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無原罪御宿の吸血鬼 ヴァンパイア・イン・イマキュレート・コンセプション 悪女と呼ばれた記憶喪失の女は、凶悪吸血鬼の血を宿して新生する  作者: ごっこまん
2.最初の朝餐

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005 勘違いの色狂い夜這い野郎

 温かで柔らかな感触が、エリーの口唇を満たしていた。重ねた唇と、人の舌を噛む感触、それと血のぬめり。


 起き抜けの息苦しさに、エリーは仰け反って息を継ぐ。口になみなみと満ちた鉄臭さが、ごぼりと顎を染め、流れ落ちた。


 エリーの口から零れた血を、ヘーゼルが顔で受けた。


 エリーが四つん這いでヘーゼルにのしかかり、見下ろす格好だった。毛皮敷きのベッドの上、布団の中で、肩でする息遣いが二つ。薄日の明けが、窓の板戸の隙間から幽かに漏れていた。


 エリーの髪が垂れて、ヘーゼルの顔だけを世界から切り取っているようだった。


 寝起きのヘーゼルは黒銀の髪を下ろしていて、初対面の男勝りな印象とは裏腹に、秘めた雌性を垣間見せている。血塗れの口元と、上気した頬。鋭い眼差しを悩まし気に蕩かせ、潤んだ瞳が揺れて、エリーを正視できないでいるようだった。


 汗の熱さが、たちまち冷えていく。


「ご、ごめん、ヘーゼル」


 息が詰まる。これはアルフレッドが……では、不誠実だ。本当にエリーの中に潜む怪物の仕業だとしても、人を巻きこんでしまったのはエリー自身の落ち度だ。言い逃れの口実にするのは間違っている。


 だからエリーは「……私」と呟いた。


 ヘーゼルから離れようと、エリーが身をよじったときだった。


「ああんっ」と婀娜(あだ)っぽい声が絞られて、どきりとした。


 手が柔らかな感触に、浅く沈む。見れば、エリーの手はヘーゼルの乳房に乗っていて、オオカミの毛皮を畳んだスリットに指を滑らせている。隠された滑らかな毛並みの奥、指先に固い蕾のような形が当たっていた。呼吸で上下する胸郭に、手が押し返されては、下がっていく。


 二人とも、生まれたままの姿であった。


 二人の顔が熱くなる。犯した指先、漏れた痴態。羞恥心で硬直し、お互いがお互いを瞠目し、目が離せない。


 熱の通った息遣いと、胸を突く鼓動が、否応なしに二人の営為の意味を突きつける。


 ヘーゼルの瞳孔が開く。それにつれて目は据わり、微かに眉間にしわが寄り、鼻息も口息も荒くなっていく。怒気にも見える興奮で、人狼(ライカンスロープ)の血が騒いでいた。


「ご、ごめん! 本当にごめ……んん!?」


 エリーの首に腕が回され、抱き寄せられた。ベッドの上で半回転、密着した二人の上下が逆転する。エリーの上に跨ったヘーゼルが、熱っぽい視線で見下ろしてくる。


「ヘーゼル? ヘーゼルさん!?」


 返答は乱れた呼吸と、夢見心地に垂れた目つき。


 エリーの下腹部から天井へ伸びる、引き締まった肢体に生唾を呑む。刺青のような縞模様が雄々しくも、女の曲線美を備えた肉体が汗ばんで、薄明を照り返している。


 胸が上下する度に、スリットからオオカミの毛が見え隠れする。


 熱視線に射すくめられた心臓が、耳にうるさい。


「へ~い……、起きな~……、眠り姫様方~……」


 突如、乱暴に開かれた扉から、虫の息のミキがなだれこんだ。


 冷水を浴びせられたように、室内の二人が短い悲鳴を上げる。あたふたしたがもう遅い。エリーが下で、ヘーゼルは馬乗り。二人して凍った。


 ぽかんとその様子を見守っていた銀仮面が、二日酔いの大長息を吐く。


「……ほどほどにしときなよ~」


 着替えたら降りてきてね~……。不機嫌にそう言い残して、扉が閉ざされる。美女と野獣の方だったか……。とか、微かに聞こえた気がする。


 足音が遠ざかって、何も聞こえなくなった。放心して、どれだけ経ったか。


 先に喪心から覚めたのは、ヘーゼルだった。


 ヘーゼルは何事もなかっかのように、そそくさとベッドから降り、布団はきっちりエリーの肩までかけ直した。ナイトテーブルの手ぬぐいで顔を拭く。もう一本の手ぬぐいを、呆然とするエリーの顔へ、ふわりと投げる。


 飛び起きるエリーが見たのは着替え中の背中で、「そいつで顔拭けよ。着替えはそっち」とヘーゼルが椅子に畳み置かれた衣服を指す。


「あ、あの……私、何てお詫びすれば……」


「良いから」


 つっけんどんな返事は、湿った鼻声だった。洟をすすった後、ヘーゼルは手ぬぐいを目元にやった。しゃくり上げるようにも見えたので、エリーは咄嗟に引き留めようと腕を伸ばし、口を開きかけたが、ヘーゼルは「すまねえ」と涙声を残して振り向くこともなく、やや前のめりで足早に部屋を後にした。


 足音が遠ざかって、すすり泣く声も聞こえなくなった。


 引き留める先を失った手が、虚空を固く掴んで、布団に叩きつけられた。


「アルフレッド!」叩きつけた拳に怒鳴る。「出ろ! 出てこい! この勘違いの色狂い夜這い野郎! 血の一滴まで天日干しにして、水底に沈めてやる! 出なさい! 出ろ!」


 いくら喚いても、なしのつぶてだった。口の減らない男だが、黙っていてもムカつくとは。エリーは壁に拳を叩きつけたが、自分に痛みが返るだけだった。


「卑怯者! 臆病者! 小娘に言われっ放しで悔しくないの!? それでも男!?」


 赤くなった拳を罵る。


 ふと、窓から差す朝日に目が留まった。エリーは戸板を開けて、曙光に手をかざす。吸血鬼の弱点は日差しだ。痛い目に遭わせる一念で窓から身を乗り出さんばかりに手を伸ばす。


 だが、何の痛痒も感じない。


 もう一発、苦し紛れに壁を殴った。


 何をやっても無駄だと悟って不承不承、口元の血を拭い、用意された肌着に袖を通し、厚手で鮮やかなフェルト地のワンピースを着て、ケープを肩に重ねた。靴下とブーツを履き、部屋を後にする。


 ヘーゼルを泣かせてしまった。ちゃんと謝らないといけない。けれど、ベッドの中で色めいた出来事を思うと、どんな顔で会えば良いのか、エリーにはわからなかった。


「……ていうかナイフも返せてないじゃんかあ」


 エリーは頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。小鳥のさえずりさえ去った朝の静寂、うずくまった目の前、服の下には、物言わぬへそがある。


 赤ちゃん……。エリーは混乱と責任の板挟みになりながら、パンと両頬を張った。


「……しっかりしなきゃね。タフな女なんでしょ、私」


 ヘーゼルに恥じない自分でいたい。彼女の言葉に応えたい。


 やることは決まっている。一、生き延びる。二、無事に産む。三、アルフレッドに思い知らせる。これに過去を思い出すことも加えて大目標とする。が、今は後回しだ。


 ヘーゼルに償う。今はこれが最優先。

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