002 一蓮托生
エリーが本当に助かる道。それは、お腹の赤ちゃんが生まれる前に、アルフレッドをこの身体から追い出すこと。それしかないと言いたいのだろう。その理屈は理解できる。
未だに実感が湧かないのは、前提の方だ。妊娠と言われても。エリーはそっと、中に呼びかけるようにして、自分の下腹部を撫でた。
「……そもそも、本当なの? 私が、その、妊娠……って」
女の身体に起こる変化でも、妊娠は一大事だ。
記憶を失う前の私は、気づいていたのかしら。エリーは人体の神秘に思いを馳せた。何でもない普通のお腹にしか見えない。その中に命が宿っている。へえ、そうなの。親切に教えてもらったところで、まるで自覚が湧かなかった。
本当に妊娠しているなら、父親は誰なのだろう。
記憶の断片で、エリーを助けてくれたあの人だったら良いな。
夢を見すぎているだろうか。嫌いなものでも好きになれるおまじないを教えてくれたあの人。崖から落ちるエリーを庇って、死んでしまったあの人。命を懸けた献身は、父親としてこの上ない資質で、愛情深さの証明にしか見えなかった。
あの人と結ばれていたのなら、どれだけ素晴らしいことだろう。
たとえ世界中を敵に回して、逃避行に走っても構わない。二人で、いいえ、三人で無尽のタイガを行こう。家族が幸せに暮らせる楽園を見つけて、あるいは拓いて、末永く生きていこう。それが二人の誓いだったのなら。
なんて、ロマンが先行した浅慮な妄想にエリーは我ながら呆れたが、それだけの情熱が二人の間に燃え盛っていても、不思議ではなかった。
けれども、だとすれば、この子は父無し子になってしまう。
たとえ無事に生まれ、すくすく育っても、事あるごとに「あなたのパパはとても勇敢だったのよ」と滔々と説いても、父親その人を知る機会は決して訪れることはない。
青く淡い夢に比して、事実はあまりにも厳然として、冷淡だ。
そんな酷薄な仕打ちって、あるのだろうか。
同時に、これだけ感慨が湧くなら、妊娠が事実でも何とかなる。そんな呑気かつ漠然とした見通しで問題をやっつけてしまったところで、血で鏡合わせの顔が、底意地悪く笑う。
【そうか。テメエも、奴も、信じるしかねえもんなあ。マジで孕んでっかなんて、オレでもなけりゃ調べらんねえもんなあ】
いちいち頭にくるしゃべり方。
「私が信じた方があんたの得でしょ! だったら記憶を直しなさいよ! 私を生き返らせたみたいに!」
【無茶言うな。偉っそうに。元の脳神経網の形なんざ知るかボケ】
「もっとわかるように言いなさいよ!」
【……ま、時間が経ちゃ、出るもんが出るだろうよ】
アルフレッドが軽薄なおかげで、感傷に浸る暇もない。エリーは居住まいを正して、もっと現実的に考え直した。
「真面目に言って! 認めたくないけど、あんたと私は一蓮托生なんだから! 足並みを揃えなかったせいで、私がドジしても知らないからね!」
にわかに鏡像の顔が色めき立ち、前のめりに近づいた。
【一蓮托生! 足並みを揃える! 良いねえ! テメエの口から聞けるたあな! 話し合いの場を設けた甲斐があるぜ!】
「どうなのよ! 妊娠してるの、してないの!?」
【本当も本当。マジのご懐妊だよ、尻軽女】
「一言余計なのよ! 誰が尻軽よ、この殺人鬼!」
【“鬼”のつく呼び方をすんじゃねえ! 胤族だっつってんだろうが!】
「いや繊細か! あんたが人間でも殺人鬼って呼んでたわよ!」
【そうか? なら良い】
い、良いの……? 良いんだ? 一発で冷めちゃったんだけどこいつ。どこかずれてるわね。
慣れない言い争いに疲れ、エリーは肩で息を整えた。
閑話休題。
【質問はそれだけか? じゃ早速、足並みを揃えていこうや。見返りの話と洒落こもうぜ】
「それなんだけど……」
口から出任せに思わせぶりなことを呟いた。少しの間だが、アルフレッドは続きを待つだろう。
短い時間で、エリーは考えを整理した。
妊娠が事実と言われても、エリーには確かめようがなかった。アルフレッドの言う通り、見た目の変化からしか判別できないのだから。
少なくとも、見た目に変化が現れるまでの期間の猶予はあるとしよう。たとえアルフレッドが嘘をついていたとしても、それだけの時間は稼げたはずだ。
けれども、このままではいけない。
悔しいが、アルフレッドの言う通り、寄生されたままではエリーの身が危ない。ミキさんは職務に忠実な姿勢を最後まで崩さなかった。時が来れば。必要であれば。吸血鬼とまとめて私は殺される。
疑念に目をすがめて、むすっとエリーが振り返る。
「見返りだなんて勿体ぶって、どうせ血でしょ」
【話がわかるな】
私欲のため、イヌに芸を覚えさせたときのような、下卑た目つきだった。
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