012 吸血鬼の安楽椅子推理 3/4:歴史上最も人を殺め難い時代
イーリャたちラムシング村出身者が当惑する一方で、部外者のエリーは自縄自縛に追い詰められつつあった。
命を狙われているのは、あくまでエリーただ一人なのだ。
その切実さは村人側から絶望的に隔絶している。
畑起こしや風車、水車の点検を行う裏側で、一人の女性が狙われている。こうしてエリーと膝を突き合わせでもしない限り、夢にも思わないことだろう。
ましてや身内に殺人に与する者が潜んでいるなど。
イーリャ、スペイ、ロバート、ベア院長……。疑い始めるときりがない。
例えば、イーリャやロバート。考えようによってはエリーたちを禁域へ誘導するような行動だった。
内通者は一人とは限らない。二人でもっともらしい理由をつけて、わざとエリーたちを関所に通したのだとしたら。
仲間が待ち構える、逃げ道のない崖へ。
(違う)
イーリャは厳しいけれども、エリーを一人の人間として、公平に扱う心だてがある。
本当だろうか。
なら、内通者疑惑を否定したがるのは何故だ。
村人を庇いたい気持ちが先走ったのだとしても、少し突飛な気がする。何かを誤魔化した?
ロバートは……ロバートのことは、まだ少しわからない。
アルデンスに剣で脅された。そう言っていたけれども、それはアルデンスがロバートから悪意を嗅ぎ取り、先手を打ったのだとしてもおかしくない。
けれども、ロバートはもうすぐ一児の父になる。良い人だと信じたい。
なら、この場にいない人……ライトールは。
村に到着するなり、彼には目の敵にされた。彼でもあり得る。
不安の種がエリーの心に根を下ろし、際限なく根を張っていく。
畦道を行くときの光景が、エリーの脳裏に蘇る。
噂をする村人たち。好奇の視線。それに、男の子から突きつけられた銃口、大声で真似た銃撃音。
誰が内通者か、全く絞れない。
これではまるで隠れ蓑だ。内通者自身が、村人たちの噂話と視線の中に紛れて、堂々とエリーの動向を監視するための隠れ蓑。
誰もが無遠慮にエリーに興味を抱いてくる。この状況は、内通者に都合が良すぎる。
今のラムシング村の様相も、内通者が裏で糸を引いているものだとすれば――。
(嫌だ。こんなこと考えたくもない。でも、だったら誰が内通者なの)
村人の面々を思い出す中で、エリーにふと嫌な予感が芽生えた。
猟銃でからかってきた悪戯っ子たちの得意顔。彼らは今朝、どこへ行くと言っていたか。
「……ちょ、ちょっと待ってください。このお屋敷だけじゃなくて、森にまだ殺し屋が潜んでいるんだとしたら、獣追いに行く人たちと鉢合わせになるんじゃ……?」
一同から血の気が引く中で、ベア院長が大儀そうに溜め息をついた。
「あのね、嬢ちゃん。そもそも今は、歴史上最も人を殺め難い時代に入っとるんだよ」
「関係ありませんよ」エリーはムッとした。「現に私は殺されかけたのに、時代とかそんなの、今更何だって言うんですか。ヘーゼルが助かったのだって運が良かっただけかもしれないのに。獣追いの子たちが心配じゃないんですか」
「それは違いますよ」
イーリャまで冷静なままなのが信じられず、エリーはイーリャを睨み返す。
「イーリャさんだって言ってたじゃないですか。殺し屋は信用できないって」
「ええ。一人でも尊い命に手をかけようだなんて、正気の沙汰ではありません。正気でないのなら、エリー様を追う先々で、二人、三人と手にかけていようとも驚きません」
「だったらどうして急に意見を変えるんですか。イーリャさんだって危なかったじゃないですか」
イーリャが一瞬、声を詰まらせた。身体を強張らせ、手で手を握る。一つ深く息をつき、緊張をほぐす。
「……そうですね。人質にされました。気が動転して、殺し屋は見境のない輩だと思いました」
「そうですよ。前科があるんです。森に行った子どもたちだって……」
「ですが、思い返せば、あのとき気が動転していたのは殺し屋も同じでした。仲間の亡骸と一緒に閉じこめられて、参っていたことでしょう。そんな中、やっと逃げようした矢先に私と鉢合わせたのです。想定外の連続で、規範通りに対処できなかっただけとも考えられます」
エリーは言葉を失った。イーリャがどうしてそこまで冷静に振り返られるのか、わからなかった。
「あのような例外的状況を除けば、殺し屋は正気でないにしても計画的でした。あくまで理性的な彼らが、殺人を犯す上で最大のリスクを度外視するのは、どこからどう考えても不自然です」
「だったら何なんですか、その、リスクって……?」
「吸血鬼の存在です」
話の流れを見失った。吸血鬼と何の関係があるというのか。アルフレッドと殺し屋は無関係なのだ。
話が長くなると一言断って、イーリャは居住まいを正した。
「歴史上に吸血鬼が登場してから、数多くの混乱があったと言います。しかし、彼らがもたらしたのは決して脅威だけではありませんでした。彼らの存在が殺人を犯すリスクをとんでもなく高めて、抑止力となったのです」
吸血鬼は全身が血液でできている。血液は変幻自在で、擬態には持ってこいだ。
当然、死者にだって容易く成りすますことができる。
死者は優良な擬態先だ。成り代わっても本物から文句を言われる心配がない。
ただし、死者に成り代わる上で最大の欠点――生前の人間関係は如何ともし難く、親類縁者の手で丁寧に葬られた死者は、即座に成り代わりが見破られてしまう。
