015 エリーズキッチン 5/5:おちんちんなかったよ
アルデンスと、お腹の子への慰みをこめて、エリーは下腹部を見下ろした。
願望にすぎなかった父親の座は、命がけでエリーを守ってくれた人に相応しい。
「この子のパパは、やっぱり死んじゃったんですね」
何故かミキが呆気に取られる間があった。
「……ええと、それはどうかなあ」
しんみりした雰囲気とは対照で、ミキは呑気に首を捻った。
そのギャップが滑稽で、エリーは心がくすぐったくなった。きっと、ミキなりの励まし方なのだろう。
「護衛の人のことなら、おちんちんなかったよ?」
「そうですか……おちん……んが!? え!? あ! ええ!? はあ!?」
あまりに直截的すぎる。目を白黒させて、顔を赤くし青くし目まぐるしく、顎を外しそうになって、ミキを凝視する。
ミキが指を二本立てて、ちょん切る仕草をしていた。やかましい。
「そ、そんなところまで、調べたんですか? ……え、あれ?」
ものすごく働いているとは思ったけど、死体まで運んで……って。
「ひ、一晩で? 全部?」
やっと出た声に、ミキは苦労を滲ませていちいち頷いた。
アルフレッドの制圧、エリーの救助、廃聖堂の調査、死体搬送、捕虜の移送、尋問、死体検分……。
ヘーゼルと手分けしていたとしてもだ。
「いくらなんでも、一晩で働きすぎなんじゃ……」
銀の仮面に、翳りが生じた。
「良いかい、エリーさん。普段ちゃらんぽらんな人間はね、ここぞってときに決めないと、ただの穀潰しなんだよ。吐いてもまだ気持ち悪いのに『働くッスよ!』って頭から冷や水ぶっかけられるし、眠いって言っても『眠くねえスよ!』って目覚まし代わりにお尻を一蹴りされちゃうし、頭がガンガンするって嘆いても『気のせいスよ!』で特に意味もなくお尻を一蹴りされちゃうし、死にそうな思いで死体を運んで、やっと詰所に着いたかと安心したら、夜番なのにどこで油を売っていたんだって電話で延々とお説教を聞かされちゃうんだ」
昨夜の光景が、ありありと浮かぶ、同情を誘うような語り口。
「た、大変なんですね……」
エリーが労うも、しかしミキは仮面越しにもわかる浮かない顔で。
「最初の内はみんなそう言ってくれるんだ……。でもどうせ君も、アタシがポカしたらみんなみたいに尻を蹴るようになるんだ! この人でなし!」
何だこいつ!
「逆ギレですか!? ならせめて素行を改めれば良いじゃないですか! みんなが誰だか知りませけれど、そこさえ直せばきっとわかってくださいますって!」
「……それで、おちんちんの話だけれどね」
はぐらかされたし、はぐらかされた自分もどうかと思うエリーであった。
おちん……を出されたら引き下がらざるを得ないでしょ。父親の正体に関わることは気になるし。
「あれは年季の入った傷跡だったね。アタシの見立てだと、エリーさんの妊娠週数は長く見積もって十七週もいってないだろうけど、あの傷はそれより古そうだったよ」
そういう推論が大事なのはわかっている。わかっているけれど。
「そ、そんなじっくり、見たんですか」
「てへ。事故っちゃった。エリーさんの出自のヒントを探してたら、ね?」
「身ぐるみ剥がなきゃ、そうはなりませんよね」
「頑張ったって言ったでしょ。いやあ、尻穴まで調べたよね」
ちょん切る指の仕草が、穴を広げる仕草にも見えた。
もうそれ事故じゃないのよ。過失。
さすがのエリーも引いた。自称ちゃらんぽらんが真っ当な評価に思えてきた。ちゃらんぽらんを胡乱な目で見る。
「だ、だって縦割れで使った形跡が」
「やめろぉ! だって、じゃない!」
とんでもないことを口走ったわね、この人!
「はあ……ミキさん、料理中とか食事中に堂々と下ネタかますの、やめましょうよ。下品ですよ」
「キッチンにおしっこ持って来た人に言われたくないかな……」
「あんたが持って来させたんでしょうが!」
「あ、焦げてない?」
ミキが釜土を指す。玉ねぎがキツネ色よりも深い色になっていた。
エリーは慌ててフライパンを火元から離した。
玉ねぎを一旦ボウルに移し、フライパンから持ち替えて、急いで勝手口から出る。
外の冷気である程度まで玉ねぎを冷ました後、材料を混ぜ合わせた方が味がまとまる、と思う。
古教会の小庭に屈んで、積もった雪にボウルを置き、木べらで混ぜる。
玉ねぎからもうもうと湯気が広がった。
炒め玉ねぎは、あっと言う間に冷めてしまった。
(言いたいことが山ほどある。頭がどうにかなりそう)
ミキの教え方が壊滅的に下手なことも、破滅的なデリカシーのなさもそうだけれども。
(アルデンスさんが、父親じゃないって……)
だとしたら、誰がこの子の親なのだろう。
命懸けで妻子を守ろうとした勇敢な父親はエリーの夢でしかなく、湯気と共に遠く、空へ還っていった。
あの湯気も、露術があれば呼び戻せるのかしら。
エリーはぼんやりと、そんな益体もないことを考えながら、消えた湯気の形を探してみたが、すぐに止めてキッチンに戻った。
勝手口を閉じるときに、ちらりと晴天を仰ぐ。




