004 血がテメエを守る
付き合ってられない。エリーは腹こそ立てていたが、アルフレッドの小言をいちいち真に受けても、延々と言い争いが続いていく。余りに不毛で、反論する気も失せてしまった。
そのくせ、こちらが引き下がれば引き下がったで、アルフレッドは言い負かしたと見て、明らかに増長するのがなおのこと腹立たしい。
【じゃあ、胎のガキに倣って、こういうのはどうだ】身を乗り出して、アルフレッドはエリーに耳打つ。【大勢から、少しずつ、血を恵んでもらうんだよ】
人間は血液の十二%を失っても死ぬことはない。安全な流失量ギリギリで、占めて百八人から百九人分。キリの良い数で百十人から血を集めれば、誰も殺さずに血を集めることができる。
気の長い計画だ。遥かに多い人間へ牙を剥かねばならない。アルフレッドがエリーから離れるのに必要な量が集まる頃には、何百人と血を流す。
胎児が、母体の死なない範囲で、栄養を吸うように。
吸血鬼は、人間社会が壊れない範囲で、血を啜る。
【言うなりゃ――この杯は、あなたがたの流すわたしのための血で立てられる新しい契約である】
耳元で囁く口に割りこんで、エリーは耳を塞ぎ、目線で蔑んだ。
「あなたの目的は何なの?」
【あん? 自由になることに決まってんだろ】
「自由になって、それでどうするの?」
【ふん。それこそオレの勝手だろ】
静寂。エリーは不貞腐れた風にだんまりを決めた。気紛れにアルフレッドが静けさを破る。
【ま、オレたちに寿命なんざねえし。その辺ぶらぶらして、腹減ったら食って、眠いなら寝て、殖えて……目的なんてもんもねえ。生きるだけ。食用種も大多数そんなもんだろ】
「だったら絶対あんたを出さない」エリーはきっぱりと言った。「人を傷つける時点で話にならないって、ずっと言ってるの。わかる? 出るために犠牲を出す。出たら出たでもっと犠牲を出す。血なんか一滴だって飲んでやるもんですか」
血鏡の向こうで、アルフレッドは肩をすくめた。
【オレたちが人間を眷属にする方法、理解してんのか】
「いきなり何の話?」エリーが眉をひそめる。
【良いから、答えろ】
「……人間の血を吸って」
アルフレッドが鼻で嗤い飛ばした。
【ま、拝露教徒でもねえ食用種なら、そんなもんか。良いだろう、お勉強の時間だ】
血の鏡面が揺らぐ。鏡面の端々から波紋が集まり、波の丈が伸びて、遂に一滴の雫を弾き出す。
普通の血ではないと、エリーは直感した。
アルフレッドの血は、鮮やかな赤だ。だが、この一滴は膿が生じているのか、淀み、肉の色みに褪せて、爛れている。何かを患った血のようだった。
「何、この血」
【触んじゃねえ!】
血の色に魅入られていた。怒鳴られて驚き、エリーが反射的に手を引く。血が棘と化して虚空を突いた。間一髪で刺さるところだった。
エリーに戸惑いを残して、患った血は血鏡から伸びた蔓に絡められ、激しく抵抗しながらも虚しく呑まれ、溶けた。
【この先、間違っても、ああいうのに触んじゃねえぞ】
余裕ぶっているアルフレッドが、珍しく声を強張らせていた。
今の血は、一体何だったのだろう。吸血鬼の血も不思議だが、今の患った血にもっと不可解なものをエリーは感じた。
【今見せたのは、オレたちの始祖そのものだ。原初にして唯一の、吸血鬼の血だ】
忌々し気に、鏡像の口の端が歪んだ。
始祖――胤族の宿痾だと、アルフレッドは語る。老廃した胤族の血は、始祖に変異する。始祖の割合が増えすぎると精神に異常をきたし、やがて心身ともに乗っ取られてしまうという。
【だから、溜まる前に捨てなきゃなんねえんだが……一応、こんなもんでも使い道がある】
「まさか」
血の鏡像が、神妙に頷いた。
【始祖を体内に注入された生き物は、漏れなく新しい眷属にお迎えだ】
「……待って待って、それって、ちょっと!」
アルフレッドの血にも、始祖が流れている。その血を宿したエリーも、始祖を――。
【落ち着け】取り乱しかけたエリーを、アルフレッドがなだめた。【今はオレが始祖を分散させて包んでっから、すぐ変異するこたぁねえよ】
これに関しては信じてくれて良い。そうアルフレッドは請け負った。
【テメエが一滴でも始祖に触れちまったら、連鎖反応で体組織が全部、血液に転化される。そうなりゃ、今のオレじゃあ物量差で押し負けちまう。仮に最低限の血を補給した後でも、テメエと争い合って消耗しちまうしな。んなヘマは犯さねえよ】
エリーは早打つ心臓に手を当てて、深く息をついた。ひとまず、アルフレッドが身体の中にいる内は、吸血鬼にされる心配はない。
「でも、始祖の血が増えたらどうしたら良いの」
【わかんねえか? 水とか銀器とかに捨てんだよ。弱点は一緒だ。それよか問題は、そうやって捨ててばっかいると、オレの身体が減る一方だってことだよ】
「ハンッ、良い気味よ。じわじわ消えてしまえば良いんだわ」
【そんときゃ、テメエはさっきみてえに頭の傷が開いて死ぬか、眷属になって拝露教徒に殺される。へへへ、残念だったな!】
さすがにエリーでも、この話の着地点が見えてきた。
「だから、血を吸わなきゃ、私も危ないって言いたいのかしら」
アルフレッドが拍手を添えて頷いた。
エリーの命は、アルフレッドの血が潤沢であればこそ。アルフレッドの血がなくなれば、最期に残るのは始祖の血か、私の死体か。だからといって……とんだとばっちりだ。
私は、大勢の人を傷つけなければ、長くは生きられない。
【覚えておけ。テメエがどう思おうが、血がテメエを守る】
アルフレッドの言うことを信じるなら、だけれど。
エリーは表情を隠すように俯いた。しかめ面で考える。
もしも今の話が本当なら最悪だ。エリーは人間でありながら吸血が欠かせず、かといって血を吸いすぎれば、アルフレッドはエリーを見殺しにして身体から出て行く。
それでも、この吸血鬼を頭から信じるには、まだ早い。
幸い、護律官のミキがそばにいる。吸血鬼に詳しそうな彼女に助言を求めるまで、返事は留保してしまえば良い。アルフレッドに留保を拒む理由はないはずだ。
まとめた考えを、そのままアルフレッドに伝える。
「だから、今すぐあんたに従うつもりなんか、ないわ」
アルフレッドは、大きなあくびをしながら言った。
【だとしたら、悪いことしちまったなあ】
眠気混じりにじろじろと、気色悪い笑みでエリーを見下ろしてくる。「……何よ」得体の知れなさに、エリーはつい口を開いてしまった。アルフレッドの笑みが頬に裂ける。
【テメエがおしゃべりに夢中になっている内に、人狼の小娘の血を少々失敬しちまった】
息を呑む。問いただすエリーを差し置いて、アルフレッドが【もう寝る】とだけ言い残す。
次の瞬間には、目を覚ましていた。
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