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無原罪御宿の吸血鬼 ヴァンパイア・イン・イマキュレート・コンセプション 悪女と呼ばれた記憶喪失の女は、凶悪吸血鬼の血を宿して新生する  作者: ごっこまん
2.最初の朝餐

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007 悲しませるのは、同じだよ

 アルフレッドの粗相を、爛れた郷愁にすり替えられるなんて、我慢ならなかった。


 ミキが溜め息混じりに鍋の番に戻った。


「短剣なんか、何に使うのさ」


「アルフレッドに一発ぎゃふんと言わせてやるんです。そのためなら、手でも心臓でも刺してやる」


 潔白の証明と真犯人への報復。エリーにしては一石二鳥の名案だと、自分で息巻いた。


「アタシがそれを許すとでも? 保護した子の自傷行為なんて止めるに決まっているよ。第一、身重でしょうに。そこんとこ、自覚してくれないと困るよ」


「あいつはヘーゼルを泣かせたんですよ! しかも、私の身体を悪用して! 痛い目に遭わせなきゃ気が済みません!」


「ごめん、大声やめて……二日酔いに響く……」


「真剣に言っているんです!」


「ほげえ~……」


 真剣かあ……。頭痛に気を取られて、オウム返しさえ身が入っていない。エリーは苛立った。


「真剣なら、助言を一つ」とミキがこぼした。「アルフレッドの仕打ちは、アタシも許し難いよ。けれどね、君が自刃しても、ヘーゼルを悲しませるのは、同じだよ」


 出かかった怒声がエリーの喉に詰まる。屁理屈を聞かされれば即、喚き叫んでやるつもりだったのに。


 反論できなかった。


 ヘーゼルはエリーを助けてくれた。お腹の赤ちゃんもまとめて精一杯庇ってくれた、優しい人だ。自分に刃を向けるのは、そんなヘーゼルの善意を踏みにじるに等しい行為だと、ミキは言っている。


 激高し、開いた口を閉じようにも、空気が飴になったようで、中々唇が合わなかった。ミキが煮込みの味を見て、頷く。


「ま、どうせ、アルフレッドがどんな怪我でも治すだろうって目論見があるから……それとも、アタシが露術の裏技について口を滑らせたのがいけなかったかな。どちらにせよ、だからそんな無謀なことを言えるんだろうけれど」


 他人に勝手な期待を寄せたら、それこそ痛い目を見るよ。


 敵に寄せた期待からは、特に痛いのが返ってくる。


 ミキの一言一言が、エリーの胸に重く積もる。


「うん……成程、あの吸血鬼には良い嫌がらせかもね。君自身、覚悟を決めれば簡単に実行できるかもしれない。けれども、君が君自身を傷つけると、それ以上に傷つく人だっているんだよ。それを想像できなくなっているのは、立ち止まって、頭を冷やさなきゃいけないタイミングが来たからさ」


 助けてもらった命なら、助けてもらったことに相応しい価値があると思って生きるのが礼儀だよ。


 それはヘーゼルに報いることであり、記憶の中の男に報いることでもある。


 エリーは俯き、唇を噛んだ。ミキが丁寧に過ちを諭しているのは、エリーにもわかる。しかし、エリーの人生を侵略するアルフレッドの行いへの怒りは冷めず、鬱屈した気が胸の底に居座っていた。


 なのに、煮物の香りに鼻がくすぐられると、腹の虫が目を覚まして、元気に騒ぐのだった。


 ふふ。ミキにも聞かれたようで、エリーは遅れて腹を抱えてうずくまった。アルフレッドといい、赤ちゃんといい、ままならない上に間の悪い身体だ。


「ほらね。ひもじい、寒い、寂しい、なんてときには特に気をつけなきゃさ。妙案なんか浮かびっこないんだから」


「……すみません」


「気にしない気にしない。そんなことより、ヘーゼルを大事に思ってくれて、ありがとね」


 その一言を合図に、キッチンが一層と明るくなった気がした。日が高くなり、この詰所にも注ぐようになったのだろう。ミキの声は相変わらず二日酔いだったが、少しだけ目覚めて軽やかになっていた。


