014 エリーズキッチン 4/5:露術の使い手
記憶喪失前のエリー。そう聞いて、思わずエリーは食卓から身を乗り出した。
「ご存知だったんですか!?」
「いやいやそんな、期待させるほどじゃないさ」ミキは手をひらひらさせて、エリーを落ち着かせる。「ぬか喜びさせてごめんよ」
「何だ……」
肩を落とすエリーを見かねて、しれっとミキはつけ足した。
「でも、アタシの情報筋は割と信頼できるんじゃないかなあ」
「そんな持って回った言い方しなくても」
「さて、あんなことがあった後だけど、料理はしてもらうよ。話はそのついでに。テキパキいこうか」
はぐらかされた。けれども、やきもきしたままではいられない。
ミキはエリーの行動から人柄を知りたがっている。エリーの自由が、ひいてはエリーの過去を知る旅がかかった料理だ。
陰鬱な気は一息に散らされた。
「とりあえず、使える食材と調理器の置場、案内してください」
ミキは快く教えてくれた。
食材と器具を並べ、ドライベリーを摘まみ食い。甘酸っぱさが口に広がると、血管がびくりと驚いたように震えた。
(アルフレッドかしら)
また一騒動あるかと身構えて、それきり何も反応しないので、肩透かしだった。
気を取り直して調理にかかる。
冷凍肉は露術で解凍すると美味しさを損ねないとはミキの談。だったらと、トナカイ肉の切り分けとミンサーがけを任せることにした。
エリーは古くなったパンをおろし金にかける。
それから、乾燥ハーブ・スパイス類を挽き、雪中貯蔵の玉ねぎを包丁で刻んでいく。
(それにしても、やたらと鼻にツンとくる玉ねぎね)
「大丈夫? 気持ち悪くなってない?」
「平気です」
「そう? なら、さっきの話の続きだけれども」
エリーは炒ったスパイス・ハーブ類をボウルで休ませるところだった。
ミキに空にしたフライパンを差し出し、脂身を入れてもらって、先を促した。
「実は君を狙ってた殺し屋、一人だけ捕まえてさ」
火にかけた脂身が弾けた。エリーは肩を弾ませて驚いた。
「ま、まさか、ここにいませんよね!?」
「火、気をつけてね」
ミキに窘められて、慌てて平常心を取り戻す。
「色々試してね」
色々とは――水責めしたり、仲間の死体を見せてミキが始末した風に騙ったり。見張りが持っていた手紙の内容から揺さぶりをかけたり。手紙の内容に絡めて、エリーが妊婦だと告げたりなんかして。
というのは内緒だけれども、最後のが特に効いたようで。
「そいつから、聞き出せるだけ聞き出してみたんだけれど……」
†
まさか、妊婦だったとは……何てこった……。それならそうと……。
はあ、俺って本当に、何て間が悪い……。
手紙を返してくれ……話せることは、多くないが。
ああ、ありがとう。
標的の進路は、事前に通達されていた。
だ、誰からとかは、勘弁してくれ。
無理だ言えない! そもそも知らされていないんだ!
わかった、せめて他のことから話させてくれ!
……とにかく俺たちは、ムーングロウ――ああクソッ、口が滑った!
聞かなかったことに……できないよなあ、そうだよなあ。本当に俺って間が悪い。
ああ、今のは仲間の鳥人の名前だ。……いや、本名かどうかは重要じゃない。俺の名前は話の流れと無関係だろ!
とにかく! 鳥人に運ばれて、崖で待ち伏せすることになったんだ。
計画はこうだった。
三人で護衛の男を引きつけている間に、鳥人が標的をさらう。
現場が護律協会の禁域なのは承知の上だ。だから、場所を移して始末するつもりだった。
だが、まさか、標的が露術の使い手だったとは、聞いていない。
標的を鷲掴みにして、鳥人が離脱するのはこの目で見た。
だが、鳥人の羽に、急に霜が降りて真っ白になったんだ。
本当だ嘘じゃない。
羽が凍ったせいか、鳥人は気流を掴み損ねていたようだった。羽ばたきも上手くいかない。このままじゃ標的諸共墜落すると直感したらしい。
だから、咄嗟に標的を放してしまった。
後は、護衛が後を追って崖から飛び降りて、器用に標的を受け止めた。
そのまま二人とも奈落の底に真っ逆さまさ。
……だ、だから、首謀者とかを聞かれても答えられないんだよ! 言ったろう!
