015 食べられる物、食べた者勝ち
「ねー、何作ってんの」
と、ダイニングに戻ったヘーゼルは、開口一番うっとりと目を細めた。ひとっ走りしたかのようにさっぱりした表情がへんにゃりと弛緩して、だらんと長い舌を垂らしている。
ミキと一緒にカトラリーをてきぱきと並べながら、エリーが顔を上げて迎えた。
「お帰り、ヘーゼル。もう良いの?」
「おう。元通り」
両腕に力こぶを誇示する。少し頼りないのは、疲れからか。それでもエリーを心配させまいと陽気に振舞うヘーゼルの気遣いが嬉しい。
早速、アルフレッドを呼ぶか、添い寝の礼を言うのが先かで構えでいると。
「ひゃー、豪勢スね!」
供された一皿に、ヘーゼルは垂涎を吞まんばかりに目を輝かせる。目聡いヘーゼルがどこか可笑しく、この喜びように水を差すのも気が引けて、ミキの見えない顔色を窺うと、彼女も肩をすくめた。
アルフレッドのことは後回しでも良いかと考え直す。
今はエリーがもてなす時間だ。
「一品だけ作ってみたの。お口に合えば良いんだけれど」
「こ、これ、エリーが?」
ベリーソースの香味に胃袋を掴まれた顔をしていた。オオカミの尻尾までまろび出て、ぶんぶん振っている。
「添い寝してくれたお礼と……お詫びになるのかな。結果的に」
短時間で火を通すため、やむなく薄焼きにしたトナカイの肉団子。肉を少々残した脂にハーブの香りを移し、ドライベリーを馴染ませ、更にソバの実の粥の上澄みで乳化を促したソースで仕立てた一品である。添え物は在り物でザワークラウトを山ほど。
温め直したお粥には、辛みのあるダイコンとショウガを追加し、アクセントに。
「肉っ気をリクエストされて……スープを作る時間がなかったから、焼いたんだけれど。朝から重いかもしれないし……」
ヘーゼルなら平気で平らげるというミキのお墨付きで、迷わず作ることにした。
「もう食べて良い!?」
待ちきれないとばかりに身を乗り出した拍子に、ヘーゼルが手を衝いて食卓を傾けかけたのを、ミキとエリーが咄嗟に押さえて事なきを得た。生きた心地のしなかったエリーに代わって、ミキが音頭を取った。
「仕方のない子だよ全く。良いから、ちゃんと座ってからね」
ちゃんと座ったので、お祈りを飛ばしてヘーゼルはがっついた。あっと言う間に肉が消え、ザワークラウトを残して「おかわりある?」なんて尋ねるヘーゼルは、ソースだらけの口の周りを舐めていた。
作った本人として無上の賛辞だった。エリーに自然と笑みがほころぶ。
「全部食べてからね」
「やったね。大成功」
ミキが手の平を頭上に挙げる。何か待っている気配がする。
「ハイタッチ。エリーさんも同じようにして、パァンて叩くんだよ」
言われるがままハイタッチをする。何だか浮かれた気分になって、こんなにふわふわしていて良いのだろうかと不安になるくらい、エリーは高揚した。
なし崩しで、少し遅れた朝食が始まる。
「エリーさん、酷い。これは酷いよ」
ぎくり、とミキに向く。味見は小まめにしていたはずだが「ご、ごめんなさい。何か失敗して……?」
「アタシが禁酒を始めたと知ってて、こんなお酒が欲しくなる味付けにするなんて酷いよ。生殺しだよ。万が一に備えて血のコンディションを整えようってアタシにこんな仕打ち……」
禁酒など初耳だった。聞くに値しない意見だ。エリーがミキを蹴飛ばす日も、そう遠くないのかもしれない。
抗議が馬耳東風と見るや、ミキは真面目腐って咳払いする。
「良いかい、エリーさん。節制の神髄は我慢にはないんだ。人間、固い意志には裏切られるのが常さ。だからそもそも断ちたい物を手近に置かない、あっても気にしない状況作りこそ肝要なんだよ。それなのに、何だいこの料理。お酒をお呼びだよ」
