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【祝15000PV】無原罪御宿の吸血鬼  作者: ごっこまん
1.χαῖρε, κεχαριτωμένη

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003 禁域の目撃者たち③:交わり蕩け落つ記憶

 二人で、一つになっていく。


 いや、一方的に女が吸われているのか。


 どこまでも広がる薄暗がりの中のこと。


 抜け殻になって組み伏せられた女が、男と結ばれつつあった。


 吐息を甘くかけ合う距離。血管にじわりと、望まない多幸感が染み渡る。


 嗅がれ、舐められ、噛みつかれ、女が味わい尽くされていく。


 女の形が、尋常な人間では知り得ない深さで暴かれていく。


 本当の意味で一つになり得ないからこそ、熱烈に求める、一方的で絶望的な営み。


 だが、男の独りよがりな行為に、女自身の色香が否応なしに開いていった。


 女はそれが恥ずかしく、許し難く、怒りを募らせていく。


 なのに、逆らえない。


 逆らうのを、どこかでためらっている。


 切実さと切迫、それは男の不慣れな手管に見たのか、それとも女の本心がそう訴えているのか。


 わからない。涙を堪える女。相手は、見知らぬ男。


【覚えのある香りだ】


 愛撫の口を離し、柔肌に唾液の糸を名残らせて、その男は脈拍のように囁く。


 男は軽薄に鼻で嗤った。


【テメエの血縁を、どっかで食っちまったらしい】


 女の頸動脈を、牙が食い破る。


 叫びたいのに、声が出ない。


 恐れ、恥辱、拒絶、そして、甘美。この嗜虐を秘め事と認める自分自身が後ろめたい。


 女は口を固く結び、耐える。


 惨めだった。女の身体も、女の尊厳も、知らない内に略奪し尽くされて、痩せさらばえている。


 結んだ口さえわなないて、嬌声を聞かせてしまった。


 嬌声が男を冗長させると知っていたのに。


 だから女は、心に麻酔をかけるため、子守唄を口ずさむ。


 歌い終えたら事が済んでいますように。


 叶わない願いだとわかっていた。


 それでも、淡い期待に寄せて、引き泣いた旋律を途切れ途切れに紡いでいく。


 歌い出しから間もなくのことだった。


 ふとすると、男の責めが止んでいた。


 甘露を惜しむ血糊の糸を引いて牙が離れる。


 女を苛んだ指が、女の目尻に浮かべた涙を静かに拭い、乱れた前髪を無造作に整えた。


 思案気な男の溜め息が首筋をかすめる。


【どうして知っている?】


 解せない声色だった。


 男の赤い影が、水に垂らした血のように、薄暗がりに融けていく。


   †


「おい。……なあ。おいって、お姉さん」


 滔々(とうとう)とした眠りの底から揺り起こされた。


 目を開くと、強面(こわもて)がランプの淡い光を受けて、暗闇に浮かび上がっていた。


 卑猥な夢を見ていた。そう疑う余裕など、女にはない。


 靄が濃く降りるのがシーツの中を想起させる。


 まるで狭い空間に二人きりで密着しているようだ。


 率直に言って、夜這いに遭う寸前に目を覚ましたような。


 女は悪寒に襲われた。


「良かった、気がついたスね」


 言葉に偽りはなく、強面は安堵した面構えだった。


 強面は気だるげに片笑み、鋭い歯を覗かせる。


 けれども、その微笑一面にトラを彷彿とさせる縞模様が浮いている。


 胡乱な目つき、瞳孔は獣のようにランプの光を集めてギラついていた。


 悪寒がいや増し、女の背筋が凍った。


 誰だろう。わかるはずがない。


 寝ぼけた女の目でも、一目で初対面とわかる人相だ。


 しかも、相手は四つん這いで自分に迫って、逃げ場を塞いでいる。


 一気に目覚めた女の自己防衛本能が、けたたましく警鐘を鳴らした。恐怖で心が決壊する。


「きゃああぁー!」


 女が上げた悲鳴は、起き抜け一番の雄鶏顔負けに良く響いた。


「うおああぁー⁉」


 何故かトラ縞の強面の方もたまげて、競うように叫ぶ。


 何が何だか、女の理解が追いつかない。


 目を覚ますと突然、恐ろしい顔を拝まされた。


 その顔の主が何故か心底驚いた表情で大声を浴びせてくる。


 女にしてみれば生きた心地がしない状況だった。


 双方膠着した絶叫合戦を繰り広げてしばらく。


 どうにもこうにも転ばなくなった末、遅れてやってきた脊髄反射で女が手を出した。


 目の前の強面に一発、強烈なビンタが直撃する。雷鳴のような音が鳴る。


「ぁおぶん゛⁉」


 頬に良いのをもらった強面がよろめく。


 その隙を突いて、女で強面の身体を強引に押し退けた。


 バランスを崩した強面は、滑稽な叫びを残してピエタ像の台座から転げ落ちる。


 ジャブンと盛大な水柱を立てた。


 勢い余って、女は身体を起こしていた。


 叫びすぎて息が苦しい。空気が靄を含んでいるせいか、呼吸も重い気がする。


 混乱が怖気、冷や汗、寒気を呼ぶ。


 身震いを治めるように身を掻き抱くと、コートの袖が千切れてしまった。


 見れば頑丈そうな生地はどこもかしこもズタズタだ。


 片や半袖、片やノースリーブというただでさえ理解に苦しむ有様だ。


 その上、背中は肌着まで裂けて地肌を曝け出している。


 前衛服飾にも限度がある格好になり果てていた。


 悪寒がちっぽけに感じるほどの羞恥をぶちまけられて、女の顔が燃えるほどに赤くなる。


(こいつか!? こいつだ! こいつにされたんだ!)