その点、死因が突然死――とりわけ殺人の被害者なら、成り代わるハードルは無きに等しい。
「それなら事故死だって……」
エリーの反論をイーリャが遮った。
「確かに、吸血鬼が事故の被害者に成り代わる事例も少なくはありません。ですが、発覚が遅れた事例、そのほとんどが殺人被害者へ成り代わったものだと報告されています」
「どうして」
「殺人の場合、見せしめ目的でもない限り、犯人が犯行を隠したがるからです」
「あっ」
「吸血鬼が犯行を目撃していた場合、一例として次のようなシナリオが考えられます」
しばらく留守にしていた被害者が、ある日の夜、ふらっと帰ってくる。
より多くの人目につくよう、酒場などの盛り場に立ち寄るのが良い。
「今までどこほっつき歩いてたんだ」知人が尋ねる。
「いや、急用でちょっと遠出していたんだ」と適当に言い訳すれば、人は案外信じてしまう。
ただ一人、殺人犯だけが不審に思う。
死体の隠し場所を確認しに戻るか、生き返った被害者を調べるか、あるいは今度こそ確実に息の根を止めるか。
いずれにしても、吸血鬼視点では、食糧の側から勝手に因縁をつけてくれる構図となる。
吸血鬼は犯人を待ち伏せする。告発をちらつかせ、力に物を言わせて犯人を奴隷に仕立てるために。
結果、吸血鬼は人間社会に潜伏するための仮初の身分と、殺人犯という便利な手足兼非常食を手に入れる。
日中に活動できない弱点を殺人犯という手駒で補えば、同じ地に長く留まれる。
重圧に負けて殺人犯が逃亡しようものなら食えば良い。
運良く逃げおおせたところで、逃亡先で自らの罪を告白する者はそう多くない。
むしろ、忽然と姿を消した殺人犯という枠が空く。
吸血鬼は日中に外出できる手駒を失う代わりに、そのコミュニティ内で擬態先を使い分けられるようになる。
より多くの血を求める吸血鬼にとって、濡れ手に粟なことこの上ない。
対して人類にとっては、一人殺せば、巡り巡って己に返る呪いと化す。
そして、一人を殺めた報いは、殺人犯の血だけにとどまらず、隣家へ、その隣家へと波及する。
死者の不自然な夜歩き癖が露見するまで。
「……こうして、吸血鬼が登場してから、殺人はより明白に社会の脆弱性となりました」
「だったら」エリーは歯ぎしりした。「だったら私たちは何なんですか。それほどの危険を顧みず、秘密裏に殺されなきゃいけない理由って」
「……わかりません」
「イーリャさん!」
「座りな!」ベア院長が声を張る。「この子に訊いても仕方がないことだろう。苛つくんじゃあないよ」
怒りが沸騰するに任せて、無意識にエリーは椅子を蹴って立っていた。肩で息をしなければ怒りが抑えられない。
周りを見回せば、バーンズ夫妻は緊張の面持ちで、イーリャとベア院長はさり気なく触媒を構えている。
頭に昇った血が押し流されるのを、エリーは呼吸を整えて待ち、落ち着きを取り戻したら椅子を立て直して座った。
「すみません……」
「いえ、エリー様が一身に受けている理不尽を思えば、お怒り……いえ、困惑されるのは当然です。殺し屋は存在自体が不合理であるにもかかわらず、その行動は合理的です。まるで釣り合いがとれていないおかげで、その意図を掴みかねています」
ただし、確かなことが一つある。と、イーリャ。
「殺人のみならず、誘拐や監禁など、現代の犯罪根絶論は吸血鬼被害の予防という実利的観点を端に発しています。一人の死を隠蔽したことから、村が全滅した例もあるくらいなんですよ。私的な感情で、安易に人を殺めるなど、絶対にあってはならないことです」
「……だから、殺し屋たちは標的以外に手を出さない。可能な限り……いえ、何が何でも余計な犠牲を出す訳にはいかない、ということですか」
「殺し屋が息を潜めておるのも同じ理由じゃろうて」ベア院長が独り言つ。「殺し屋なんざ、噂が流れるだけで不安の種になる。存在が広く知られちまったら、いもしない吸血鬼に恐れをなした連中が魔女狩りを始めちまうよ」
ベア院長の総括が、今朝、ミキの言っていたことと共鳴する。
――そうだとしたら、人類社会は今頃大混乱だからさ。
「だとしたら、私たちを始末し損ねることよりも、足がつくことの方が一大事……大胆にはなれない……」
吸血鬼の成り代わりには明らかな欠点がある。
夜にしか出歩けないこと。
隣人の生活習慣が激変するため、条件が整わなければ発覚までに時間を要さない。
殺人が、その欠点を部分的に解消してしまう。
エリーに宿るアルフレッド、条件次第では太陽を克服できる吸血鬼。エリーは殺し屋に勝るとも劣らない、危険な存在と化している。
吸血鬼登場後の犯罪史。殺し屋の動向を通して、まさかエリー自身の危険性を再認識させられるなんて。
「それなら、殺し屋が極端に慎重な理由もわかります。できれば私以外を殺したくないというのも、納得はしたくないけれども理解しました。村人なら普段通り森に入れることも。でも、獣追いは空砲を撃つんですよね。不用意に殺し屋を刺激することになりませんか」
「獣追いは本物の猟師が担っておる。人のいるところにぶっ放すような素人じゃないわい。ミルズの森で一味が獣追いに鉢合わせようが、さも道に迷ったか、散歩中だったって面で挨拶するだろうさ」
浮かないエリーに、ベア院長は「手は打つがね、急ぐほどじゃない」と念を押す。