……ったく、わからない人だなあ。
ひい! ごめんなさい!
†
「……ヘーゼルから聞いた話と総合すると、エリーさん……エレクトラさんと呼ぶべきかな。ま、慣れてる方で。エリーさんはアルデンスさんと一緒に谷底へ落ちた。悲運にもアルデンスさんは力尽き、エリーさんは命を落としかけた。けれども偶然、廃聖堂で眠っていたアルフレッドを目覚めさせて、今の状態になった。という具合かな」
廃聖堂の検証も、軽く昨晩中に済ませたというミキ。
聖母像にガラスのカプセルが埋めこまれているのを発見し、アルフレッドと接触した経緯を推測したそうだ。
(一晩の間にどれだけ働いたのよ、この人)
「……何か、思い出せたことはあるかい?」
弱火で炒める刻み玉ねぎに目を落とす。エリーの胸がむかついた。
心当たりがない訳ではない。
谷底に落ちる瞬間をエリーは覚えている。数少ない記憶の一部だ。
しかし、崖から落ちたというには違和感もあった。明らかにもっと高い場所から落ちた気がしていたのだ。
(今の説明で納得したわ)
けれども、ミキの話から新しい謎が浮上した。
(私が露術を使った?)
水を操ることだけでも想像を絶するのに、鳥人の羽を凍らせただなんて。
信じられないけれども、ずっと知りたかった露術の話題だ。この機会に聞けるだけ聞いてしまおう。
「私じゃなくて、アルデンスさんが露術を使ったんじゃないですか?」
身を挺してエリーを守ってくれた人にこそ、その力は相応しい。そう考えた方が納得できる。
ミンサーに骨の欠片が噛んだのか、ミキが力みつつ、返事を挟む。
「可能性はすごく薄いね。露術は純人間の女性にしか、まず使えないよ。例外は露術の創始者、聖マトゥリの子孫くらいかな」
ミンサ―が骨を砕き、滑らかに肉を挽いていく。
「アルデンスさんが例外の方なら、それこそ一大事だよ。護律協会の威信が失墜しちゃう」
「じゃあ、本当に私が……?」
ミンサーの詰まりが取れたので息を整えつつ、ミキが頷く。
「一番濃厚な線だね」
エリーはじっと、自身の手を見つめた。
露術。ミキが操る水は、あたかも意思を持つかのようで、大蛇のようにもヘビの群のようにも振る舞っていた。
それを、エリーが使っていたかもしれない。
ということはつまり、今のエリーにも使えるかもしれない。
「エリーさんが強いかもしれない、って言った意味がわかったろう?」
多分、ミキは仮面の下で片目をつむった。エリーはつい、意味もなくフライパンを煽って刻み玉ねぎを躍らせた。
「私、露術を使ってみたいです! どうすればできますか? そもそもどんなことができるんですか?」
「お、良い目だね。良いでしょう。アタシこれでも教官だし。久々に教鞭を振るうとしますか、ね」
前のめりで質問するエリーに、ミキはコキコキと首や肩を鳴らして、得意げに胸を張る。
「まず道具がなきゃ始まらない。護律協会が保管、管理している触媒ってものがあって、大体は銀製。聖遺物って呼んでるやつと、それとレアなやつだと聖マトゥリの聖骸を使うこともあるね」
「聖骸……その、ご遺体を?」
思ってたのと違う。こう、神聖で清らかなものを想像していた。遺体を使うのは悪い魔法使いっぽい。
「露術は聖マトゥリが、自分だけのために編み出した術なんだよ。だから他人が扱うには、聖マトゥリに縁のあるものを用いないといけない」
だから使用許可証である触媒か聖遺物、あるいは聖マトゥリ本人の一部である聖骸が必要になる。
「もっとも、聖骸とされるものを全部合わせたら、聖マトゥリは八面六臂どころじゃ済まない体型になっちゃうんだけれども。この辺の細かい伝承って途絶しがちでさ、使えそうな逸話なら何でもかんでもマトゥリ様の権威を高めるためにぶちこまれてるんだよね」
本当かどうかもわからない与太話を、ミキは楽し気に語る。
