004 絆の芽生え 4/6:カイシャクによる
二人きりで良かった。今の褒め殺しを誰かに聞かれたら、恥ずかしくて死んじゃう。
照れ顔を見られたくなくて、エリーは両手で顔を隠す。けれども、耳の赤みまでは隠せない。
一方で、ヘーゼルは言いたいだけ言ってすっきりした面持ちだ。
(何だか腹立つ)
「じゃ、おんぶしたげっから。ほれ」
エリーのむかっ腹などお構いなしに、ヘーゼルが広い背中をエリーに向けた。
(前言撤回。神様、ちょっとでも苛ついた私を許して。この人、超善い人)
優しさが孤独に染みて泣いてしまいそうだ。
けれども、ヘーゼルが向けた背中を目にすると、遠慮よりも驚きが上回ってしまった。
正面からだと正装の神官といった風体のヘーゼル。一方で背中側は、仙骨を晒すか晒さないかくらいまで大胆に露出されていた。お馴染みのトラ縞模様もしっかりとある。
見ているだけで鳥肌が立ちそうな服装だった。
「それ、寒くない? 背中」
「あーね、へっちゃら。この辺、外と比べりゃ湧き水のおかげで暖けえし。それにこの方が何かと便利だしな。あのコートだって別に自分にゃ邪魔なくらいで、遭難者に着せるつもりで温めておいただけだし。それよりほら、早く乗れよ」
「い、いいよ、悪いよ。暖かいんなら、私も歩くから……」
「つってもよお、外と比べりゃマシってだけで、寒さ冷たさは変わんねえぞ。おまけにここら一帯、どこもかしこも水浸しなんだぜ。自分みてえに鍛えてねえと結構体力持ってかれっぞ」
「いやあ、でもお」
エリーがうじうじ悩んでいると、ヘーゼルの背中がズズイと迫り、
「自分、体力にも自信あんだよね」
五つ目の好印象ポイントをエリーにアピールしてきた。
「それに結構温かいって、村のガキどもにも評判良いんだな、これが」
エリーは揺らいだ。もたもたしている間も、ヘーゼルの地肌からは薄っすらと湯気が昇っている。見るからに評判通りだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
誘惑には抗えなかった。負ぶさろうと近くに寄ると、背中の所々が赤く腫れていた。
「背中、赤くなっているけれど、どこかで打ったの?」
「んん?」
ヘーゼルに思い当たる節があった。
エリーを見つけたときのことだ。軽い崖崩れの音がした。
このままではエリーに瓦礫が直撃すると直感したヘーゼルは、気絶するエリーに覆いかぶさり、間一髪、肉の盾になった。
案の定、いくらかキツいのが落ちてきた。
だが、ヘーゼルはへっちゃらだ。瓦礫が当たった瞬間こそ唸るほど痛かったものの、所詮はどれも風化した脆い石塊にすぎない。
それに、厚手のコートが鎧となって衝撃を和らげてくれていた。
今となっては痛くも何ともないし、遭難者相手に事情を説明しても余計に心配させるだけだ。
それに説明が面倒だったのでヘーゼルはとぼけることにした。
「な、何ダロー。ワカンネー」
(嘘が下手すぎるでしょ)
けれども本人が平気そうなので、エリーは遠慮をやめてその背中に身体を預けた。
エリーはヘーゼルの首に腕を絡めて、その背中に密着する。
ほんの少し、ヘーゼルが身を硬直させた。エリーの身体の冷たさが、ヘーゼルの背中に伝わる。
ヘーゼルは「ほぅ……」と息をついた。「へへ。エリー、ひんやりして気持ちい」
エリーを背負って、ヘーゼルは軽々と立ち上がる。
エリーの思った通り、ヘーゼルの背中は極楽だった。滑らか、柔らか、さらりとした汗でしっとりと貼りつく肌の下に、逞しさも宿している。溜め息が出そうな温もり。
それに、彼女の香り。大勢のイヌと暮らしている人のようで安心する。大型犬じみているとは薄々思っていたものの、まるで大型犬そのものだった。
身を寄せ合うイヌの群の真ん中にエリーがいるイメージが、ダメ押しで温もりを加えた。
(好い匂い……)
じゅるりと涎をすすって、エリーはヘーゼルの項を舐めて甘噛みした。
「うひゃあ!?」
ヘーゼルの背筋に寒気が走る。全身総毛立つ。
「おい、いきなり何すんだよ!?」
ヘーゼルに文句を言われて目が覚めた。
あれ。私、何でこんなお行儀の悪いことを。
「うーん……【舐めた仕返し】とか?」
