016 初めから軽蔑していた
【食い終わったか】
声を揃えてご馳走様を唱えたとき、アルフレッドの声がした。エリー以外は呑気に料理の話をしているので、頭に直接語りかけているらしい。
「何よ、アルフレッド」二人に注意を促すつもりで、声にした。
【人狼の小娘に用があるだろが。約束だしな。とっとと代われや】
ヘーゼルに謝ること。ミキが追加した延命条件だ。人に頭を下げるなんて屈辱に違いないのに。
「良い心がけだけれど、どういう風の吹き回し?」
沈黙。少し、嫌な予感がしたが、単にミキに逆らえないだけだと気づいた。
「ヘーゼルに話があるって」
ヘーゼルが肯って、エリーは目を閉じた。そう言えば、代わるったってどうやりゃ良いのよ。そう考えている内に、意識が微かに沈む感覚に襲われた。
結局、偶然の助けがない限り、アルフレッド次第なんじゃないの。
【
目を開くと、白目が血に染まっていた。
アルフレッドは腕を組んでふんぞり返り、ヘーゼルを見下しながら、前髪に息を吹いた。口を“へ”の字に結び、しばらく黙っている内に、視線だけ背けた。
】ほら、代わってやったんだから、さっさと謝りなさいよ【
じれったくエリーが野次っても、聞き流す。
「おい」口火を切ったのは、アルフレッドに突きつけられた、ヘーゼルの人差し指だ。
「てめえのやり口は良ぉくわかった。次はこうはいかねえからな。今日自分を仕留め損ねたことを、いつか絶対後悔させてやる」
ヘーゼル独り、勝気に啖呵を切る。不敵に笑み、アルフレッドと瓜二つに腕を組んでふんぞり返り、前髪に息を吹いた。ただし、口元は演奏記号のスラー風に、言ってやった満足感が表れていた。
負け試合の後に、勝者の健闘を称えて握手を求めるかの如く爽やかで。
行為後の気まずさが、微塵もない。
意識の奥に下がったエリーはもとより、ミキも、アルフレッドでさえ、呆気にとられた。困惑に半口を開いて、アルフレッドはミキを正視し「こいつ何をほざいてんだ?」とでも言いたげに、ヘーゼルに指を差した。
ミキはお手上げのポーズもそこそこに、ヘーゼルの肩を指で突いた。
「アルフレッドに謝らせる、って話だったんだけれども」
「謝らせる? どうしてスか?」
増々、困惑が広がった。
「いや、だって言っていたよね。吸血鬼に流されてたまるか、とか何とか。こいつに手を出された訳だよね。アタシたちで、そのことを謝らせるように取りつけたんだけれども」
突拍子もないことを聞いたかのように、ヘーゼルは周り以上に困惑を示した。周囲の顔色から自分がずれていると気づくと、ヘーゼルは「えーと……」と腕を組んだまま身をよじって、訥々と言葉を捻り出した。
「……たとえばスけど、狩人から逃げ切った獲物は、別に狩人に謝って欲しいとか思わねえスよね? 逆に獲物に噛まれた狩人も謝って欲しいって思わねえスよね? 狩りが終わって思うのって、アレが前兆だったとか、コレが勝負を分けたとか、経験を次に活かすことばっかで、そういうケジメとか建前とか、どうでも良いっつーか、考える余裕がないっつーか……ていうか、こいつに謝られても損した気分になるんスけど……」
意識の手前で聞いていたエリーには、ピンと来ない話だった。
しかし、じっと耳を傾けていたミキが、肩を震わせて、次第に声を大にし、天井を仰ぎ、腹を抱えて笑い返った。
「聞いたかい、アルフレッド。今の。中々どうして、この子はいちいち核心を突いてくれるよね」
】どういうことですか【
エリーの聞こえざる問いに、ミキは答えず、腹を抱えながら説く。
「ヘーゼルは君の傍若無人ぶりを目の当たりにして、端から人間扱いを諦めてしまったようだよ」
考えてもみなよ。人を襲う。話は通じる。だから、人の世の理を説くことはできる。けれども、聞き入れない。そんな野生的な態度を取られちゃ、人語に似た声で鳴く獣と見なすしかないじゃないか。
野生の獣が相手なら、弱肉強食のルールで対処するしかないよね。
人間だと思えば腹立たしい振る舞いも、道理を解さない野獣と思ってしまえば、ただの習性さ。
アルフレッドの扱いは、命のやり取りの文脈で充分だと、無意識にヘーゼルは思っていたんだろうね。
でなければ、今の回答は出ない。と推測を語るミキ。「ね、ヘーゼル?」
「む、難しいッス。もっと簡単に……」
「ええ? 仕方ないなあ。良い見世物だったし、サービスしてあげよう」
知性が噛み合わない師弟の問答の裏、意識の手前でエリーは愕然としていた。
】要するに、初めから軽蔑していたから、何をされようが不運で割り切る心構えでいたってこと……?【
それも、自然体で実践しているのだ。
ヘーゼルにとっては最初から、身体の昂ぶりに抗う方法が重要であって、アルフレッドに与えられた屈辱など単なる災害や獣害でしかなかった。
抵抗もする。恨みもする。逆襲も考える。
だが、謝罪や賠償を求めるのは話が違ってくる。礼儀作法は対等な関係でのみ成立する、理知的な営みだ。ヘーゼルは最初から、災害や獣害にすぎないアルフレッドには、全くそれらを期待していなかったのだ。
】ちょっと待って【
理解こそすれ、エリーの情緒が追いつかなかった。
だって、ヘーゼルったら、あんなにわんわん泣いていたのに……女心が傷ついたとしか……いや、待てよ。そう言えばその直前、勝つとか負けるとか叫んでいなかったかしら……。
え、じゃあ、あれって、純粋に負けて悔しかったから泣いていたの? 男泣きとかに近いやつだった、ってこと? もてあそばれて流した涙は、なかったの? 一滴も?