「そ、それより、露術はどう使うんですか?」
「触媒を身に着けて……アタシの場合、この仮面だね。あとは……」
「あとは?」
「基本はビュンと伸ばしてシャッとすくってザパーッ、だよ」
「……へえー」
「……」
……え、あれ? 終わり? 嘘でしょ。
「何の、冗談ですか?」
あれ? 伝わらなかった? とでも言いたげに首を傾げるミキ。
「うーんと……こう、手のおばけを伸ばすんだよ。ビュン! ってすると、水に混ざった小さな小さな生き物たちと自分が繋がるんだ」
「生き、物……?」
エリーはさっぱり理解できないのに、ミキは一人だけ満足そうにしている。
ダメだ。この人、教えるのが壊滅的に下手だ。本当に教官なのか。
「……あ、はい。なるほどお、ふーん……」
エリーはげんなりして、さっさと話を切り上げた。
この人、感覚だけであの離れ業をやってる。ちっとも参考にならない。
「やってみる? 露術」
「……料理に集中したいので」今の説明だけで実践したら事故るわ。
「そう言わずに」
「玉ねぎ焦げちゃうんで!」
きつめに言うと、露骨にミキが視線を逸らした。恐らく、これまでの訓練生からもエリーと同じ反応をされてきたのだろう。
「……それはそうとして、もしエリーさんが本当に露術の使い手だったとしたら、案外簡単に君の身元がわかるかもしれないよ。露術って、護律協会の専売特許だし」
「私が護律官だった、ってことですか?」
「護律官に限らず、協会関係者か、はたまた協会から触媒をくすねたか……」
最後の方は疑り半分な言い方で、エリーは身の毛のよだつ視線を感じた。
「私が、追われてたのって……」
窃盗の罪、にしては受けた仕打ちが苛烈だ。それだけ露術とは強力で、触媒を盗むことは重罪であることは想像がつく。
ミキの隙を突いて短剣を奪おうとした前科のせいで、笑えない。
「ま、どうなんだかね。裸にひん剥いてヘーゼルに添い寝させたときには、触媒らしい物なんて見当たらなかったし、多分君が谷底に落ちる途中で落としたとか……」
待って今聞き捨てならないこと言わなかった?
「ち、ちょっとちょっと、待って、え? ミキさんが脱がせたんですか? アルフレッドじゃなくて?」
「あ、やべ。まーた骨が詰まって……」
「説明、してくれますよね?」
エリーが笑顔で至極丁寧に尋ねると、観念してミキが白状した。
エリーとヘーゼルは長時間禁域の湧き水に浸かっていたせいで低体温症になりかけていたらしい。
暖炉などで急いで温めてしまいたくなるところだが、それでは手足で冷えた血液が一気に内臓へ送られ、ショック症状を起こす可能性があった。
同じ理由で酒を飲ませるのも良くない。
最良の対処法は、急激な加熱に頼らず、徐々に体温を回復させること。
そのために、二人で体温を交換し合う――つまり、ベッドの中で裸になって抱き合うことが最も理に適った方法だった。
「説明が遅くなったことは謝るよ。けれども、アタシもああした事態までは想定できなかったというか……」
「……わかっています。悪いのはアルフレッドだってことも、ミキさんが最善を尽くしてくださったことも。正直にお話しくださって、ありがとうございます」
エリーは頭を下げた。
今朝の今朝まで、ミキはアルフレッドを警戒しつつ、同時に様々な調査を進めてきたのだ。
忙しすぎたせいなだけ。わざと隠した訳ではない。
助けてもらっておきながら、これくらいの失敗でいちいち目くじらを立てるのは筋違いだ。
「むしろ、ミキさんが完璧じゃないってわかって、親近感が湧きました」
悪戯っぽく笑うエリーに「そう思ってもらえると助かるよ」とミキも緊張を解く。
ふざけ半分に、露術の使い手疑惑の話は切り上げられた。
確証がないことを考えあぐねても仕方がない。
第一、他にも気掛かりなこともあるのだから。
アルデンスのことだ。




