014 予測不能、制御不能 1/6:ミルズの森
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禁域より下り、ラムシング村を抜けた先に広がる森、ミルズの森。
陽光を遮るほど生い茂った樹冠に雪帽子が残っている。そのため地上は昼間でも薄暗い。
樹木から揮発した精油成分の影響で、森の中は見渡す限り青霞んでおり、まるで湖か空に沈んだような様相を呈している。
その森を通る涸れ川の道、そこから外れた木陰で、三頭のウマが繋がれていた。
そのそばで三人が火を囲んで憩っている。
「ムーングロウの野郎、遅えな……。光モールスは確かだったんだろうな」
「ああ。ご先代によれば『標的ハ待子ヘ。勢子待機サレタシ』だ。それきり音沙汰なし」
「息子が息子なら、その親もたかが知れてら。第一、状況終了でムーングロウが伝令に来る手筈だったろうが。狼煙が足りねえか? フクロウ野郎も隠居ジジイも何やってんだ。いけ好かねえ」
「終わったら翼を折ってやれ。俺が許す」
「ともあれ、今にでも標的が宿場町に引き返すかもしれない。ご先代の手まで煩わせるのは作戦要綱で厳しく禁じられているし。ここで目を光らせておかないことにはね」
三人は思い思いに項垂れて、溜め息をついた。
携帯糧食をかじる。獣脂の臭いとハチミツの甘ったるさに奥歯を噛み締める。
「ああ、かゆいかゆいかゆい……」
離れたところにもう一人、毛布に包まる男がいた。樹の根元にできた窪みに身を埋めて、ガタガタと震えている。
四人の役目は標的を狩り場へ追いこむこと。後は崖道に陣取った仲間が標的を仕留めるという段取りだった。
橇に乗った標的を追うだけの仕事だ。
それだけではやり甲斐がないので、仕留められるなら仕留めてやるつもりで四人はウマに鞭をくれていた。
それが仇となる。
ウマを駆って追う内に、標的を乗せた橇は森の一本道へ入り、おもむろに護衛が撒き菱をばら撒いたのだ。
馬群を離れ先頭に出た一騎が棘を踏み、驚いたウマが竿立ちになった。後続は道が塞がって立ち往生してしまう。
おまけに標的はランプまで投げてきた。
ランプは先頭のウマの顔面に命中、ガラスが割れて燃料が漏れ、引火、炎上。火に慣れたウマたちも仲間の悲鳴を聞くや軒並み恐慌状態へ陥り、なだめている内に標的は狩り場の方へ姿を消してしまった。
作戦のチェックポイントはクリア。
その代償に、ランプの直撃を受けた一頭は、鼻の奥まで焼け爛れたおかげで呼吸もできなくなり、死んだ。
死んだウマの騎手が、この毛布の男である。
毛布の男はウマから投げ出されたときに頭を打ち、一時は意識を失っていた。
だが、目を覚ましてからというもの、人が変わったようにうわ言を繰り返し、ずっとかゆみに悩まされている。その内、参って倒れてしまった。
愛馬がノミかダニでも飼っていとしたら厄介だ。寒冷地の吸血虫は苛烈である。
あるいは愛馬を失った喪失感で心を病んだとも考えられる。後ろ暗い稼業である。ウマを心の拠り所にする気持ちは、他の三人にも理解できた。
しかしこうも「かゆい、かゆい……」と一晩中しつこく聞かされると、同情する気も失せてくる。
「も、もう限界だ」
そりゃこっちの台詞だ。毛布の男に台詞を盗られて、三人は心の中で文句を言った。
「ひもじい。食いたい」
火を囲う三人は互いを見合わせて、各々戸惑った。
食欲があるのは結構だが、男がどこか場違いに感じた。
仕方なく一人が焚火から離れて、携帯糧食の包装を剥き、震える毛布の目に留まるよう、間近で差し出す。
「はいどうぞ。一人で食べられる?」
「あ、ありがとう……!」
男は糧食ではなく、差し出した腕の方を掴み、相手を軽々と引き倒す。毛布を跳ねのけて、男がその上に覆い被さる。
「お、おい、ふざけ……」
男が組み伏せた相手の首を噛み千切る。絶叫。噴出する血をじゅるじゅると、一心不乱に貪る。
残りの二人が呆気に取られて、事の成り行きを眺めていたところに、薪が爆ぜた。
「おい! イカれちまったのか、てめえ!」
弾かれたように、もう一人が助けに出る。
「行くな! 様子がおかしい!」
残りの一人が引き留めるのも聞かず、剣を抜いた男が、血を貪る男の肩を強引に掴む。
振り払われると、掴んだ剣ごと腕が飛んだ。
妖気の静寂な森に、悲鳴がもう一つ増える。肘より先から流れるおびただしい血を押さえ、激痛を抱いて男は倒れた。
まずい。残された一人は既に背中を向けて逃げていた。
(何だ、いきなり何が起こった。逃げろ。どこに? 任務は? 知るか。ウマが怯えている。使えない。この足で? どこまで?)
男はひたすらにその場から逃げ去ろうとして、項に剣が突き刺さった。
刃が項を貫き口から出て、その辺の幹に縫い止められる。
幹に接吻させられた男の両腕は無意味に宙をさまよい、眠りに落ちるようにだらりと垂れていった。
最初に餌食になった男の絶叫は止んでいた。片腕を失った男の悲鳴を伴奏に、新たに生まれた吸血鬼の眷属が、血に耽る。
この場の誰も、何の前触れもなく仲間が吸血鬼になるとは思いもよらず、護身用の銀器を握ることもなく全滅してしまった。
いや、ほんの小さな前触れならあった。
小さすぎて誰の目にも留まらなかったのだ。
眷属の手の甲に噛みついていた、ほんの小さなかさぶた。赤いダニが溶けて、男の身体に馴染んでゆく。
夜明け前の出来事であった。
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「うーん、ないねえ」
禁域の廃聖堂。顔の欠けたピエタ像の膝元で、ミキ・ソーマは片胡坐に頬杖をついて溜め息をついた。
エリーは露術を使ったという。
殺し屋の一味の証言が真実だとすれば、エリーは触媒を所持していたことになる。
救助時の所持品に触媒が見当たらなかったので、禁域で落としたと考えるのが妥当だった。
しかし、昨夜のエリーの行動範囲を隈なく探したつもりだが、それらしい物品は見つからなかった。
(うーん、こりゃ一杯食わされたかな?)
捕虜の証言が嘘だった可能性。露術を使われたことを敗因にして面目を保った? いや、失敗談にわざわざ嘘を紛れさせるのは無意味だ。
探し方を考え直すため、全ての始まりとなった廃聖堂で小休止を取る。
(少なくとも、崖上で交戦していた時点では所持していたはずだよね)
滑落の過程で落としたなら、廃聖堂周辺が疑わしい。
あるいはアルデンスの遺体があった周辺も候補に入るが、どちらもハズレだった。
(崖の途中とか? まさかね)
抜けた天井を仰いだときだった。
聖母像の頭上に、青葉のついたマツの枝がかかっていた。
ふと、それを摘まみ、ミキはためつすがめつ観察する。
断面は粗く、折れてまだ新しい。エリーの滑落に巻きこまれたのだろう。
霧が深いせいでここからはよく見えないが、崖肌にマツが根づいているのは昨晩目にしている。
途中で触媒を枝に引っかけた可能性は大いにある。
「……登攀かあ」
露術を酷使することになりそうだ。
ミキは大きく伸びをして、水面に浮かべた楯に飛び乗った。
間欠泉の如く水が噴射し、霧の彼方へ消えて行く。
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