「そんなに断ちたいなら、捨てれば良いじゃないですか、お酒……」
「そんなご無体な! ああ、どうしよう。本当に我慢できなくなってきた。何か、何か代わりになる飲み物が欲しい……」
ミキは酒代わりになるとでも思ったのか、ザワークラウトの漬け汁を水で割って、あおる。「これじゃない!」違ったらしい。
やっぱり今から蹴飛ばそうかしら。全く、おちおち食べていられない。
とはいえ、匙が進まないのは、食卓の賑やかさだけが原因ではない。
ドライベリーを口にしたときもそうだったし、調理中、度々味を見てもそうだった。食材や料理を舌に載せるたび、エリーは血管が痺れるような感覚と、胃が縮む悪寒を味わっていた。
味見の量を加減していたおかげで、何とかなる程度の違和感だったけれど、アルフレッドの反応なのは明らかだ。
アルフレッドは人間らしい食事を容認したようだった。しかし、生理的に受け付けられないのかもしれない。そうなると、許可不許可の話では済まなくなってくる。
賑やかし二人を尻目に、肉団子の一口がためらわれる。
食事の度に、あんな騒動を繰り返してしまうのは、二人の迷惑だ。
「どしたの」
異変に気づいたミキに、正直に告白すると「悪阻かな?」とあっさり言われた。
「アルフレッドの影響が心配なのは……ううん、そっか、そりゃ不安だよね。エリーさんにしかわからない感覚なんだしね」
ま、何かあったら無限に相手するよ、こっちも。やはりミキは軽く言ってのけた。
「アタシ、子守りは頼まれないけれど、これでも妊婦さんのお世話は引く手数多なんだよね」
「こればかりはマジだぜ、エリー」と口いっぱいにモゴモゴとヘーゼルが援護する。「呑みこんでから言いなよ」と師匠にやんわり叱られ、言う通りにした。
「という訳で、ヘーゼルのお墨付きを得たようにね。エリーさんのサポート体制は万全なのさ。とりあえず、君の口に合う物を探してみようじゃないか。確か、ドライベリー単体はいけたよね」
「そうですけど……偏ってもあまり良くないんじゃ」
「悪阻の間は偏食上等。食べられる物、食べた者勝ちさ」
その楽天家ぶりが心強く、背中を押される思いでエリーは肉にナイフを入れ、フォークに刺して、口へ運んだ。
胃が喉まで裏返りそうだ。
ゆっくりカトラリーを下ろし、口を押さえ、皿をヘーゼルに押しつけて、勝手口の向こうに消える。
「肉はダメみたいです……」
少しやつれて戻ったエリーは、水で口をゆすいで、お粥に挑戦する。
お粥を温めているとき、湯気がどうしても受けつけなかった。ミキによれば穀類を煮炊きする香りもダメになる人が多いらしい。温かいお粥はミキやヘーゼルに、エリーのお粥は湯気が立たないぬるさにしてあった。
押しつけられた肉団子を平らげたヘーゼルが、エリー当人よりもはらはらとして、見守っている。
お粥をエリーは咀嚼し、とろりと嚥下する。
「ミキさんのお粥、美味しい」
朗らかな感想に「アレンジしておいてよく言うね」とミキが苦笑する。釣られて含んだ一口に「うん、さすがアタシ」なのが可笑しくて、エリーが笑い、ミキも笑い、ヘーゼルも何となく混ざって笑い合った。
ミキの好きなところを、エリーは心に書き留めた。ミキさんは、長所があっても短所で帳消しにしちゃう変な人だけれど、それでも掛け値なしに強くて、人を良く見ていて、おとぼけ屋なんだ。
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