ただ、出会った人間を片端から捕まえて「アルフレッド?」と尋ねる。
そのため、いつしか怪物自身がアルフレッドと呼ばれるようになったという。
「違う、つっても食われっし、自信満々に、おおそうだ自分がアルフレッドだ、つっても嘘を見抜かれて食われちまうんだ」
「理不尽」
「だよな」
ヘーゼルが苦笑する。
「ま、ガキに聞かせるおとぎ話っつったらそんなもんだろ。ガキの躾けに便利じゃん。良い子にしねえと、アルフレッドが家に来るぞ……って。まあ、ありがちな話だよな」
「ありがち……」
こういう話になると、記憶を失ったことをエリーは嫌でも意識してしまった。
多分、どんな場所にも似たようなお話がある。あって当たり前だ。
よそから来た人と親交を深めるには、この手の話題は丁度良さそうだ。
(私だって、そういうおとぎ話の一つや二つ、知っていたっておかしくないのに)
似たような話を知らなくても、代わりになる話題があれば、それとなく話を逸らすこともできる。
そんな話題すら、エリーにはない。
子守唄は覚えていたはずなのに。三つの好きのおまじないだって。
エリーが言い淀むので、ヘーゼルが失言に気づく気配がした。
ヘーゼルが口を開く前に、エリーは「ごめん、は禁止。お互いにね」と釘を刺す。
しかし、それでも気まずさは変わらない。次第に二人は口数が少なくなっていく。
急いで話題を逸らそうと、エリーは辺りを見回した。
どこまでも、霧の中の街並みは水没している。
「そ、それにしても、街一つ本当に水浸しなのね。これってやっぱり、吸血鬼対策なの?」
「あ、いや、こりゃ偶然。そう偶然だ」
お互いに助かった気分だった。なし崩し的に話が継がれた。
「十何年だか二十数年か前の大地震で、周りの地面がドゴーンってせり上がって、今みたいに険しい谷の底になったっつーんだけど、そんときの地下水が湧いてるんだとさ」
「地震? 地震なんかで、こんな地形になっちゃったの?」
「そりゃたまげるよな。自分らの生まれる前にそんな大ごとがあったなんて。けど、その証拠に、今でも崖の頂上に城壁の一部があんだよ。地殻変動で丸ごと持っていかれたんだ」
スケールの大きな話だ。エリーは感嘆の溜め息をついた。
思わず上を向いて城壁を探したが、霧に遮られて枯れ木の天辺も見えなかった。
晴れた日に、切り立った崖上に屹立する遺構、城壁を想像する。絶景だろうな。
「ま、おかげで封鎖が楽になったのはそうなんだよな……」
言葉尻がすぼむにつれて、ヘーゼルの脚も止まった。
怪訝に眉を寄せ、鼻をツンと上げて、しきりに嗅ぎ鳴らし始める。
それに倣ってエリーもすんすん、と臭いを嗅いでみた。
霧の香りがするだけ。
なのに、霧に隠された先に【たまらない◯の◯いが漂い】胸騒ぎを覚えた。
腹の虫が誘われて、小さく鳴く。生唾を呑む。
「どうかしたの? まさか、吸血鬼?」
「いや……だけど」
ヘーゼルがエリーに視線を寄越し、また前を探る。
水浸しの通路に倒壊した家屋の瓦礫が小島を造っている。
「エリー、お前、ここで待ってろ」
「えっ、ちょ、ちょ、待ってよ」
ヘーゼルは無理に、しかし乱暴にならないように、エリーを瓦礫小島に降ろそうとした。
エリーは手足で踏ん張って抵抗する。
「おい、大人しく降りろって」
「なら、ちゃんと説明して。何でいきなり?」
「そりゃあ――」
ヘーゼルが百面相を経て無表情になる。
「――ナンデモネエ」
「いやド下手くそか! ボソッと言われても誤魔化されないわよ!」
ヘーゼルがあからさまにショックを受けたのを無視した。
「びっくりした! 表情も声色も何一つ隠せてないわ! ヘーゼル、やっぱり嘘つくの向いてないよ!」
「ウ、ウウウウソジャネーシ?」
「もう良いわよ! 何で隠すの! 言ってよ、怒んないから」
結んだ口の端をむずがらせるヘーゼルは、やっぱり何かを隠している。
「今、理由もわからないまま置いてけぼりにされるのは、怖いの」
エリーの告白が赤裸々で、ヘーゼルの心は揺れた。
ヘーゼルがたっぷりと吐いた溜め息が、寒気に冷やされて白くもうもうと霧に融けていく。
「わーったよ。説明すっから、ちょっと休憩させてくんねえ?」
エリーは不承不承、提案を受け入れた。
小島にエリーが降ろされて、その隣にヘーゼルが腰を下ろしたかに見えた瞬間だった。
ヘーゼルが曲げた膝のバネで跳躍し、廃墟の壁に飛びついた。
窓の桟や軒を手掛かり足掛かりにして、瞬く間に屋根上へ上る。
唖然と見上げるエリーに、上から見下ろすヘーゼルがすまなそうに手を合わせる。
合わせた手よりも低く、頭も下げた。
「悪いエリー! やっぱ、こればっかはダメだ! 絶対ぇすぐ戻っから、大人しくそこで待っててくれ!」
「ちょっと!? 待っ……ヘーゼル!」
エリーの呼び止める声を振り切るように……いや、ヘーゼルは未練すら背中を押す力に変えて行く。
ヘーゼルは屋根を跳び越えて走り去ってしまった。
その姿が霧に紛れた後も、エリーはヘーゼルを何度も呼んだ。
返事はない。声は空しく響くばかりで、息が切れた瞬間にゾッとするような静けさが耳を塞いだ。
背中の温もりを失い、冷気と共に心細さが忍び寄る。
それを誤魔化そうと、エリーは声を荒げてヘーゼルを呼ぶ。
酸欠で気が遠くなりそうだ。それでもエリーはヘーゼルの名を叫び続ける。
エリー自身の血潮が耳に迫る。心臓がうるさい。
血流に、男の嘲笑が乗っている。
【†】