どうなの?
ミキが苦しいほどの笑いを堪えつつ噛み砕いて説明した甲斐あって、それでもヘーゼルはきょとんと困惑し「待って、こんがらがってきちゃったッス」と目をぱちくりさせるばかりだった。
ああ、これは。エリーは絶句した。私の想像していた涙と違ってたわ。
「大物だよ、君は。いやあ、敵わないや」
ミキは大物の弟子の肩を、煙たがられるくらい叩き、引き笑った。
「良かったね、アルフレッド。謝罪はもう良いよ。当事者が何も感じてないんじゃ、意味がないもんね。……もっとも、こんな仕打ちを受けた日には、アタシなら立ち直れないけれどもね」
ミキは半笑いで早口にそう言って、言い切れずに爆笑してしまった。
さすがのエリーでも、あのアルフレッドに同情してしまいそうだった。今披露したヘーゼルの天然ぶりは、エリーから見ても頭一つ抜けている。真剣に陥れようとしたアルフレッドにとっては、たまったものではないだろう。
何なら、日常でこのヘーゼル節を発揮されても困ると、エリーは一抹の寒気さえ覚えるほどだった。
恐るべき理性と本能の混合。
「……けんな」
「ん? 何? 今のは何て動物の鳴き真似だい?」
笑いに喘ぐ合間合間に、ミキがわざとらしくアルフレッドへ耳を寄せる。
「ふ! ざ! け! ん! な!」
やけくそな大音声が、ミキの鼓膜を貫き、二日酔いの脳が「ほげえ!」と悲鳴を上げた。
「オレを虚仮にしやがって! もう寝る!」
不貞腐れたアルフレッドに締め出されるように、エリーは意識の手前から追い出された。
】
居ても立ってもいられず、エリーは席を立つ。大声を浴びて痛む頭を抱えてうずくまるミキを飛ばして、目まぐるしく変わった状況に目を回すヘーゼルを優しく抱き締めた。
「すごい! すごいわヘーゼル!」
ムキになって大声を出されたせいで、声が枯れている。けれども、構うもんか。エリーはヘーゼルへの賛辞を惜しまなかった。
「あのアルフレッドに一泡噴かせてやったなんて!」
「そ、そうだったか?」
「そうよ! 偉い偉い!」
無自覚なところがまた偉い。勢い余ってエリーはヘーゼルを猫可愛がって撫でまくった。一連の成り行きに今一つ手応えを感じていないヘーゼルも、撫でられる内に機嫌良くへんにゃりし、でれでれと舌を垂らしてご満悦になっていった。
舌に痛々しい牙の噛み痕が、今や勲章にさえ見える。
息に熱っぽいものが含まれ始める。
慌ててエリーはヘーゼルから離れた。
「ご、ごめん。わざとじゃなくて」
ふう、ふう、と艶めく吐息のヘーゼルの肩へ、恐る恐る手を伸ばす。
「冗談だって。引っ掛かってやんの」
ふざけた顔で振り返るヘーゼルに、エリーは膨れ面で拳骨を振り上げるだけ振り上げたが、二人とも耐えられなくなって噴き笑った。
振りかざした拳骨を開くと「ハイタッチ」になると気づいたエリーは、気を取り直してヘーゼルにせがむ。今の気分には、こっちの方が絶対に相応しい。
手が痺れるほどの一発をもらった。ヘーゼルらしくてスカッとする。
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