016 男の雄叫び
ウマの身体の方の毛並みは塵に還りつつあるかのように艶を失い、肉は乾いて、草を食む格好のまま立ち往生していた。斬られた首は口を下にして墓標のように立つ。目は落ちくぼんで、虚ろを覗いていた。
見るからに血を、根こそぎ抜かれている。
その近くに火傷を負ったウマが、同じく血を抜かれて息絶えていた。他に、枝に結ばれた手綱に斬られたウマの首、あるいは銜だけが垂れて残されている。
新しい焚火跡。地面に刺さった剣を握るのは、切り離された腕一本。斬首死体のミイラは、四肢が残っている。
目にする限り、ウマ三頭、人間二名。
酷え……。父は声を殺した。近くに吸血鬼がいる。周囲、頭上に照準を向け、警戒を絶やさず、勘で安全な樹を選び、背中を預けた。
木立がさざめく。父の頭に、針葉が落ちる。
「おっとう!」
兄が父の頭上を狙うのを見て、父は咄嗟に真上に発砲した。手応えがあった。頭上に迫る巨大な発火体から、父は転がって身をかわす。
銀弾はそれの頭に命中していた。父は急ぎ離れながらも、その姿から目を離せなかった。
のたうつそれは、喩えるなら、粘土で精巧に作った人間とウマを、焼き固める前に練り合わせたかのような醜悪な姿をしていた。混在する人とウマの四肢、お互いの生命の在り方が、一つの肉体の中でせめぎ合う形状だった。
吸血鬼の肉体は、吸った血の影響を色濃く受ける。人がウマの血を吸った、成れの果てである。
成れの果ての目に銀弾は命中していた。眼窩は沸騰し、止めどなく濃煙と火柱を噴く。弾痕から液状化と焼夷が同時に身体を蝕んでいく。
苦しみながら、成れの果ては銀弾を摘出しようと藻掻いた。だが、触れるそばから肉体が沸騰、炎上、融解する。
雪に触れた手足も輪郭を失っていき、悶え苦しむ。肉体の再生を試みているようだったがしかし、懸命な藻掻きも虚しく、銀に犯された血は連鎖的に燃え、肉体の形を失っていく。
やがて、大きく気泡が爆ぜると、それは燻る血溜まりとなって泥雪に染みていった。
逸る呼吸と恐怖を意地で抑え、父は幹を支えに背を押し押し、震える脚を殴りながら立ち上がる。
三頭。
父の両脇を、疾風が抜ける。我先にと血溜まりに群がる三頭が、霞の奥から躍り出たのだ。人寄りの姿の二頭、ウマ寄りの姿の一頭。異形の怪物が土ごと銀弾を捨て、地面に染みて失われる血液を惜しむように貪る。
残りの隠し弾は、兄の一発。
間に合わない。
「逃げろ! 急げ! 逃げろ!」
父は息子たちの方へ全力疾走する。騒ぎに気づいた一頭が、前のめりにずっこけながらも、父より遥かに速い脚で追いかける。
異形は、父の真後ろ。
「撃て!」
言った瞬間、父はヘッドスライディングに踏み切った。
父の身体で隠れていた、兄の銃口が火を噴く。
狙いは異形の心臓。獣と違って的が大きく、急所の腹部を晒している上、父の誘導のおかげで絶好の的だった。
着弾し、先の個体とは比べ物にならない火柱を立たせて、異形は糸が切れたように倒れた。
貫通はしない。特に若い吸血鬼は本能的に銀の接触を嫌うため、接触面から銀を押し返そうとする。だが生来の回復力と頑強さが仇となって弾速を殺し、意図せず体内に留めてしまうのだ。
異形の血灯りに、残る二頭が鎌首をもたげる。
「三人バラバラに逃げるぞ!」
「やぁ、だあ……!」弟が愚図る。
「わがまま言うな!」拳骨固める暇もありゃしねえ! 父は兄の肩を軋むほど握った。
「大人だから守れるな!?」
返事も何もなく、兄は弟を抱き上げた。父は問答無用に兄の背中を押し、鉈を抜いて、残る二頭の異形の前に立ち塞がる。
火炎より昇る陽炎越し、歪んだ異形は幽鬼の如く肢体を揺らめかせる。
非力な同胞と、目の前の食用種を嘲笑うかのような揺らめきだった。
「来ぉい! 俺の子どもにゃ、指一本触れさせねえ!」
無茶苦茶に振り回す鉈など、異形は意に介さない。沸騰する新しい亡骸をまたいで越えて、人寄りの異形が父を襲い、ウマ寄りの異形は父を避けて逃げる兄弟を追う。
男の雄叫びが、森を震撼させた。
雄叫びは三つあった。
父と、それから、この場に集った二人の異分子の雄叫びが。
逃げた捕虜が、兄弟たちの父に迫る異形の横から、銀のフォークを手に突撃する。異形の脇腹に衝撃が走り、間一髪、父は異形の手から逃れた。
どうと倒れる異形の刺し傷が発火する。中年とはいえ殺し屋の全身全霊を乗せたフォークの一突きだ。火の返り血が服に燃え移り、捕虜が慌てて雪に転がって消火する。
その遥か後方、ケナガウマを駆るライトールが、兄弟たちを腕一つで拾い上げて離脱する。
「しっかり掴まれ! 荒っぽくいくぞ! 舌を噛むなよ!」
「待って! おっとうも!」
「ならば見ろ! あれが父の背中だ!」
ライトールに脅されて、兄弟たちは恐れを忍んで括目した。
自分たちに追い縋る異形越し、猟銃を振りかざす父の背中が見えた。
突然乱入した見知らぬ中年に襲いかかるもう一体の異形を前にして、父は一歩も引かず、脇腹に刺さったフォークを狙って、銃底を槌代わりにぶちこむ。
異形の断末魔。父の背丈に倍する火柱が上がる。
影になった後ろ姿は、彼の息子として誇らしさを新たにさせるほど勇ましかった。
「おっとう!」
遠くなる兄弟の声が残響する。
残されたのは、崩壊してゆく吸血鬼の火を囲う中年二人。
九死に一生の立役者であるはずの捕虜が大の字に倒れて、延々と樹冠の空へ慟哭する。
「クソが! くたばっちまえ! 吸血鬼が! 散々つきまといやがって! 何の恨みがあってここまでの目に遭わなきゃなんねえんだ! 誰か! 生き残りはいないのかよ!」
たとえ殺し屋一味が生き残っていても、この騒ぎでのこのこ姿を現す間抜けはいない。いるとすれば自分だけだと、捕虜が一番理解していた。しかし、叫ばずにはいられない。
「間が悪いってんだよコラア! いい加減にしてくれよお! 畜生めえ!」
父は、助かったことも理解できずただ、呆けたように両膝を屈した。
息が整うまでしばらく、猟銃を握る手が固まったままだった。
「誰だか知らねえが、助かった。ありがとう」
大の字になる捕虜に、父は手を差し伸べた。
「すぐに離れよう。火の始末は後回しだ。他にまだ潜んでいるかもしれねえ」
手を結んで起こしながら、父は捕虜に問う。あんた誰だ。捕虜は答えた。
「もうわからん。ただの父親でたくさんだ」
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