 女の中で、夢での出来事が現実と地続きになった。


 キッと女は床を睨み下ろす。


 ずぶ濡れの不審者が、イヌみたいに頭を振って髪を乾かしている。


「ペッペッ……いちちち……うええ、酷え。びしょ濡れだあ。んもー、何もぶたなくたって良いじゃないッスかあ」


 強面は叱られた子どものようにブー垂れていた。


 髪まで濡れて型が崩れたせいか、強面だと思っていた顔は妙にへんにゃりしている。


 そのくせ、ランプが漏れないようにしっかりと水平を保つという、器用な倒れ方をしている。


 余裕を感じさせる仕草だ。余計に腹が立つ。


「動かないで!」


 女の声は裏返っていたが、へんにゃり強面はビクッと目をつむり、首を縮めた。


「私が良いって言うまでそこでじっとなさい、この勘違いの色狂い夜這い野郎!」


 起き抜けの渇いた喉で女は罵った。差した指が怒りに震える。


 誰が女の敵かわざわざ示してやっているというのに、へんにゃり強面は「え? え?」と忙しく辺りを見回した。


 最後に「まさか」と言いたげな顔で自分を指して「ええ……?」と首を傾げた。


 とぼけている。舐められている。


 舐め……夢に見た光景が不意によぎる。


 思い出すと恥ずかしさがぶり返した。


 頬に触れると、汗ではないぬめりが残っている。


 おぞましい。血が沸騰する。


「嗅いで舐めたわね!? この変態!」


「お、起こそうと思って……」


「本当に舐めてんじゃないわよ! ナニを起こす気だったのよ⁉ ちょっとでもそこから動いたら、さっきみたいには済まさないから、覚悟しろこの助平!」


 華奢な拳を振り上げて、女が蛇蝎を見るような眼差しを刺す。


 そうしていると、当のへんにゃり強面もたじろいだ。


「ね、姉ちゃんの言う通りだった……」


 意味のわからないことを呟かれて、余計に腹が立った。


『よそん()の人をむやみに舐めるんじゃないよ』


 とは、話に出た姉の言であるが、女はそのことを知らない。


「にしても人のこと変態だの助平だの……」


 へんにゃり強面自身の独り言から、いよいよ話の筋を理解したらしい。


 強面が見る見る赤面へと変わる。


「いやいやいや!」慌てて顔の前で手を振って「自分、女ッスから!」


「黙りなさ……へ?」


 思っていたのと違う球が返って、女は戸惑った。


 女は強面のことを今の今まで男だと思いこんでいた。


 第一に、男っぽい口調をしている。


 第二に、髪は黒、銀、白が入り混じり、ソフトなフェザーモヒカンにウルフカットを合わせた活発なスタイル。


 第三に、目つきの鋭い顔にはトラ縞模様が浮かび、耳には革のイヤーカフ。


 何より、強面の身長は男と比べてもかなり高い方だった。


 全身から粗野な印象がむんむん立ち昇っている。


 けれども確かに、言われてみれば男にしては声が高い。


 逆立てた髪も今はぐっしょりと降りていて、第一印象ほどの威勢は感じない。


 首から下をよく見ると、毛皮のコートを開いた中は、女物の祭服を着こんでいる。


