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無原罪御宿の吸血鬼 ヴァンパイア・イン・イマキュレート・コンセプション 悪女と呼ばれた記憶喪失の女は、凶悪吸血鬼の血を宿して新生する  作者: ごっこまん
2.最初の朝餐

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012 身体が春になっていく

 床に深く突き刺さる切っ先は、乾いていた。


 紙一重で、刃は手を逸れていた。


「偉そうに説教垂れた手前、吐いた唾は呑めないからね。短剣(こっち)は待ってあげよう。()()()ね」


 刺される覚悟でいたエリーが、それを聞いて恥じ入った。自分が傷ついたら、それ以上に悲しむのはヘーゼルだって、反省したばかりじゃないの。体面を整えてくれたミキに、内心で感謝する。


 刃を貫く代わりに、更に重く、手首に体重がかかった。この痛みを戒めと思って、エリーは耐える。


 だが、アルフレッドにとっては苦痛でしかない。焼ける肌から煙が上がる。アルフレッドは呻き、口に泡して吠えた。


「テメッ、ふっざけ……! その汚ねえ足をどけやがれクソアマ! ぶっ殺してやる!」


「何度も言わせないでくれるかな。アタシは君に指一本触れさせないまま、返り討ちにできるんだ」


 キッチン中の水が鎌首をもたげて、食卓の下、踏みにじられた吸血鬼を向く。


「アタシが、君らの命を握る側だって、もう二度と忘れるんじゃないよ」


】私も、黙ってばかりだと思わないで! 人を犠牲にする上、深く傷つけるくらいなら、死んだ方がマシよ!【


 歯が割れんばかりに、アルフレッドは屈辱を食い縛った。肉体の内外からの戒めは、さしもの怪物も手を焼くと見えて、怨恨の炎を宿す瞳で、仇敵を睨み上げる。


 ミキにとっては、どこ吹く風だ。


「忘れているといけないからね、改めて君が救われる道を示してあげよう。人間と同じ食事を受け入れること。そして、ヘーゼルに償うこと。それから、向こう一ヶ月は暴力的な言動を慎むこと。アタシが追加した条件には従うこと。これを聞いてなおアタシに従わないのなら……」


 床を深くえぐった短剣を、ミキが抜く。


「……精々猜疑と反意にまみれて、何も選べず勝ち取れず、遠くに拝む救いを羨み、惨めな孤独の内に息絶えるが善いさ」


 短剣の切っ先に、冷たい光が集まっていた。アルフレッドの腹底に、ぐうの音が満ち、膨れていくかの如く唸る。


 我慢の限界が、訪れる。


「わーったよ! 茶を飲みゃ良いんだろ、飲みゃ!」


「謝罪と、謹慎と、従属は」


「良い! 良いから、さっさと手をどけろ、薄鈍(うすのろ)!」


 仕方がないとばかりにミキが足を上げた途端、アルフレッドは椅子をなぎ倒し、食卓の下から這い出る。


「ただし、オレはオレでコイツのためを思って忠告してやってんだ! 茶をしばいてコイツが死んだときにゃ、テメエが殺したも同然だからな! それを忘れんな!」


「だ~か~ら、それで結構って言ったじゃないか」


 短剣を納める。水は低きに流れ、治まり、キッチンは朝の静かを湛える。】ありがとう、ミキさん【精神の奥からでは聞こえずとも、エリーは言わずにはいられなかった。


「さ、掛けたまえよ」


 ミキは倒れた椅子を立て直し、背もたれを持ってアルフレッドに着席を促した。ドッカと座り、片足で胡坐をかき、アルフレッドがふんぞり返る。聞えよがしの鼻息を飛ばし、そっぽを向く。


 新しく注がれた茶が、アルフレッドの前に供された。


 アルフレッドは眉間にしわを寄せて、茶器の液面を睨んでいる。貧乏ゆすり。手は固く組んだまま。


「冷めない内にどうぞ」ミキが茶器を更に寄せる。


「ん、んん……」


】何をぐずぐずしてるのよ、薄鈍【


 煮え切らない態度、そっけない返事、冷静ぶった姿勢だが、意識の中にいるエリーには、心臓の早鐘が胸を焦がすように感じた。


】……まさか、怖がっているの?【


 アルフレッドが眉をひくつかせる。図星を突いた手応えだった。


】ぷっ、ふふふ! ああ、そう! 悪党気取りのあんたにも、怖いものがあったのね! でも、ふふっ、それがまさか! ただお茶を飲むだけのことなんて! あはは! 可愛いでちゅね~。エリー姉たんがふーふーしたげましょうかあ? レッドたん【


 本当なら、エリーはフレッドと呼ぶつもりだった。ここぞとばかりに息巻いてしまったせいで、舌足らずにレッドなどと呼んでしまったが、完全に無意識だった。


「言ったな食用種!」とでも口走って、後先考えず怒るのだろうと、エリーは踏んでいた。


 しかし、ふと胸に切なさが流離(さすら)って、思わず語気が萎んでしまう。


 アルフレッドは、急に冷めたようだった。しかめ面をむっつり解き、ほとんど無表情にお茶を見つめている。やはり心臓は早鐘を打っているが、それでも、彼の中で何かが変わったことは、エリーにも伝わった。


 黙って茶器を持つのを見て、ミキでさえ「ほう」と息を漏らした。アルフレッドは口をつける寸前に目を閉じ、鼻を摘まんで、グイッと一口、お茶を含んだ。


 ラズベリーリーフの香りと、ハチミツの甘みが滞留する。


 心臓の鼓動は、緊張を保ちつつも次第に穏やかになり、アルフレッドはお茶を喉に通した。


 しばらく、息に乗る茶香を鼻腔に通してさえいた。アルフレッドが少し、目を見開いて、少なくなった茶器の中身を見つめる。


「……変な味だ」


「お粗末様で」ミキが茶化す。「どうかな? 花か虫になりそうかい?」


「見りゃわかんだろ」


「わからないよ。でも、そうだね、当ててみるよ……」沈思黙考、名句を思いついたように「あ、これはどうかな? 身体が春になっていく」


 何だそりゃ。アルフレッドは鼻で失笑し、ミキから顔を逸らした。


「これで満足か。オレはもう寝る」


 人狼の小娘が来たら起こせ。不貞腐れてエリーにだけわかる声で言い残し、アルフレッドはさっさと意識の底に引っこんで、エリーに代わった。


 アルフレッドの様子は明らかにおかしかったが、憎い相手を思っても仕方がないので「もう、何だったのよ」の一言で片づけて、エリーはお茶の残りを引き受けた。


   】

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