012 エリーズキッチン 2/5:味変ついで
植物エキスと昆虫由来の酵素入り糖蜜の混合液を霧にして噴き出す。
アルフレッドは舌を爪で掻き、後味まで念入りに拭った。
「おえっ! ぺっぺっ! 畜生が、オレが寝てる間に何飲んでんだ!」
白目を血に染めて、アルフレッドが騒いだ。
ミキは気安く手を振る。
「や、おはようアルフレッド」
「お休み中だコラ! 取りこみ中に首突っこむんじゃねえよ! おいバカ女!」
アルフレッドが自分の、つまりエリーの頭を殴る。
】いきなり出てきてバカとは何よ! 私が呼んでも出てこないくせに! バカはあんたでしょ! ヘーゼルに変なことして! 死ね、女の敵!【
「うるせえ知るか! オレの言うこと聞かねえ奴はバカで充分だ! 食い物には気を遣えっつったろうが!」
】知らないわよ、そんな話!【
「胤族は食った血の影響受ける、っつったろうが! 鳥頭が! 今のは……おいおいおいよりにもよって植物と昆虫か!? テメエ、身体ん中でオレが花か虫になっても良いってのか!」
】なってしまいなさいよ、あんたなんか! 今よりよっぽど可愛げがあるわ!【
「言わせておけば食用種風情が……!」
傍から見れば頭のおかしい独り言。エリーの声はアルフレッドにしか聞こえていない。ミキがドン引いて距離を置き、窓辺に寄る。
銀仮面の角度を合わせて。
「銀仮面フラッシュ!」
朝日が反射し、アルフレッドに直撃した部分が瞬時に焦げる。
「あっづ!」
】熱っ!【
不意打ちをまともに食らったアルフレッドが、床を転げて虫のように這い、食卓の下に隠れる。
顔面火傷を押さえてうずくまるアルフレッドの目の前に、ガンとブーツが踏まれた。
「興味深いね。アルフレッドが表に出ている間なら、日差しも有効と」
ミキが窓の光を背負い、観察者の目で見下した。その目がアルフレッドの精神を逆撫でる。
「こんの腐れ拝露教徒……」
跳ねっ返り吸血鬼の鼻先に、ピッと指が差される。
「君の執行猶予の話が途中だったね。胎児の無事が絶対条件である以上、人間の食習慣は必ず守ってもらうよ」
「テメエ、オレに死ねってか!」
「これを守れないならどの道、死んだも同然だって、わかるよね?」
アルフレッドが言い淀む。ミキが畳みかける。
「胎児は母親の食べた物で育つ、なんて単純なものじゃないんだ。母親が食べる、身体を作る、その身体から栄養を分け与える。この地道な積み重ねで育っていくのさ。まずエリーさんの栄養失調をどうにかしないと、お腹の子が危ないんだよ。それなのに、君が身体作りの邪魔をしてどうするってのさ?」
「オレは人間の血以外、お断りだ!」
「だから吸わせてあげたじゃないか」
「吸えるかあんなもん! 酒の生き血割じゃねえか!」
「酷いなあ、アタシ傷ついちゃうよ。そもそも生き血だって身体に良くないから避けたいところを、君の種族背景に配慮して渋々許してやっているんだ。君もエリーさんの種族背景に配慮して、許容したまえよ」
「命まで賭けられるか!」
「おやおや、エリーさんと子どもの命を握っておいて自分が危ないのは嫌だって? ダッサ」
「んだとこの……!」
「好き嫌いはいけないよ。これ、最後通牒だから」
キッチンがざわめいた。
水瓶、茶器、冷めた粥、外の雪……およそ水を含む全ての物がミキに恐れおののき、身を震わせているようだった。
】ね、ねえ、あんた。意地張ってたら、本当に【
「うるせえよバカ女!」
「おや、それはどっちにほざいたのかな?」
ミキが短剣を抜く。刀身に反射した朝日がアルフレッドの手元を横切り、浅く焼いた。
「何度でも言うよ。くだらない仲良しごっこなんて、今すぐ終わりでも良いんだ。特に今は虫の居所が良くなくてね、愛弟子に悪戯したどこぞのスケコマシのおかげで」
「同意の上だ。テメエにとやかく言われる筋合いはねえ」
蚊帳の外、意識の奥で、エリーは愕然とした。
】そんな……ヘーゼル、どうしてこんな奴の言うことなんか……【
アルフレッドが不良自慢に酔い痴れる。
「お人好しだよなあ、アイツ。寝起きにちょっと頭の傷を開いて見せてやりゃ、面白えくれえ従順になりやがんの! 血が足りねえ、このままじゃエリーの傷を塞いでおけねえ……。ぎゃはは! 御涙頂戴、一発でコロッといくとこ、テメエらにも見せてやりたかったぜ!」
夢の中、エリーに死を追体験させた一幕を思い出す。あの裏側でヘーゼルは脅迫されていた。
】こいつ……! 人の命をもてあそぶのに飽き足らず、私を利用してヘーゼルまで……!【
「そのことだけじゃないよ」とミキ。
「同意のないことまでシただろう? 心当たりがないとは言わせないよ。血を吸われた程度で、あの子があれだけ取り乱すなんて思えないからね。よっぽど酷い目に遭わせたんだろう」
】ミキさんの言う通りよ!【
アルフレッドが記憶を探るように視線をさまよわせ、思い当たると、不服げに片眉を上げた。
「んだよ。味変ついでに、親切で痛みを紛らわせてやったんだ。何が悪いってんだよ」
「ふーん、味変ねえ。……エリーさん、聞こえているなら手を出して」
ミキは短剣を逆手に持ち替え、高く掲げた。
エリーの怒りが右手に宿り、アルフレッドの意思に逆らって前に出た。
反論を挟む隙は与えない。右手は食卓の陰より光の下へ、黒く感光しようが構わず、床を揺らすほど力強く叩き出される。
「テメッ……!」
】ぐっ……【
熱い。だから何だ。ヘーゼルはもっとつらい目に遭ったんだ。
】それ以上、しゃべるな!【
エリーが弱いせいで、アルフレッドの横暴を止められなかった。
エリーを守るためならと、唯々諾々と身体を明け渡したヘーゼルを想う。
口移しで血を飲ませるだけの約束を反故にされ、吸血鬼に組み伏せられ、恥部を探られた姿を想像するだけで、エリーは怒りで胸が張り裂けそうだった。
あまつさえ、味変ついで? 行為で血の味を変える?
ヘーゼルはそんなことのために、辱められたのか。
エリーに溢れる激情が、アルフレッドの支配から右手を取り戻す。
それでも、意表を突いたのは一瞬だけだ。右手はあえなくアルフレッドに乗っ取られ、陰に逃げる。
その寸前を、ミキが見逃さなかった。
ミキのブーツが逃げる手首を踏みにじる。靴底に打たれたリベットは銀で、吸血鬼の肌を押し焼いた。
エリーと共にアルフレッドが苦悶する。
罪深く差し出された手の甲に、短剣の銀が閃く。