 着崩してはいるものの、白地に銀の刺繍が一層と繊細さを引き立てる仕立てだ。


 けれども、パンツスタイルとはいえ、祭服の前垂れを裏返して開けっ広げていて平気なのか。


 水辺に尻もちをついてからずっと胡坐をかいているのも、減点じゃなかろうか。


 決定打がない。判断に困る。


 どこか女らしくない。口から出任せにしても、シンプルな啖呵を大真面目に切られると面食らってしまう。


 女は微妙な表情で固まった。


 固まっている内に、強面は水辺からのっそりと上がり、近くの瓦礫の山に上陸した。


「それに自分、お姉さんを助けに来たんスよ! 崖から何か落ちる音が聞こえて……見に来てみりゃ、嫌な予感が当たってんだから。恩に着せる気はないッスけど、ありがとうって言ってくれたら嬉しいなあ、なんて」


 言葉の半分も、女には届いていなかった。


「やー、でも、あんな高いとこから落ちたのに、目立った怪我がないのは奇跡ッスよ……」


「崖から……落ちた?」


 へんにゃりした強面の言うことを小さく復唱した瞬間、女は頭痛に襲われた。


 天地が繰り返し入れ替わる。目が回る。硬い岩に身体を苛め抜かれた記憶がフラッシュバックする。


 私を庇ってくれたあの人は、無事なの。


 過呼吸に呑まれる寸前に、男の身を案じるだけの良心が残って、女はどこか安心した。


 の、だが。そこから先に、心が進まなかった。


 女の追憶の先に、無窮の虚無が立ち塞がっている。


 崖から落ちた恐怖や苦痛、“あの人”を案じる心が急速に萎えていく。


 目に映り耳に聞こえ肌に感じる全てが空虚な作り物めいて、心細さに染まっていく。


 ――あの人って?

1章3話目までお読みくださり、ありがとうございます。


最悪の第一印象。ちょっとしたすれ違いとビンタから始まった、エリーとコワモテちゃんの出会い。官能的な夢の残滓と、暴力的な現実……。序盤から感情の落差の激しい展開となりましたが、お気に召していただけたでしょうか?


物語はここから、霧深い廃墟街へと足を踏み入れます。


倒すべき敵は、いまだ姿を見せません。 ですが、本当の敵というのは、倒す倒さない以前に姿を見せなかったり、あるいは形そのものが存在しなかったりするものです。 エリーが向き合うべきものは、果たして血を流す敵なのか。そんなことも考えながら読み進めていただけると、この先の物語をより深く楽しめるかもしれません。


この後も、凍えるようなシリアスと、ふっと肩の力が抜けるような笑い、その両方を詰め込んでお届けします。


物語の軸が決まるのは「018 奇跡の代償②:χαῖρε, κεχαριτωμένη」から。

お付き合いのほどよろしくお願いします。


もし「この先の展開が気になる」「描写の雰囲気が好き」と思っていただけたら、ブックマークや評価で応援していただけると、執筆の大きな励みになります!

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