「エリーさんは良い人そうで安心したよ。アタシ、ヘーゼルがどこの馬の骨かもわからない売女に掴まったのかと内心冷や冷やで……」


 これにはさすがにエリーも反感を覚えた。


「私、そんな悪人」悪女と呼ばれて良い気になったくせに。「のつもりじゃ……」


「わかっているよ」


 ミキの言葉の裏には、昨夜のヘーゼルの一言が念頭にあった。


 若隠居に渦で揉まれてんのを、エリーに助けられたんス。


 大方、アルフレッドが脱出しようと足掻く内に、ヘーゼルの身体を足掛かりにしようとして、力加減を間違えただけのことだろうと聞き流していた。


 第一、“エリー”という人格も、アルフレッドの演技を疑うべきなのだ。


 演技でないとしよう。基になったエリー本人にしても、無断で禁域に侵入している。たとえ自我が残っていようと、どうせろくでもない女だと決めつけていた。


 キッチンに朝日が満ちても、平気らしい。


 なかなかどうして、よく見ている弟子だね。


「今まで意地悪言ってごめんね」ミキの声から棘は抜け落ちていた。「さ、もうすぐ朝食ができるよ。我が家の食卓にようこそ」


 もっとも、ここは借家だけれどもね。気恥ずかしさを紛らわすように、ミキは笑った。


 剣呑な会話を交わした口とは思えないほど、日常の一幕だった。怒らせた肩から毒気が抜けるようで、エリーはミキが強引に作った日常へ紛れさせてもらうことにした。


「……後で、ヘーゼルの舌、治してあげてくれませんか」


「うん? んー……ちゃんと仲直りしてからが良くない?」


「それもそうですね……って、知ってたんですか?」


「うん、まあ、ちょっとね。ははは」


 何だか煮え切らない返事だった。また元の気まずさが戻ってきたが、不思議と居心地は悪くない。


「ところで、ここはどこなんですか?」


「そっか、ずっと寝てたんだもんね。遅ればせながらようこそ。ここは護律協会ラムシング村支部監視室分室だよ。禁域に人が入らないよう、村の反対側から見張る場所」


「ラムシング村……」


 気の抜けたオウム返しに、ミキは困ったように振り向いた。


「参ったな。本当に覚えてないんだね」


「……すみません。正直、護律協会とか露術とかもさっぱりで」


「なら、目覚まし代わりにお聞きよ」


 歴史を語れば日が暮れる。だから今日の姿だけをミキは語った。


 護律協会とは、農耕民と遊牧民のように、文化背景の異なる集団同士の仲介を担うお節介焼きな組織らしい。外交と違うのは完全に第三者の立場である点で、宗教と違うのは教化に消極的で既存の文化に過剰に干渉しない点だ。


「大昔に吸血鬼が初めて確認されてから、待ち合わせでもしてたのって感じで亜人種族までわんさか現れてさ。世界中まあ大混乱だった訳よ。それを治めるために奔走する内に大きくなった組織、って感じかな」


「そ、うなんですね」


 だから露術が必要だったのだろうか。なら、どうやってあの魔法を編み出したのだろう。


 ぶるっとエリーは震え、少しもじもじした。難しい話を聞いた途端に、この身体ったら。


「あ、あの、すみません。お手洗いは……」


「ああ、そうそう。はい、これ」


 火元を離れて、ミキは木彫りの器をエリーに手渡した。


「おしっこはこれに出してね」


「……なんですって?」


 両手いっぱいの器に落とした視線が、ミキに跳ね向く。てっきり食器だと思っていたせいで、頭の中でいけない物のミックスが生まれそうだった。


 おかしいわね。今、日常の一幕を演じてなかったかしら。


「中間尿っていってね、出始めと出終わりのおしっこは要らないから。あと、くれぐれも、うんちは要らないからね。器に溜めたらアタシに提出すること。良いね」


 あんまりキッチンで聞きたくない言葉が並んでいるが、言ってる本人が至って真面目なせいで、不思議なほどに聞き入れられた。


 もっとも、意味までは理解できない。いや、提出て。何を。


「な、何で……?」


「教えな~い」


「じゃ、じゃあ、嫌ですけど……」


「断るなら、最低限の自助努力を放棄したと見なして、今ここで保護は打ち切り。即刻駆除」


「え、そんな、ご冗談ですよね」


「まさか。ガチの最後通牒だよ」


 棘のあるときの方が優しかった気さえする。仮面の威圧感でチビりそうなので、エリーはトイレの場所を教えてもらって逃げるようにキッチンを出た。


 ミキはミキなりにエリーのことに真剣なはずだから、何か考えがあるのだと思う。けれど、おしっこなんかで自助努力(ジジョドリョク)がどうこうなるのか、エリーには見当もつかなかった。


 しかし、それにつけても何かと飲む姿が脳裏に焼き付く人がミキである。


 まさか、飲まないよね。エリーは首を振って邪推を払拭した。いくら何でも、そこまで破天荒ではないはず。そうよね? 己に問うたところで、答えは出ない。


 教えてもらったトイレは工事中かというくらい騒々しく、中でヘーゼルが奇声を上げて暴れているようだった。情の発散に似た騒ぎで、エリーは赤く染めた耳を塞ぎ、急ぎ(きびす)を返して、外へ花を摘みに逃げた。

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