「何で自信ねえんだよ。エリーがやったことだろ。訊いてんのは自分――」
エリーはまた舐めて甘噛みする。
「ひゃん!?」
「今のは褒め殺してきた仕返し」
エリーはまた舐めて甘噛みする。
「あぁん……っ!? おい待て、今のは何の分だよ!? 覚えがねえんだけど!?」
「ごめん。つい、楽しくて、勢い余って……」
「こんにゃろう……もうやめろよ。落ちてずぶ濡れんなっても知らねえぞ」
素直に注意を聞き入れる。
ヘーゼルが歩き始めた。エリーとは違う他人の歩調、身体の揺らぎ、リズム。
うつらうつら、エリーの目蓋が重くなった。あくびが漏れる。
「ふぁーあ……何だか、眠たい」
「いや早えーよ。赤ちゃんかよ。寝たらガチで死ぬぞ」
「はっ」いけないいけない。
エリーは頭を振って眠気を払う。何か眠気覚ましになることを……。
(そうだ、歌っていれば頭が冴えるはず)
一度決めてしまうと、自然とメロディが口をついた。
どこで覚えたかもわからない曲。しかし、少し悲しげで、慈しみ深く、心地良い旋律で……。
呂律ほろほろ、唄がほつれていく。
「いやそれ子守唄じゃね!? やめろよ、余計眠くなっぞ!」
ヘーゼルにぴしゃりと叱られた。
「はひゃあ……らいじょぶ。起きてる……おひ、へう……すぅ……」
エリーも頑張ってはいるものの、この眠気は手強い。船まで漕ぎ始めた。
「しゃーねえなあ……。大人でもいけっかな?」
ザブザブとその場で跳ぶヘーゼル。背負い直すにしては結構跳ぶなと、エリーがうとうと思ったときだった。
「うっし。しっかり掴まってろよ」
「え」と一言さえ挟む間もなかった。
ヘーゼルが深く腰を落としたかと思うと、脚に力を溜め、思い切りジャンプした。
跳躍の余波で水柱が上がる。
エリーに悲鳴を残す暇さえ与えず、あっと言う間に二人は廃聖堂の屋根の高さを超えてしまった。
霧を切る風に、眠気など木っ端微塵になる。
「ひぎゃあああぁぁぁーっ!?」
ヘーゼルの首にしっかり腕を回さなければ振り落とされる。高い。怖い。止まって。懇願はどれも変な絶叫にしかならない。
エリーの絶叫を「ィヒャッホーゥ!」とヘーゼルの陽気な掛け声が掻き消した。
身体が、ふわ、としたのも束の間。跳躍力が減衰し、徐々に、徐々に落下に傾いていき――。
「え、え、嫌だ! 待って落ち、嫌――!」
死にもの狂いの絶叫が、今度は落ちていく。エリーは錯乱し、ヘーゼルの首を絞めるほど抱きついた。
落ちる。崖。死――。僅かに残った記憶、その大部分を占める心の傷が、容赦なく抉られた。
いきなり霧が分かれて、水面が見えたかと思った途端、墜落したかのような衝撃を伴って着地する。
着水の水柱も、廃聖堂の屋根を超えた。
エリーは叫びすぎて息を切らしていた。
水飛沫を浴びて「ひゃー、気ん持ちいー」とかバカが一人だけ満足している。
「どうよ? 目ぇ覚めたろ? へへ、余計に舐めた仕返しだ」
その両頬を、エリーが思い切り挟んで潰す。エリーはびしょ濡れで、どれが水でどれが涙かも見分けがつかなくなっていた。
「にっ、二度とっ! 二度としないで! おねおねおおお願いだからあ!」
ドッドッと心臓が苦情を訴えるように暴れている。エリーの胸を内側からドンドン叩いていた。
「ご、ごめんなさい……」
「ちゃんと言えーッ!」頬っぺたをグリグリ潰す。
「そ、そんな無茶な痛だだだだ」
潰した頬をつねると、面白いくらいに良く伸びた。何だかトラ縞模様がとても柔軟で、伸びている感触だった。
喧嘩両成敗。仲直りできて二人とも偉いということで一件落着。
目覚ましが覿面に効きすぎたので、落ち着くまで一休みすることになった。
あのジャンプ力、一体どこから出てきたのよ。
「ヘーゼルって、人間なの?」
屋根をひとっ跳びするなんて、いくらなんでもでたらめすぎる。
ヘーゼルを触ってみると、縞模様は刺青とは違うことが何となくわかった。持って生まれた模様のようで、それに引っ張ると結構伸びる。
「人間……」
ヘーゼルは少し困った表情を浮かべ、腕を組んで難しい顔をした。
「カイシャクによる」
解釈。ヘーゼルの口から出る言葉には聞こえなかった。
「若隠居が、人にはそう言っとけって」
ヘーゼルの身近に、胡散臭いことを吹きこむ悪い人がいるのはわかった。




