004 女と血の境界線 4/4:血がテメエを守る
【あん? 自由になることに決まってんだろ】
「自由になって、それでどうするの?」
【ふん。それこそオレの勝手だろ】
静寂。エリーは不貞腐れた風にだんまりを決めた。気紛れにアルフレッドが静けさを破る。
【ま、オレたちに寿命なんざねえし。その辺ぶらぶらして、腹減ったら食って、眠いなら寝て、殖えて……目的なんてもんもねえ。生きるだけ。食用種も大多数そんなもんだろ】
「だったら絶対あんたを出さない」
エリーはきっぱりと言った。
「何度でも言うわ。人を傷つける時点で話にならない。私の身体から出るために犠牲を出す。出たら出たでもっと犠牲を出す。血なんか一滴だって飲んでやるもんですか」
血鏡の向こうで、アルフレッドは肩をすくめた。
【オレたちが人間を眷属にする方法、理解してんのか】
「いきなり何の話?」エリーは眉をひそめた。
【良いから、答えろ】
「……人間の血を吸って」
アルフレッドが鼻で嗤い飛ばした。
【やっぱその程度で理解が止まってんのかよ。ま、拝露教徒でもねえ食用種ならそんなもんか。良いだろう。お勉強の時間だ】
血の鏡面が揺らぐ。鏡面の端々から波紋が集まり、波の丈が伸びて、一滴の雫を弾き出す。
普通の血ではないと、エリーは直感した。
アルフレッドの血は、鮮やかな赤だ。けれども、この一滴は膿んで、淀み、肉の色みに褪せて、爛れている。
何かを患った血のようだった。
「何、この血」血の色に魅入られていた。
【触んじゃねえ!】
怒鳴られて驚き、エリーが反射的に手を引く。患った血が、棘と化して虚空を突いた。間一髪で刺さるところだった。
エリーに戸惑いを残して、患った血は血鏡から伸びた蔓に絡められる。患った血は激しい抵抗も虚しく呑まれ、溶けた。
【この先、間違っても、ああいうのに触んじゃねえぞ】
ずっと余裕ぶってきたアルフレッドが、珍しく声を強張らせていた。
(今の血は、一体……?)
吸血鬼の血も不思議だけれども、今の患った血はもっと不可解な何かがあった。
【今見せたのは、オレたちの始祖そのものだ。原初にして唯一の、吸血鬼の血だ】
忌々し気に、鏡像の口の端が歪んだ。
始祖――胤族の宿痾だと、アルフレッドは語る。
老廃した胤族の血は、始祖に変異する。
始祖の割合が増えすぎると精神に異常をきたし、やがて心身ともに乗っ取られてしまうという。
【だから、溜まる前に捨てなきゃなんねえんだが……一応、こんなもんでも使い道がある】
「まさか」
血の鏡像が、神妙に頷いた。
【始祖を体内に注入された生物は、漏れなく新しい眷属にお迎えだ】
「……待って待って、それって、ちょっと!」
アルフレッドの血にも、始祖が流れている。その血を宿したエリーも、始祖を――。
【落ち着け。今はオレが始祖を分散させて包んでっから、すぐ変異するこたぁねえよ。これに関しちゃ信用しろ】
アルフレッドに請け負われたところで安心できない。エリーが怪しんでいるのがバレたのか、アルフレッドが言葉を選ぶ素振りを見せた。
【テメエが一滴でも始祖に触れちまったら、連鎖反応で体組織が全部、血液に転化される。そうなりゃ、今のオレじゃあ物量差で押し負けちまう。仮に最低限の血を補給した後でも、テメエと争い合って消耗しちまうしな。んなヘマは犯さねえよ】
エリーは早打つ心臓に手を当てて、深く息をつく。今の説明で自分を納得させた。ひとまず、アルフレッドが身体の中にいる内は、吸血鬼にされる心配はない。
「でも、始祖の血が増えたらどうしたら良いの」
【わかんねえか? 水とか銀器とかに捨てんだよ。弱点は一緒だ。それよか問題は、そうやって捨ててばっかいると、オレの身体が減る一方だってことだよ】
「ハンッ、良い気味よ。じわじわ消えてしまえば良いんだわ」
【そんときゃ、テメエはさっきみてえに頭の傷が開いて死ぬか、眷属になって拝露教徒に殺される。へへへ、残念だったな!】
「……だから、どう足掻いても血を吸わなきゃ、私も危ないって言いたいのかしら」
アルフレッドが拍手を添えて頷いた。
【よくできました。花丸くれてやるよ】
(だからって……とんだとばっちりよ)
エリーは、大勢の人を傷つけなければ、長くは生きられない。アルフレッドの言うことを信じるなら、だけれども。
【覚えておけ。テメエがどう思おうが、血がテメエを守る】
エリーは表情を隠すように俯いた。しかめ面で考える。
この吸血鬼を頭から信じるには、まだ早い。
アルフレッドは護律官のミキには敵わなかった。吸血鬼に詳しそうな彼女に助言を求めるまで、返事は留保してしまえば良い。アルフレッドは拒めないはずだ。
「今すぐあんたに従うつもりなんか、ないわ」
【これだけ言ってもわかんねえのか】アルフレッドは、大きなあくびをした。【だとしたら、悪いことしちまったなあ】
眠気混じりにじろじろと、得体の知れない笑みでエリーを見下ろしてくる。
「……何よ」
アルフレッドの笑みが頬に裂ける。
【テメエがおしゃべりに夢中になっている内に、人狼の小娘の血を少々失敬しちまった】
息を呑む。問いただすエリーを差し置いて、アルフレッドが【もう寝る】とだけ言い残す。
次の瞬間には、全く見覚えのない場所で、エリーは目を覚ましていた。




